アリスがスペインの方に仕事で向かって白兎を空けてから、三日が経過した。

その間に白兎で変わった事は存外存在する。双子が泣く、帽子屋が退屈だと溜め息を吐く、エンプソンが肩を落とす、ケイティが益々部屋から出ない、門番が嬉しそう、グリムの仕事が増える、そしてラビとジャバウォックの食生活が悪い方へと一気に変わる。
詰まり物事は大抵悪い方にしか傾かず、彼の存在とは案外大きかったりする。



ジャバウォックは肉汁たっぷりのハンバーガーと脂まみれのポテトを、そしてラビはチョコレートの溶けたドーナツを今日も頬張る。僕は彼等と向かい合って魚料理を食べる。視界に映るどぎつい緑色のジュースとミルクで色の薄められた紅茶とは、中々どうして見る者の機嫌を損ねるものだ。僕はフォークを置くとナプキンを取り、自分の唇を優しく拭くと、

「君等って駄目人間だね」
「? 何が」
「たった1人居ないだけで一気にそんなていたらく」
「…ああ、食生活の事?」

ジャバウォックは漸く合点が行ったのか、納得した顔をすると苦笑して「今くらい好きにさせてよ」と云う。彼の両手の指先にはナプキンから染みた脂が付着している。アリスが見たらさぞかし呆れ果てるに相違ない。
然しアリスが居ない今は怖いもの知らずであるものなので、ジャバウォックは得意そうな顔をして、

「『ビッグ・マミー』が居ないのは快適なものだね。やっぱり子供はこうでなきゃ大きく育てない」
「チミは何時まで子供で居る積もりなんだか」
「耳が痛い…」

ラビの的確な指摘にジャバウォックは肩を竦め、それから「でも」と指を舐めながら僕を見る。一体何の反論だかとさほど興味のない顔で彼の言葉を待っていると、少しだけ予想外の言葉が出たものだから僕は目を瞬かせた。ジャバウォックは人差し指で僕の背後を指差して、

「女王だって好き勝手じゃない。あんな悪趣味な絵画をこんな所に堂々と飾るだなんて」

彼が云うは僕の後ろの壁に掛かった一枚の絵画だった。昨日わざわざオークションまで赴いて買った、三体の骸骨が1人の男に群がってその身体を貪っている油絵。各々の骸骨は頭に冠を被ったり、宝石だらけの杖を持っていたり、豪奢なマントを羽織っていたり。それらは全て王の所持品で、王とは正に喰われている無惨な姿の男の事だ。或る西洋の小さな国の王の権力が失われた際、当時無名の画家が描いたものだった。
僕はこんな退廃的なものに何故か惹かれて止まないが、こんな絵画はアリスの趣味ではないだろう(きっと彼は一瞥するだけで顔を歪めて「趣味の悪い」と吐き捨てるに違いない!)。僕は思わず微笑んで、

「――確かにね」


…僕だって、アリスの所為で今まで散々折られていた羽を一気に伸ばしている。





「アリスが帰るまで後何日だったか」
「2日。…何、気になるの?」
「気になると云うか、…アリスと云うよりは、今の白兎の状態が」
「ああ…」

アリスが居なくなって5日目の昼。目に見えて白兎の中が汚くなった訳ではないが(メイド長のマクベスが良い仕事をするのには変わりない)、通路を歩く皆にどうも覇気がない。アリスが何時も喝を入れていたから必然的に白兎の人員は威厳を保っていたのだが、それがなければあまりにも堕落しているものだから、呆れて開いた口が塞がらない。さながら指揮官を失った軍隊だ。
椅子に腰掛けたラビは銀色のカフスを外しながら、

「本来はクイーンの仕事だろう? アリスのよう叱咤激励してみては」
「僕の柄じゃないな。放任主義なんだ」
「成る程」
「…アリスと云えばさ、」

僕はわざと胸元のベッチンのリボンを弄りながら、ラビの顔を見ないように努めて話をする。ラビは僕が果たして何を云うのかと、動きを止めて先を促す。僕は何て事もないように、

