「…何だ、その恰好」

 白兎客室。何時もは滅多に声がしないその部屋が騒がしかった事からアリスが扉を開けてみると、部屋の真ん中で不機嫌そうな顔をしたクイーンと目が合った。クイーンは平生の恰好とは打って変わり、金糸のような髪をサイドで2つに結び(しかも大きな髑髏の髪飾りで)、華奢な腕や首には無骨な銀のアクセサリーを、そして下肢は何と膝上のチェックのスカートで覆われている。耳にはノンホールピアスだって装備されているし、シャツとジャケットで着飾られた上半身の胸元は心なしか膨らんでいるようで、何だか男の子と云うよりは最早女の子にも見える。
 アリスは思わず赤くなりそうな己の顔を右手で覆ったが、その様子を見たクイーンは更に厭そうに顔を歪めてみせる。そしてベルト付きの厚底のブーツでアリスの脛を容赦なく蹴ると、アリスは漸く何時もクイーンに対してするような態度で、

「お前なっ…。その足癖を好い加減…って違う。何だその恰好は」
「…云っておくけど僕の趣味じゃないから。君のファンクラブの会員の仕業だよ」
「ファンクラブ…?」

 その聞き慣れなければ心当たりもない単語に思わずアリスは眉を顰めたが、大きく開けられたクローゼットの扉の影に隠れていた人物が姿を表わすと合点が行ったようだった。
 男物の警官服に身を包んだ彼女は魔女ステッキを持ったままアリスに近寄って、

「ハァイ愛しのハニー! どうだい、自分のコーディネートは気に入ってくれたかね」
「帽子屋…。…ハロウィンのコスプレか何かか?」
「その通りだ! 察しが良いな」

 流石だと満足そうに頷かれるけれど、流石に10月31日の今日でこんな奇天烈な恰好をしていたならそうとしか思えない。然し帽子屋の恰好はコスプレとは云え警官なのだから、若干ズレているような心持ちもする。アリスが制帽を被った彼女にその事を云うと、マッダーは「ああ」と云うなりキャメル色のトランクからマスクを取り出した。
 訝しげな顔をしながらアリスがそのマスクを見てみると、それは口が大きく裂けた男の顔だった。そしてその顔に見覚えのあったアリスは複雑な心境になったけど、対する帽子屋は実に嬉々として、

「ジョーカーのコスプレだ! 良いだろう?」
「あ、ああ…」
「因みに双子はレザーフェイスとフレディ・クルーガー」

 その不穏な響きにアリスは一瞬たじろいだが、試着室のカーテンから出て来た双子を見るなり胸を撫で下ろす。ドルダムは血塗れのエプロンを着てチェンソーを持ち、ドルディーはボーダーの服を着て右手に長い鉄の爪を持ち合わせてはいるけれど、帽子屋のように悪趣味なマスクを被らずに可愛らしい何時もの顔が露になっている。双子は直ぐ様アリスに抱き着いて、

『アリスたん、トリックオアトリートォ!』
「え…。しまった、お菓子…」
「…持ってないの?」
「…すまん」

 ハロウィンの今日にこんな事が起こるのは解りきっていた筈なのに、ハロウィン自体にあまり馴染みもなければ愛着もないアリスはすっかりお菓子の存在を失念してしまっていた。
 ならば今からお菓子を買うと云おうとしたアリスに、ドルディーは然し大層悪戯げに笑んで、

「なら悪戯ね!」
「悪戯…?! ちょっと待った、」
「…ドルダムは、どちらかと云えばアリスたんに悪戯されたいなぁ…」
「? 何か云った、ドルダム」
「う、ううん」

 ドルダムは物欲しげな顔で自分の唇に手を当てたけど、直ぐに首を横に振って「何でもない」と片割れに笑う。そうして笑顔でチェンソーを大きく振り翳し、先をアリスの顔へと向けて、

「ならアリスたんの指一本頂き!」
「?! それは悪戯の域を超えているだろ!」
「何やら面白そうな事をしているじゃあないか」

 8歳児が持ち出したとは思えないそのえげつない内容に愕然としたアリスの後ろから、馴染みのある声がした。その声に対してドルダムは一気に顔を醜悪なものにする一方で、帽子屋は大いに破顔する。
 その声の持ち主であるラビは黒色の立派な二角帽を被っており、右手には色とりどりの宝石が嵌め込まれたサーベルを持っている。ピアスだって普段のようなシンプルなシルバーではなくて派手な宝石のものだった。コートからブーツまで何から何まで立派な出で立ちにアリスは呆れ果てたようであり、

