奇妙な夢を見た。僕が1人で椅子に座り、その状態のまま只々じっとしているだけの夢だ。
 真っ白な部屋だった。扉も何もないようなそこは、味気ないと云うよりは現実味のない空間だ。僕の前には大きなスクリーンが浮かんでいて、その画面には周囲の(恐らく空間の外の)光景が映し出されている。僕はそれをひたすら眺めるだけだ。介入も何もしない。
 画面の中の人間達は阿鼻叫喚しているが、僕はそれを口も開かず本当に見ているだけ。もしも神のような存在が居るとしたら、多分こんなものなのだろうと漠然と思った。神に縋る可哀想な人間達をこうして離れた場所で客観的に見て、何もせず、只座るだけなのだ。
 もしも神が人間に恋をしたら、同情をしたら。きっと気が触れるのだろうと思えた。何も出来ない自分の愚かさ加減を呪い、スクリーンから視線を逸らして耳を両手で塞ぐのだろう。頑なに目を瞑りながら、己の境遇を憎むのだろう。縋られているのに何もしてやれないのは、とても気が滅入る事だった。
 そうしてスクリーンに僕の■■が映し出される。彼がこちらを見ると同時、彼の首が一瞬で刎ねられた。鎌鼬か何かで切られたのだろう首の断面図が僕の目の奥まで熱く焼き付いて、

 ――世界が音も立てずに壊れた。






「それは変な夢だな」

 彼が夢に出た事は隠して今日見た夢の内容を教えると、彼はスクランブルエッグを食べながらそう答えてくれた。僕はショートケーキの苺を銀色のフォークで刺して、「アリスは今日どんな夢を見たんだい」と尋ねた。彼は料理に向けた視線を一瞬だけ僕の方へと変え、それからまるで味気ない料理を咀嚼している時のよう、実に詰まらなさそうな顔で淡々と今日の夢の話をしてくれる。彼の夢の内容とは以下のようなものだった。

 …黒黒とした大きな鳥達が、群れをなして空を覆っている。隔離された孤島のお話だ。昼食を食べ終えてから外に出ると、外では車が燃えていたり両目を鳥に抉られた悍ましい死体が横たわっていたりする。鳥は自分の姿に気が付いて、剣のように、或は氷柱のように真っ直ぐに急降下してきて自分を狙う。
 何時もの日本刀は腰にはない。周りに何か助けになりそうなものもない。先程まで昼食を摂っていたレストランも何時の間にか失くなっている。逃げ場を求めて仕方なく走る。鳥が自分の頭や腕を突き、ハイエナに群がられる死体の気分を味わう。
 どれ程走ったのか解らない。顔や手に沢山の傷を負った時、前方に人が立っていた。鳥はもう居なくなっていた。前に佇立する人物の顔は一枚の紙で出来ていた。ピエロのような胡散臭い表情の描かれた紙だった。その人物は右手に自分の身長程の大きさの鋏を持っている。洒落た刺繍鋏のようなアンティークの鋏。
 突然その人物が自分(アリス)の腹部を鋏の先で刺した。血が出る代わりに噎せる程のくちなしの匂いが強く香った。苦しさはなかった。相手の顔が更に嬉しそうなものへと変容する。そうしてまた自分の身体を幾度も刺す。然し自分は倒れない。そんな自分に腹を立てたのか相手の顔はどんどんと苛立ったようなものになり、何度も何度も刺してくる。然し自分は死なず、くちなしの香りが一層強くなるだけだ。鳥に襲われた時は多く血が出たと云うのに。そして自分は何故か一切の抵抗をしなかった。
 只、くちなしの匂いがあまりにも強くて、吐きそうだと思った。




「そこで目が覚めた」

 彼の夢も中々変わったものだった。彼はミルクの入った硝子のコップを掴み、「ヒッチコックのような世界だった」と云った。成る程前半の鳥のシーンは確かに映画そのものだ。
 僕はシュガーポットの蓋を開け、

「悪夢じゃないか」
「悪夢…。…愉快な夢を見た記憶がない」
「本当かい」
「ああ。何時もこんな…」

「頭上に気を付けな」

 嗄れた声が会話に突然割って入る。僕と彼が驚いてその方向を見ると、そこには鮮やかなピンク色の民族衣装に身を包んだ背の高い女性が立っていた。彼女の両手には大量のバングルや布が巻かれており、指には指輪が多く嵌められている。以前クイーンが拾ってきたと云う、白兎の『占い師』だった。
 彼女は長く伸びた漆黒の髪を掻き上げて、少々何処か鬱陶しげな声色で、

「その夢はアンタの桎梏も表しているが、実用的な事だけ云うと頭上に気を付けろとの警告だ」
「…頭上?」
「それとそっちのルビーの目をした方。アンタは近い内に後悔するかも知れない、考えを変える事だね」

 彼女はどうにでも取れるような、それでいてどうにも不気味な事を云うと、愉快げに笑ってその場を後にする。僕とアリスは顔を見合わせるが、アリスの顔は不可解そうな色を多分に帯びていた。

「お前が後悔? 何だろうな」
「…さあ、解らない。まああまり占いは信じないから、」
「そうだな。俺も…」

 その時だった。突然上の方で銀色に光るものがあり、僕は席を立つとアリスの腕を掴んでそのまま思い切り自分の方へと引いた。彼の身体が僕の方へ預けられると同時、先程まで彼が座っていた椅子に銀色の鋏が突き刺さった。周囲がざわめく中で上を見上げると、そこには顔を蒼白にした誰かが手摺りに縋りながら、泣きそうな顔で「ごめんなさい!」と声を張り上げてこちらに謝罪の声を落としている。恐らく故意のものではなかった。
 彼からしたら僕に縋り付くようなこの体勢は不本意ではあったろうが、然し何時ものように厭そうな顔で直ぐに離れたりはしない。僕の背中に手を回したまま椅子に刺さった鋏を見ると、一種不安さをも帯びたような声色で、