「お土産頼んだんだ。彼はセンスがないから、期待なんてしちゃいないけど」
「けど?」
「君はお土産を貰えないけど、僕は貰えるんだぜ、って事」

何と子供らしい主張である事か。ラビは恐らく笑いそうになった口元を自然に左手で隠し、「それはそれは」だなんて云う。云った後で忸怩たる思いに駆られ、己が耳まで真っ赤になり行くのを感じながら、慌てて椅子から立ち上がり、

「ま、まあ、当然だけど!」
「良かったじゃないか、…くっ…」
「わわ笑うな! ああもう厭な奴!」

宣戦布告し合った仲であるくせに、ラビは余裕綽綽なのか笑いを堪えて「良いお土産が貰えると良いが」なんて云う。僕は目の前のラビを殴りたくて堪らなかったが、先程からグリフォンが会話に入りたそうにこちらを窺っているからそれも叶わない。僕は席を立ち、それからグリフォンにラビを譲るべくして彼女を見ながらラビの頭を指差した。するとグリフォンは喜色満面でこちらへ走って来る。

「ラヴィ、ゾンビ撃ちたい!」

僕と擦れ違う時に発したその言葉に、ラビは溜め息を吐く。






そして2日後、――要するにアリスがスペインに旅だってからぴったり1週間後の事。彼はマジョルカ刺繍のなされた真っ白で薄い生地の巾着袋を持って帰ってきた。正直僕の趣味ではなかったが、彼にしてはまあよくやった方だろう。「60点」と云って受け取ると、アリスは不味い虫でも食べたような顔をして「偉そうに」と云う。相も変わらずあっちだって生意気だ。

「…それより、あの悪趣味な絵画は何だ。少し見なかっただけでこんな事になるなんて聞いてないぞ」
「云ってないもの」
「お前はまたそう云う…、」

云いかけて、大広間の扉からやって来たラビに気が付いたアリスは軽微に眉を顰めだす。ラビはそんなアリスの態度に何の反応も示さずに、僕の手に握られた薄い白色を指差して「お土産はこれかい」と尋ねた。アリスは不機嫌に釣り上がった眉を直す事もなく、

「云っておくがお前にはないぞ」
「ああ。解って…、…いや、ちゃんとあるじゃないか」
「? 何を云って…」

アリスだけでなく僕だって不可解だ。アリスと僕が同時に顔を顰めた時だった。――ラビは突然アリスの右手を掴んで自らの方へと引き寄せると、お互いの唇を重ねた。僕の手から袋が音を立てて落ち、唇は直ぐに離れる。状況に着いて行けず硬直するアリスの前でラビは薄く笑むと、きっとそこらの女性なら骨抜きにしてしまうような妖艶な声色で、

「只今のキス」

それだけ云うとラビは踵を返し、アリスの罵声が浴びせられる前にさっさと部屋から出て行ってしまう。漸く覚醒したらしいアリスが慌てて自分の口元をシャツの袖で乱暴に拭い、それから僕の方をぎこちなく見たけれど、

「…ひっ」

アリスの顔が蒼白になった時、空気を読めずに大広間に入って来た1人のジャバウォック。彼は陽気に右手にハンバーガーの袋を持っていたが、アリスの姿を視認するなりわざとらしい役者のようにそれを背中へと回して隠す。そうして左手を上げて安っぽい笑顔と共に「帰ってたんだ」なんて云う。ジャバウォックは両目の水色を細めたまま、

「アリスも女王もお昼未だなんじゃない? 何なら今から一緒に食べる」

そう云えば今はお昼時。僕はジャバウォックに向かって笑顔を作り、「良いね」だなんて返事をする。隣のアリスは多少驚いたようだったが、然し次の僕の発言で、合点も行ったのではなかろうか。

「丁度兎料理が食べたかったんだよね」


しかもめった刺しにしたやつ。




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訳:死ね。

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