その日は雨が降っていて、朝でも空は薄暗かった。まるで自殺願望でも持ち合わせている神様の心情を鏡で映した時のようで、窓から外を眺める僕の顔も心なしか沈むようだった。

 何時ものような革靴ではなくて、長めの雨靴を下肢に通す。靴下をもう少し短くしたほうが濡れなくて済むだろうかと履いてから気が付いたけど、脱いで履き直すのも面倒で このままで良いだろうと思った僕は立ち上がり、鏡で全身をチェックする。
 黒色のネクタイを綺麗に正し、シャツやジャケットに埃がないか確認する。半ズボンやベルトも問題がないか隅々まで見て、そうして漸く右手に1本の傘を持つ。柄の部分が黒い、何の変哲もない大きなビニール傘だった。
 どちらかと云えば本降りの外は見るだけで外出するのを躊躇わせたが、此処まで準備したのだから後は行く以外に手立てがなかった。
 せめて着替えなければ良かったのに。





 町外れの教会の前に、スーツを着た1人の青年が立っている。その姿には非道く見覚えがある。彼の後ろ姿を見ると何故か泣きながら縋り付きたくなる。これは僕の意思等ではなく、遠い世界に居る誰かの意思のように思えた。
 雨が草原の表面を打つ中で、僕は彼の後ろ姿に小さく声をかける。

「スティーブ」

 僕と同じ種類のビニール傘を差したスティーブが、僕の方をそっと見ると 何の感動もない声で「よおダレン」とだけ云った。僕は彼の側に寄り、隣に立つと彼の視線を静かに追う。彼は僕を見るのではなくて、目の前の教会を只じっと見ていた。
 白色の大きな十字架を屋根の上に置いただけの、何の変哲もない小さな教会だった。晴れの日に見ればまた印象も違ったろうが、雨の降る今見ているからかどうにも明るい印象は受けられず、まるで死体か心を持てず嘆く怪物でもひっそりと住んでいそうな印象を受けた。
 スティーブは教会から視線を外さないまま、僕を見る事もなく、

「昨日この教会で」
「うん?」
「ブスが挙式を挙げていた」

 スティーブへと視線を遣ると、彼が漸く僕の方を見ていた事に気が付く。僕は何も云えないでスティーブの次の言葉を待つが、彼は今度は僕から視線を少しも外そうとしない。彼の成長した肩幅や鼻筋を見て、何時からこんなにも成長したのだろうと思った。まるで僕だけ成長と云う時間の波に置いて行かれてしまったようだ。
 スティーブは八重歯のある鋭い歯を見せるように口を開くと、

「あんなブスでも幸せになる権利ってあるんだな。笑っちまうよ」
「…顔は関係ないだろ?」
「そうか? 俺には可笑しいよ。鏡を見た事があるのかってな。似合わねえ純白のドレスに醜い身体を包んで、一丁前に薬指の指輪を誇ってやがる」

 豚のような指だ、と彼は笑って悪態を吐く。僕はその花嫁を見た訳ではないけれど、多分そんなに非道くないとは思う。スティーブは昔から底意地が悪かった。僕は見た事のない、幸せ一杯の花嫁に内心で同情した。
 スティーブは黙り込む僕を見て、突然「左手を出せ」と云った。僕はその真意が解らずに訝しんで眉を顰めたが、彼がもう一度催促をしたので仕方なく左手を出す。
 僕の傘の中から彼の傘の中へと左手が滑り込む際に、雨に打たれて手の表面を透明な水が滑り落ちる。その冷たさを何も思わずに只々味わっていると、スティーブの右手には今のちょっとした間に握られたのであろう、細長いナイフが鈍く光っていた。
 それを怯えもせず、つい今し方左手に雨が落ちた時のように、無感慨に眺める。無警戒に左手を差し出す僕の薬指を、彼のナイフが刻んだ。それは皮膚だけを上手く切り、円を描くように指周りを丸く切られた指の付け根はまるで指輪が嵌められた時の如く 滲み出た僕の赤色の血で悪趣味に飾られる。
 僕がそれを眺めている間にスティーブは自分の薬指にも同じように傷を作り、そうして僕の薬指と合わせた。雨の雫が落ちて冷たい左手と、互いの血が混じり合って熱さを孕む一点の対比がとても不思議で 不気味な事に何時までもこうしていたいとさえ思う僕は きっとこの雨の毒にやられてしまったのだろう。
 スティーブはお互いの左手を密着させたまま、

「俺達の方が余程幸せになって良い。だろ?」
「…これって指輪の積もり?」
「俺達らしいだろ、あんな安い宝石より」

 確かに僕等には立派な金色の結婚指輪なんて恐らく似合わないし、晴れの日よりも雨の日の誰も祝わない挙式の方が、余程らしいと思った。一応フォーマルなスーツ姿で僕を迎えてくれたのは、彼なりの誠意なのだろうか。花嫁のウェディング姿とは全く違う色の己の服装と、子供じみた雨靴を恥じて顔を落とす。
 僕の台詞は僕の恥ずかしさを隠す為のものでしかなく、風に靡くベールの機能を果たさない。

「こんな指輪じゃ消えるだろ、直ぐにさ」
「そしたらまた刻む。それで続ける内に肉体に永遠に彫り込まれるって寸法だ」
「…莫っ迦」
「失くす指輪と違って地獄にまで持って行けるんだ。何だダレン、俺様の考えに不満があるのかよ」

 スティーブの頭の中にはどうやら天国と云う言葉がないらしい。確かに僕等の今までの言行では天国なんて極楽には決して行けはしないだろう、僕の左手を持って薬指に唇を落とすスティーブの顔を見ながらそう思った。
 それでも悔いなんて一切ない。僕はスティーブの言葉に小さく首を横に振り、そうして薄く微笑んで云う。
 僕等はこの時結婚の話をしているのではなく、まるで腹が立つ教師に共に悪戯をする算段でもしているようだった。


「ある訳無いだろ? スティーブ・レパード。…地獄でも宜しくな」

 貴方と居るのなら、地獄だってきっと美しい遊園地と化すだろう。




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自分達だけが可愛いスティーブが好きです。

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