『罪悪と贖罪』の前身となるお話でした。小鳥遊とアリスをこう云う形で絡ませてもな、と云う事と新キャラの在り様に悩んで結局没に。




「相変っわらず此処は男だらけでむさ苦しいあるなあ」

白兎、アリスの部屋。そこには部屋主のアリスだけでなくラビとグリムとケイティも居て、4人でラビがアイルランドで見てきたものを話しているところだった。ラビはあれから回復し、グリフォンは笑顔で彼を迎えて暫く側を離れようとしなかった。
さて、であるから逆を云えばこの部屋には4人しか存在しない訳なのに、突然空気を裂くような軽快な調子で高めの女の子の声がした。聞き覚えはあれど今この場所で聞こえるのは些か可笑しい。声が放たれた方の窓側を一同が見るとカーテンは風でたなびいており、開いた窓のそこには私立女子校の制服を着た1人の女の子が座っていた。
彼女は驚いた顔の4人の視線を気持ち良さそうに受けると右手の扇子を閉じ、ピンク色のリボンで高めに結われたサイドの膝までの髪を揺らして颯爽と部屋へと下りる。そうして抜群のスタイルの体躯を凜と張ると、

「久し振りあるなあ。元気してたあるかあ」
「アースラ…!」

名前を呼ばれた彼女――痲蜍(まじょ)アースラは満足げに笑顔を作り、真っ赤なタッセル付きの鉄扇をもう一度開くと派手な動作で顔の前へと持って行った。

アースラはその黒色のブレザーと襟のピンク色のリボンと灰色のスカートが示唆する通り、現役の女子高生である。彼女は自分の優れたスタイルを生かしたモデル業もして、台湾の若者から絶大な人気も得ている。然しアリス達と知り合いなところからも彼女は同時に裏社会の人間で、裏社会で恐怖される『郵便屋』(鉈や包丁で武装しドーベルマンを従える彼等はお金を払えば何でも必ず届けるが、郵便を妨害する者は容赦なく痛め付けるので喧嘩を売ってはならないとされる)のボスの一人娘だった。彼女は故に武器も一人前に扱えて、右手に持つ鉄扇が武器であると同時足技を得意とした。
アースラは4人の輪に近付くと、長く伸びた下肢を包むローファーをラビの前に突き付けて、

「テメーの色男っぷりも変わらねーあるなあ」
「そっちの色気も相変わらずで何より」
「はんっ。まあ我はテメーみたいな奴は信用ならねーから好きじゃねーあるけどな」

アースラは云うと灰色の瞳を細くして、残りの3人を見て故意的に大きな溜め息を吐く。気まぐれで稀に遊びに来る彼女がこうしてずけずけとものを云うのは最早定番なものなので、嵐のような彼女が去るまで何時も一同は苦笑で上手く対応をしていた。
彼女は今アリス達が何をしていたか等と云った事には興味のかけらの1つもくれず、面白くなさそうにストレートに伸びた灰色の髪の毛をくるくると指先で弄る。彼女の顔は綺麗な化粧で覆われて、同じ歳だけど素肌のグリフォンとは雰囲気を格段に異にした。

「我は男、って感じが好きあるよ。硬派で賢くてイケメンで。そんな奴居ねーあるかなあ」

硬派で聡明で眉目秀麗で男らしい。アリスは1人だけ思い浮かんだが、まあ遠く離れているばかりか閉ざされた国だしなと思って何も云わないでおく。そんな知り合いに生憎心当たりがないのかグリムは困ったように苦笑して、ケイティはアリスの枕を抱き抱えて眠そうにしているだけだった。
アースラはそんな一同を見て不機嫌に呆れた顔をして、役に立たねー奴等、とベッド脇へと視線を外す。然し丁度顔を背けたデスクの上に1枚の写真を閉じた写真立てを見て、アースラは猫のようにぴくりと素早く反応するとその写真立てに飛び付いた。4人が不思議そうに見守る中でアースラは両手で掴んだ写真立てを穴が開く程に見つめると、興奮した面持ちでアリスを見て、

「アリス、コイツ誰あるか!」
「…ああ。大日本帝国での友人だ、」
「すげーイケメンある! 名前は! 後コイツ軍人あるか?!」
「小鳥遊。士官学校生徒だ」
「士官学校あるか、ならさぞ男らしいあるなあ!」

写ったアリスの隣を指差したアースラは嬉しそうに目を光輝させ、王子様を漸く見つけ出した王女様のように足取りを軽くさせる。すっかり浮かれた顔をした彼女は写真立てを元に直し、両手を頬に当ててご機嫌なご様子だった。後ろには花々が飛んでいるようにも見える。そんな彼女から視線はそのままに、ラビは隣のアリスにだけ聞こえるような声の大きさで、

「…未だ飾っていたのか」
「…は? 駄目なのか、」
「まあアリスの自由だが」

ラビはそう云うと自分を見てくるアリスと目を合わそうとしないので、アリスは何か怒っているのだろうかと思うが思い当たるところはない。そう云えば以前ラビが写真立てを倒した事があったと思い出し、あの写真が気に喰わないのだろうかとぼんやり思う。
そんなやり取りを知らないアースラはアリスを扇子で強く指し、一切の迷いなく云い放つものだからアリスは驚いた。

「よし、我は大日本帝国に行って小鳥遊と会って来るある!」
「…はぁっ?! 本気…、」
「恋する乙女は強し!」

国際的な交わり以外で閉鎖的なあの国に入国する術は一般人には無論なく、亜細亜の人間の彼女もその事は重々承知の筈だった。従って彼女は違法に入国すると云うのだろうが、一目見ただけで(しかも写真で)何時の間にか恋にまで発展した彼女の意志は何とも強靭そうだ。
まあ裏社会に精通した彼女の強さなら何とか大丈夫だろうかともアリスは思うけど、それにしても彼女の決意の早さにはほとほと脱帽する。アリスが一種の敬意すら払った時、裏社会と云えば彼女が郵便屋である事実を思い出して気付けばその言葉を口にした。

「アースラ。行くなら序でに、小鳥遊に手紙を届けてくれないか」
「手紙? ああ、構わねーあるよ。特別にタダで引き受けてやる」
「助かる。なら今から書くから少し待っててくれ」

アリスは薄く笑うと椅子に腰掛けて、書き物机に1枚の羊皮紙を広げて万年筆を手に取った。アースラは横で暫く綺麗な字あるなあと楽しそうに眺めたが、日本語は解らなかったので早々に飽きてベッドの上でネイルをし始めた。
そんな中でラビは面白くなさそうにアリスの背中を見ていたのだけれど、その視線に気付いたのは生憎眠そうな顔をしたケイティだけだった。







極東の小さな島国の西側、大日本帝国。そこの数ある内の1つの士官学校の中で、或る1人の生徒は自分の馬の手入れをしていた。馬の足を藁束でこすり終えた彼は、今は水を与えている。馬の名は藤鷹(ふじたか)と云い、毛並みの良い立派な馬だった。
藤鷹の世話をするは黒髪を短く切った青年で、利発そうな彼の鋭き瞳の下には泣き黒子があった。制服を乱さず着た彼の行動には一切の無駄がなく、加えて良い体格と高い身長の所為で、近寄り難い雰囲気を醸し出していた。彼はその首席と云う身分から、周囲から十二分に尊敬されて良い程のものがあったけど、敬遠される所以もまた十二分に持ち合わせてしまっていたのである。
水を与えた回数の記録を終えると今度は蹄鉄の泥を落とすべく、青年が屈みかける。その時後ろから慌ただしい足音がして、青年は何事かと眉を顰めながら後ろを振り向いた。
駆けてきたのは士官学校次席の刃香冶(ばっこうや)と云う人物で、彼は青年と同室の生徒である。余程走ったのか息は荒く、着くなり背中を丸めて手を載せた膝を曲げる。

「た、小鳥遊っ、大変だ」
「何がだ?」
「お前の、母に昔暴行を加えたと云う人物だが」

そこで切れた言葉に、小鳥遊は益々訝しげに眉を顰める。母親を殴った人物とは所謂『左』側の人間で、男は暴行罪に問われて牢に入れられていた筈だった。小鳥遊は男を一度も忘れた事がなく、憎き対象として常に己の根底に座している。小鳥遊家の長男と次男がその昔一度男と面会したが、アイツは反省なんて微塵もしていない――と憤怒の顔を見せた次男の顔は、小鳥遊は未だによく覚えている。世の中は随分と皮肉なもので、小鳥遊を此処まで立派な士官学校生徒に仕立て上げたのは紛れもなくその人物だった。
刃香冶は己のずれた眼鏡を直さぬまま、息も絶え絶えの切れ切れの声で、