「…何でそんなに立派な海賊のコスプレをしているんだよ…」
「帽子屋コーディネートだ」
「……成る程」

 海賊の恰好なら眼帯もまた様になって見える。この分なら今年のハロウィンもラビが女性達の視線を釘付けにするだろうとアリスが思うと同時、ラビが入ってきた扉から豚の被り物をした少女が現れた。彼女は手袋を嵌めた右手に鉈を持ち、シンプルなTシャツに血に塗れたエプロンをかけている。アリスはその悪趣味さに顔を引き攣らせたが、クイーンは思わず目を光輝させた。その豚の肉屋の正体は勿論グリフォンである。
 グリフォンは海賊に後ろから思い切り抱き着いて、

「ラヴィ! ボク早くお菓子貰いに行きたい!」
「…その恰好は止めるよう云った筈だが…」
「何で?」

 豚のつぶらな瞳がラビを見上げ首を傾げるものなので、何かを云いかけたラビは云うのを止めておいた。お咎めもなく済んだグリフォンはラビが彼女の恰好を認めたと思ったのか、「ボクラヴィと将来お肉屋さんしたいなぁ」と云う。アリスは肉屋で働くラビを想像してみたが、あまり想像の行くものではなかった。ドイツの裏通りで肉を切るよりも、何処かのホテルのラウンジで紅茶を出す方が相応しい気がした。
 帽子屋は愉快げに口を開け、

「大分賑やかになってきたな。ハロウィンはこうでなきゃ」
「そうだ帽子屋、エンプソンは…」
「ん? ああ、さっきから試着室に引きこもりっぱなしだな」

 社員に対する扱いが随分と非道い社長だからまたオフィスに置いてきたのかとも思ったが、どうやらちゃんと白兎に連れて来たらしい。しかもエンプソンにコスプレもさせているようだ。彼女の事だから「眼鏡にコスプレなど勿体ない!」とでも云いそうなものだけど、今日の待遇は随分と良いように感じる。
 帽子屋は口の裂けたマスクを被り、試着室に大股で歩み寄る。そうしてカーテンを強引に開け、

「ほらエンプソン。早く出て来たまえ」
「無理…って、何ですかそれ、怖い!」
「可愛いだろぉ?」
「可愛くないですよおお!」

 何時もの調子で2人コントを繰り広げながら、帽子屋は厭がるエンプソンの右手を掴む。そうして暴れ回るエンプソンを皆の前まで持って行ったが――、刹那アリスを除く全員が多少は動揺した顔をした。

「どうだ、皆の衆。自分がコーディネートした中でも最高傑作」

 星の飾りのついた大きな魔女ハットと床につきそうなまでの長いマント、クイーンのものよりも丈の短いフリルつきのスカートに先の曲がったロングブーツ。そして極めつけに帽子屋は、彼女がずっと持っていた魔女ステッキを両手に持たせてみせる。普段なら無造作に落ちている髪の毛も今日はヘアピンで可愛く固定され、大きな黒縁眼鏡だって存在せずにオッド・アイがよく見える。
 エンプソンは周りが何も云わず自分を見ているのに不穏な空気を読み取ったらしく、俯き加減になると小さな声で、

「は、はは。お、可笑しいですよね、全くもう。こんな恰好似合わないし、早く脱ぎたくて――」

 沈黙を破ったのはクイーンで、クイーンは近寄るとエンプソンの顔を覗き込む。そうして思わず身構えるエンプソンを相手に随分と失礼な事を云ったものなので――アリスがクイーンの頭を叩いたのは、云うまでもない事だった。


「君、整形でもしたの」






「よく来たな、ジャバウォック」

 何もない寂れた街だった。汽車に乗ると一時間も掛からないような栄えた街と比べたら、月鼈だった。例えるならもう一つのその街は光り輝く花に果汁の美味しい果実がなる植物だったが、この街は花の咲かないサボテンか或は雑草だった。それでもジャバウォックはこの街が好きだった。
 この街で一番大きな家(勿論、普通に云えばとても小さい家だったが)に街中の子供達が集まって、大所帯の家族のようだった。テーブルの一番奥には銀色の丸眼鏡をかけた老人が、そしてその対極にはジャバウォックが座っていた。長いテーブルの上には安いお菓子や手作りのパン、ケーキ等が大量に並べられている。飲み物はぶどう酒やオレンジジュースの他にりんごジュースもあって、真ん中には黄色い小さな花がコップの中に飾られている。決して豪華とは云えなかったけど、それでも種類の多い蝋燭で灯されたその場の雰囲気は、幻想的であるとも云えた。
 ジャバウォックの近くに座る子供は手作りの人形を差し出して、

「ジャバウォッキー。これね、あたしが作ったの。それであの苺の飴の隣のケーキはあたしのお母さんが作ったやつ」
「こらサリー。何抜け駆けしてんだよ、…ジャバウォッカ、俺からはエアガン。あのムカつく店主から部品を幾つか掻っ攫って作ったんだ…」
「私は刺繍。お誕生日おめでとう。ママとパパが宜しくって」

 子供達が口々にジャバウォックの生誕を祝い、そうして心の篭った贈り物を渡して行く。ジャバウォックはそれらを全て笑顔で受け取りながら、「ありがとう」と感謝の気持ちを述べて行く。そんな様子を老人であるラースは暫く無言で見守っていたが、

「…然しジャバウォック。毎年帰って来てくれるのは有り難いが、白兎には居なくて良いのか」
「あっ。耄碌ジジィ、余計な事云うなよ!」
「そうよ、あんな意味の解らない場所より此処の方が良いに決まっているのに!」

 子供達はジャバウォックを思うが故にラースに反論するが、「これ」とラースから叱咤されると大人しく口を噤む。髪の毛の生えていない少年からブリキの玩具を受け取ったジャバウォックは彼らしく緩く笑い、

「まあまあ。ラースおじさん、お兄たんは此処が凄く気に入っているからさ」
「さっすが皆のお兄たん!」
「ねぇジャバウォッキー、お話聞かせて頂戴。海に消えて行った人魚姫のお話」
「待った、涙が宝石になった女の子のお話が先だ」

 ジャバウォックが育った街で同じく生まれた子供達が、我先にとジャバウォックの話を独占しようとする。皆テーブルの上のお菓子よりも、そちらの方が余程ご馳走のようだ。全員が全員、顔を光り輝かせながら今か今かと待っている。
 ジャバウォックは「何が良いかな」と微笑みながら云って、少し経つと決めたように人差し指を立てる。そうして心地の良い声色で、プレゼントを贈るように皆の耳に優しく音を落とした。

「それじゃあ未だ話していないお話。心優しいゴブリンのお話をしよう」

 皆は突然押し黙り、真剣な顔で(然し頬は紅潮させたままで)ジャバウォックのお話に聞き入った。







「随分と遅い帰りだったな」

 ジャバウォックが白兎に帰ったのは、日付が変わった頃だった。階段のところでそう云って迎えたアリスにジャバウォックは緩く笑い、「アリスこそ珍しく遅くまで起きているね」と云った。アリスはそれに返事はせず、

「ハロウィンだからお前が燥ぐと思ったが」
「お兄たんは落ち着いた人間だからそんな事は」
「嘘を吐くなよ。…そうだ、早く部屋に戻ったらどうだ」
「? どうして」

 部屋で双子が待っているとか。そうと尋ねると、アリスは首を横に振る。そう云えばアリスの服は早朝に見た服装と全く一緒だった、彼はコスプレをしなかったのだろうか。確かにアリスはそんなタイプではないが、帽子屋が居るなら無理矢理にでも着せられそうだが。ジャバウォックがそう思っていると、

「双子は俺の部屋で寝ている」
「…。やーだ、云っとくけどお前にはやらないからね」
「何でそんな話になるんだよ…」

 ジャバウォックは弟妹を溺愛する兄として危機感を持ちながらあながち本気で云ったけど、年齢が年齢だからかそんな気が更々ないアリスは「良いから部屋に」と再度催促する。そんなに部屋に何かあったろうかとジャバウォックは考えを巡らせるが、

「枯れるだろ」

 アリスはそれだけ云うと、「じゃあな」と云って踵を巡らせて自分の部屋へと戻ろうとしたが、思い出したように足を止める。その言葉がジャバウォックの耳に補聴器を経て届いた時、ジャバウォックは 言葉とはこんなにも温みを孕むものだったろうか と思った。

「お誕生日おめでとう」




 放送室の前には一種類の花で出来た花束が丁寧に置かれていた。見た事もない白くて大きな花だった。花束にはカードが挿されていたが、カードには差出人の名前も何も書かれていなかった。
 この花束がアリスからではない事は、無論ジャバウォックには解っていた。彼が差出人だとすると、わざわざ枯れるからなんてお節介な事を云う筈もない。そして差出人も解ってしまったジャバウォックはやれやれと肩を落としながら、放送室の扉を開けて中に入った。暗い室内に電気を点け、明滅するランプに目を細める。
 カードを右手に取って掲げると、その白地にそっと唇を落とす。この花を贈与した相手の律儀さに罪悪感が生まれない訳でもなかったが、嬉しさがあるのもまた事実だった。デスクの上を見ると、小さな子供が描いたのであろう絵が置いてある。小さな子供が2人に、大人が1人並んで手を繋いでいる絵だった。


「…血が苦手なお兄たんは、こんなハロウィンの方が好みかな」

 ジャバウォックはそう云うと慈しむように絵の表面を指でなぞり、花を飾る花瓶と絵を飾る額縁を用意しなければ――なんて1人思って目を閉じた。




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リクエストで「ハロウィンにコスプレする白兎」でした。ジャバと帽子屋と双子を気に入って頂けているようでしたので、若干彼等(主にジャバ)が目立つお話になりました
リクエストありがとうございました!


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