「…一度で終わるよな?」
「…さあ。…今日は外に出ない方が」
「……」

 彼は僕に縋る手の力を本当に一瞬だけ強くしたが、直ぐに手を離すと身体も離し、「莫迦莫迦しい」と一転して気丈に振る舞った。




 僕の部屋の中、彼は至って不機嫌だ。まるで無理矢理鳥籠に入れられた鳥のように、羽を広げて外を飛びたいのだとでも云わんばかり、嘴から騒がしく抗議の声を放つ。

「俺は自分の部屋に戻る」
「いや、今日は本官の部屋に居て貰う」
「…占いは信じないんだろ」
「今日だけは信者に」

 彼は呆れたような顔をして、そうして不満だらけの眼差しを僕に送る。後悔とはアリスを離して死なせてしまう(今や大袈裟でもない)事かも知れない、それならば煙たがられてでも彼を守るべきだった。恐らく僕の部屋なら流石に安全だろう。然し彼はこんな形で1日だけでも閉じ込められるのは大変不本意であるようで、

「なら防空頭巾でも被れば文句はないな」
「防空頭巾?」
「…赤頭巾、みたいな」
「それって鋏も弾くのかい」
「……」

 返す言葉もないらしく、口から何も出せずに居る彼はそれでも必死に妥協案を模索しているようだったが、それが見付かる気配はどうもなさそうだ。早々に諦めて大人しくしてくれれば僕も楽なのに、彼の性分がそれを許さないらしい。此処まで頑迷なのも考えものだった。

「明日になったら帰す」
「…お前の部屋で寝ろってか」
「本官がアリスを抱き締めて寝れば頭上も安全。しかも夢見も良さそうだ」
「そりゃ最高だな」

 随分と刺々しい厭味で返してくる。結構本気で心配しているのだけれど、彼はそんな僕の気持ちも知らずに愚痴を幾つか零しながらベッドに横になる。そうして小さなクッションを1つ取るとそれを両手で抱え込み、

「俺は最悪な夢を見そうだけど」
「なら深い眠りにつくかい」
「どうやって」
「疲れて」
「部屋に閉じ込もってどう…、」

 そこでと或る1つの考えに至ったらしく、彼は怒ったような侮蔑したような、それでいて顔を赤く熟れた果実のようにすると「…最低だな」と云った。肩を竦める僕が気に喰わなかったのか彼は腕の中のクッションをこちらに向かって投げて来る。僕がそれを避けるとクッションは力なく壁へと当たったものなので、僕は彼から視線を外すと腰を屈めてクッションを拾った。
 クッションに手が触れた時、後ろから噎せるようなくちなしの香りが突然強く匂った。厭な心持ちがしてクッションを持つ事なくベッドの方を見ると、――…ベッドシーツの表面はべっとりと赤色で汚されていて、彼の姿はなくなっている。「アリス」と彼の名を呼んでも返事が来る事はない。血の匂いがする代わりにくちなしの匂いばかりが部屋を犯す。指先の感覚がなくなる思いで、頭がくちなしの花びらで覆われて真っ白になって行く。
 僕の両の頬を後ろから撫でる者が居た。ゆっくりと振り向いた先には消えたと思った彼が居たが、くちなしの香りは今やベッドからするのではなしに、彼が口を開く度に強く強く香った。

「『貴方』に2つの問題です」
「…問題…?」
「1つ。これは俺の悪夢でしょうか、それとも貴方の悪夢でしょうか」

 この言葉からもこの世界が只の夢なのだと云う事が解ったが、彼の言葉の真意を判断しかねて動きが止まってしまう。『彼が死ぬ』事は彼の悪夢か、それとも僕の悪夢か。主体を持ち得ている僕からしたらこれは僕の夢だと云った方が恐らく正しいが、然しその主体と云うものは本当に有り得るものなのか? 実は錯覚ではないだろうか? そして僕の目の前の彼は果たして誰だ?
 何も云えないでいる僕に艶然とした姿を見せて、彼はそうして「もう1つ」と云う。くちなしの匂いが強くて吐きそうだった、と彼は朝食時に云った。その意味が解った気がした。まるで香水瓶の中に閉じ込められてしまったように、香りが非道く攻撃的で凄まじい。

「悪夢は何時終わるでしょうか。終わらないとしたらどうしますか」

 最早彼のものとは云えないような自棄に機械的な口調だった。どころか声すらノイズがかっている。まるで壊れた古いラジオのように。
 背中が何か鋭利なもので刺されたが、ベッドシーツに付着したような赤色が飛び散る事はない。痛みだって何もない。然しくちなしの匂いだけが辺りに充満しては消えず、永久に蔓延って僕を苦しめる。


 現実世界の時計の音とは果たしてこの夢の中で聴こえて来るものなのだろうか、くちなしの花びらで覆われて妨害されてしまうのではないか。
 鳥籠に閉じ込められた鳥は何時開放され得るのかも解らずに、朝日が差すのを待って只々苦しみに耐えるばかりだった。



---

アリスは明らかな悪夢を、ラビは真っ白な悪夢を見そうだと思って。今までの小説を振り返ってみても夢のお話が好きなのかも知れません


「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -