書いておいてそのまま放置している作品があるのに気付いたので、貧乏性を発揮して上げ上げ

『薤露行』



青い柳の元、川の上に泳ぐ雪の如き白き白鳥、水に浮かぶ睡蓮。
ボートの中のひしめくほどの百合の花、櫂を動かすは一個の翁。
そしてそのボートの中に乗るは、或る二人の青年。

会話が水面に静かに広がった。



――貴方と出会ってから、奇っ怪な事をするようになりました。
――奇っ怪な?
――訳もなく、お湯もはらない湯殿で、蹲り、上から水だけを浴び、何もせず、只々じっとするのです。
――どうして。
――どうして? さあ。きっと頭が可笑しくなったのでしょう。

――俺は愛を知ってから、感情が豊かになりました。喜楽を知った。悩乱を知った。辛楚を知った。切愛とは、こういう事を云うのだと思った。
――それは…。
――感情を知らぬ人を人と云わないのなら、俺はきっとその時産まれたのでしょう。一度は生を授かり、そしてもう一度は人間に成った。
――俺は、俺自身を、誰かにそんなに影響を与えるような人間だとは思わないよ。
――影響を与えない? …まさか。それこそ傲岸だ。人がどれ程誰かに影響を与えるか…。人間が心動かされるのは、紛れもなく、人間なんです。
――…そうだな、すまない。
――貴方を知れて良かったと思う。出会えて良かったと、嘘偽りなく思う。…然し何故でしょう? こんなに苦しい事が世の中にある事を知り、俺はそれが耐え切られず、時折、どうしても思うのです…。
――どんな風に?
――貴方と、出会わなければ良かったと。貴方に出会わなければ、こんなにも心苦しむ事なんて、なかったのではないかと。生きる事を知らなければ、死ぬ事なんてない。無は存外救済かも知れないのに…。
――それでは、例えば、お前は俺が居なければ、幸福に成れたと思う訳か?
――…そうですね、或は、そうでしょう。…こういう事を考えるのが、そもそも間違っているのです。知れた事を、無知の知を、素晴らしいと思わなければならないのに。俺はそれが出来ないのです。
――それじゃあ、俺が産まれなければ、お前は幸福に、人の気持を知らず、然し人の幸福を掴めたんだろう。
――でも…。
――俺がこのまま、屍になれば、お前はきっと幸せに…。




その時、衣がはためき、一人の男が死んだ。
然し死んだのはそれを望んだ者ではなかった。
残された者は哭き、その時初めて事の重大さと己の相手への感情を学んだが、それはもう遅過ぎた。人とは思えぬ翁が声を出して笑い、残された青年は泣きながら最も美しい屍を眺めていた。


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題名やらは夏目んのあれ。


『最後に』


人の記憶は、自分が思うように都合良く出来ていない。忘れたいと願い、幾ら努力しようとも、その悪夢は日に日に強くなるようだ。しかもこれまた誰が求めた訳でもないだろうに、都合良く記憶の改変までしてくれる。くすんだ色をした厭な事も少し時が経てば、何時の間にか宝石のような物に思えてくる。それは恐らく記憶の主を考慮しての事だろうが、実はそれこそが持ち主の首を締めては殺しており、目論みは見事に成功していないのだから、これ以上莫迦な事も無いだろう。
記憶と密接するものはこの世に多く存在し、しかもそれを切り離しては生きられないと云うのだから実に性質が悪い。恋人になって初めて二人きりで外出する時に着た服も、一緒に聴いた音楽も、握った手の大きさも何もかも覚えている。思い出す度に胸が焼け付くように非道く痛む。
勿論善か悪かに関わらず、忘れて行く事だってある。貴方が或る春の朝、素敵だと云った花の名は果たして何だったか。寝る前に読んでいた本の表紙は何の絵が描かれていたか。思い出そうとしても最早知る術は無い。こうして呼吸をする度に貴方を忘れ、記憶が古くなり、脳が動かず軋んで行く。それがどうしようもなく寂しいし、同時にどうしようもなく心地良かった。貴方を忘れてしまう事の悲哀さと、貴方を忘れられる事への安堵が俺を襲った。前者は貴方を想う余り、そして後者は自分を想う余りの事だった。




貴方の嘘は、あまりにも甘かった。俺が何度も苦味で苦しんだとしても、死ぬ直前に何時もその甘さで俺を救った。それは俺を想っての甘い弾丸などではなく、只々小さな罪悪感と、自己の保身がなすものだった。
頭から砂糖を被り、バニラエッセンスの蒸せるような香りを嗅ぎながら、いっそ殺してくれれば良いのに、と何度思った事だろう。その嘘は本当は甘くなかった事を、俺も貴方も知っていた筈だ。なのに二人して共犯して、無糖のものを甘いと云い張った。俺は泣きながら、貴方は俺と貴方自身を嫌いになりながら。それでもそんな中で俺が張りぼてに惨めに縋っていたのは、貴方の隣がどうしても居心地が良かったからだ。吐こうが、のたうち回ろうが、貴方が視界の先に居る場所が、何処よりも良い場所に思えた。それが只の独り善がりで病的だと云う事に、愚かにも気が付く事は無かった。


最後の日、俺は貴方に激しく詰め寄り、そして懇願した。然しそれが聞き入られる事は無かった。あの日の貴方は今迄で一番冷徹で、残酷で、そして実は一番正直で優しかった。それでも本心を聞くのは限りなく辛く、矢張りどうにも非情なものだった。

お前が俺を何とも思っていなかった時や、他の人と接する時には幾らでも優しく出来るのに、一度は愛した俺を振り払う為ならば、愛がもう無いならば、一度も愛した事のない他人よりも、残酷に非道い事が出来るものなんだな。

俺に対しての責任が重くなり過ぎて、潰されそうになったからって、あんまりではないか。俺は貴方を殺そうとした事なんて一度もないのに、貴方はあの日俺を殺そうと躍起だった。本物の銃弾を使い、貴方自身を責めるのではなく俺ばかりを責めた。
俺は確かに恋人としては未熟で、何をするにも上手くなかったかも知れないけど、でもそれって罪なのか。俺はお前に懸命で、実直であった積もりなのに、何が不満だったんだ、何が足りなかったんだ。
俺は本心なんて関係なく貴方の側に居られれば良かったのに。…側に居られる事が、そんなにも負担だなんて事も知らず。


あの日、人の気持ちはどうにも出来ず、他人が何を云おうが動く事は無く、そして自分が此処まで人に感情を揺さぶられる事を初めて知った。
人を心の底から殺してやりたいと思うのも、多分初めての事だった。



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恋人の最後って書いた事あまり無かったな〜と。話し手は一人称やらで解るとして相手は赤目の誰かさんイメージだったけど、多分こんな恨みを買うような最後にはしないと思う。経験値的に


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