骨を蹴る鈍い音がした。蹴られた少年は上半身を剥き出しにしたまま、死んだように倒れている。
軟弱な少年の事だったから、一瞬本当に死んだのではないかと加害者側であるアリスは背筋が冷えたけど、横たわるクイーンの肩が軽微に動いたのを見て安堵した。然しそれを表に出す事はない。淡々とした表情のままクイーンの頭に靴を載せ、

「…お前さ」
「……」
「漸く退院出来たのに、学習しないんだな。此処までしても着いて来るのやめない訳? …頭可笑しいだろ」
「……」
「…。何とか云えよ」

クイーンは答えなかった。それに腹が立ち更なる暴力に訴えようかと思ったが、地面に口がついているから、喋れないだけなのだと気が付いた。
仕方なく足を退け、屈んでクイーンの髪の毛を掴むと上に上げる。クイーンの白い肌は土に塗れ、本来なら制服の衿で隠れるだろう首筋には、アリスの友人が数日前につけた傷跡が痛々しく残っていた。
クイーンの父親は世界に名を誇る自動車メーカーの社長であり、その資産や名声は、寄宿学校の中でも一等素晴らしいものだった。然し当の本人は目立つ学力がある訳でもなく、運動神経も下から数えた方が早かった。加えて女のような容姿で性格も気弱とくれば、周りも虐げない訳にはいかなかった。
最初は寮の殆ど全員が束になって陰険に苛めていたが、それを見た監督生のアリスが友人と共に大胆な苛めを始めると、周りはそれまでの苛めを一切止め、傍観に徹するようになった。最初は面白がり、近くで見る者が大半だったが、内容が次第にエスカレートすると、周りの者は顔を顰めて目を背けるようになった。今まで自分達も散々な事をしていたのに、傍観者になってから、何処か聖人になった気すらする者もあった。段階に関係なく苛めは苛めだったのに、自分達がしていたのは苛めだと思っていないように、ああまでするのは可哀想だと囁き合う者も居た。

「…早く云えよ、何で俺に…」
「…だって、君は。…僕を見ているから」
「……。はあ?」
「苛めをする奴って、皆僕を見ずに、僕を通して自分の優位な立場を見ているんだ」
「……俺は違うって云いたいのか」
「アリスは僕を見ている。君や他の誰かを見ている訳じゃない。だから僕、君が僕を道具と思っている訳でも、…嫌いな訳でもないって、知ってるんだ」

それを話すクイーンの顔は非道く心酔しきったようで、アリスは自分の顔が若干蒼白になり行くのを感じた。クイーンが自分に傾倒している事など解りきった事ではあったが、その話し方にはいっそ狂気を感じるようだった。
アリスはクイーンに対して何の特別な感情も抱いていない。然し彼はどんな暴行を受けたとしても、それがこの上ない悦びなのだと云う。アリスは気が付けば声を張り上げていた。

「ッお前の脳内はお花畑か! 本当に好きだから暴行を加えているとでも思ってんのか!」
「な、何。…そうでしょ、手段が何であれ、君は僕を見ているんだ、それって凄い愛だよ…」
「可哀想で本当にお目出度い奴! 良いか、愛ってのは…」

愛を言葉に表そうとして、一瞬怯んだ。愛された過去のない自分が愛を語るのは、例えるなら聖書を読んだ事のない男がキリストについて説くような、そんな非道く傲岸で滑稽なもののように感じた。
アリスは愛は知らないが、自分がクイーンに向けるような感情の事はよくよく知っていた。それを何時も家に帰ったら受けるからだった。軽蔑の眼差しに、口から休む事もなく吐かれる黒い毒、そして不条理な暴力。
アリスはそれを履き違える事なく単なる「憎しみ」や「侮蔑」だと理解していたし、だからそれが愛とは全く異なる事だという事も厭というほど解っていた。そしてそれを愛だなんて云えるようなクイーンは、誰よりも狂っているのだと思わざるを得なかった。

「…良いか、好きだったら、相手の喜ぶ顔が見たくて…自分を犠牲にしてでも、相手に笑っていて欲しいって、思うんだよ。…だから、」
「…だから?」
「間違っても呪ったり、する訳、ないだろ…」

自分が何を云っているのか解らなかった。何時も虐げている人間に、こんな口を利く事は、どうも可笑しい気がした。
無視して殴れば良かった。或は手を離して寮に戻れば良かった。然しエメラルド色の双眸がアリスを見つめる度、何かを思わずにはいられなかった。アリスは家で暴力を受ける時に怯えた顔をしているのに、クイーンにはそれが一切なかったからだ。アリス以外に殴られる時は、惨めなほど泣きそうな顔をしているのに…。それにどうしようもなく、不甲斐なさや歯がゆさを感じた。

「アリス。愛憎って言葉があるよ、愛していると憎くなる…」
「何で! 何で解らないんだよ! 愛がない憎しみなんてごまんとある、暴力が愛だって云うのなら――」
「アリス?」
「下らない男が恋人からお金を取り上げる為に殴るのも愛か? 敵兵を拷問する時も愛か? 産まれて欲しくなかった子を虐待する事も愛なのか? 莫迦か、そんなのは愛とは違うだろう!」

クイーンは初めて見るアリスの様子に、非道く混乱したようだった。クイーンにはアリスの云っている事がよく解らなかった。
父親は多忙なあまり家には帰らないから、顔を見る事なんて数年に一度あるかないかだ。寮の学友は苛めをする前はクイーンの顔を見る事なんてなかったし、苛めが始まってからでも何時も瞳に彼等自身が映っている。
唯一人、アリスだけがクイーンを見た。初めて誰かから認知される喜びを知ったクイーンは、それが愚かにも愛だと信じて一切狐疑しなかった。
何も云わないクイーンが、それでも何処か情愛を含めた目で己を見ているのが解ったのだろう。アリスはそれを見て、初めてクイーンに同情した。自分がもしもクイーンのような考えをしていたら、家族による虐待を少しは楽に受ける事が出来たのだろうか。
然しそれは悲劇だろう。結局自分がそれになんと名付けても、そのものの形や本質が変わる事はない。自分がそれは愛だと明言しても、それは只の憎悪でしかないのだ。それを知らずに憎悪そのものを崇拝して愛でるのは、あまりにも可哀想ではないか。

「…お前、やっぱり、救えないよ…」

苦しそうに吐かれたアリスの言葉で一番心を痛めたのは誰でもない、愛を知らない彼の方だった。


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アリスって捨てられなかったら多分虐待受けるんだろうけど、それで今みたいな優しい系に育っても良いけど歪んで育つのもありだと思って
英語で書かれた小説ベスト100に挙がってる小説を出来るだけ読もうと思って始めてみたけど分厚さに心が折れそう…ナボコフのロリータってあんなにねちっこくて大変な感じだったとは…。蝿の王とか闇の奥とか、名作だけどぎゃーすな本が多くてヒィィとなってます〜本って凄い
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