「釈放されるそうだ、」
「……何?」
「俺の父の知り合いが警官でな。確かな情報だ、」
「何時だ」
「それが今日の昼過ぎだと、」

小鳥遊は軍服の袖を捲ると左手の腕時計を見て、今の時刻を確認する。…後一刻で午になる。小鳥遊は唇を強く噛み締めると藤鷹を一瞥もせず、そのまま一気に駆け出した。後ろから聞こえる刃香冶の声に振り向く事もなく、己の使命を担う腰の軍刀を鳴らして硬い地面を走る。

「小鳥遊、お前まさかっ」
「俺は今日訓練を休むと伝えておけ!」
「お前はどうしてそう偉そ…あああもう!」

刃香冶は小鳥遊の小さくなり行く背中を見つめながら、教師にどんな云い訳をしろって云うんだと呆れて乱暴に頭を掻く。矢張り云わなければ良かったかと後悔するが、後悔先に立たずとはまたよく云ったものだった。
忿懣やる方なくなった刃香冶は――莫迦野郎!と大声で云うと、小さくなりゆく小鳥遊の後ろ姿を見送りながら 今度絶対に昼餉を奢らせてやると誓った。







最初に来た者は先ずはその高さに絶望すると云われている刑務所の塀の前に、一人の男が両隣を警官に挟まれて立っている。目の細い警官は男に何事かを云って、そうして男が大人しく頷いたのを見るとつこうど声で男に「行け」と前の道を腕で示した。
男は背中を丸めて一人で歩き出し、誰も居ない道をゆっくりと進む。彼の家がある方の左へと曲がったのを視認すると警官は男から目を離し、再び刑務所の中へ足を踏み入れた。
角を曲がった男は前方に人の気配を感じ、生気のない顔をふと上げる。…そうして悲鳴を出す前に前方の人間から口を左手で掴まれて、壁に容赦なく叩き付けられた。

「ん、ん、んむ――…!」
「大人しくしろ。…下衆」
「ひ、むぅう…!」
「ッ貴様の。貴様の所為で……!」

男を掴んだ小鳥遊の顔は修羅のようであり、憎しみに任せて掴む力を強くする。男は軍服を着た相手が一体誰なのかは解らぬが、自分よりも身長が高く鍛えられたその姿と脅かす気配に目に涙を溜めて恐怖する。余程男に対する怒りがあるのか小鳥遊は左手を外す事がなく、自分が今まで努力して築き上げて来たもの全てを壊すには充分な行為をしようと――、右手を思い切り振り上げて、男の顔を力任せに殴ろうと拳を振った。
男は曇った悲鳴をあげて強く目を瞑るが、然し痛みが自分を襲う事はない。恐る恐る目を開けると小鳥遊の右手は白色の軍服を着た人間に押さえられていて、それが誰だか厭でも解った小鳥遊は 彼の姿を見るなり吠えるように怒鳴った。

「離せ、貴方も憎いんじゃないのか!」
「ああ、俺も憎いさ! 殺してやりたい程にはな!」

その軍人とは小鳥遊の血の繋がった兄であり、かつて弱くあった小鳥遊を強くした張本人の小鳥遊家次男だった。小鳥遊は右手を振りほどくべく強く抵抗したが、兄の力の方が強く手が思うように振りほどけない。小鳥遊は悔しさに顔を歪めて兄に対してまた怒鳴ったが、兄――キャロルは右手を素早く離すとそのまま自分の右手を思い切り振り翳し、弟の頬を手加減なく拳で殴った。
強く殴られた小鳥遊は目を見開いて、男を拘束した左手を無意識に離した。男は状況が飲み込めなかったようで小鳥遊とキャロルを交互に見つめたが、好機だと悟ったのかその場から逃げようとする。然しそれを見逃すキャロルでもなくて、キャロルは男の襟を掴むと男を壁に叩き付けた。そして男に頭突き出来得る距離まで顔を近付けて、気圧され目をひんむく男を威嚇するよう睥睨しながら、

「良いか。貴様を見逃すが、貴様から受けた仕打ちを俺達は忘れない。貴様は罪の意識を引きずり、一生をかけて苦しみながら償え」

…死にもの狂いで頷く男から顔を離すと惜しまず手放して、そうして小鳥遊へと視線を遣る。小鳥遊はキャロルの行動の意味が解らないのか苦渋の表情で、赤く腫れた頬を抑える事なくキャロルを静かに睥睨する。士官学校生徒のものよりも装飾の細かい軍服を着たキャロルは弟の目線を黙って受け止めて、それから静かに向き合った。小鳥遊は己の拳を、口惜しそうに握り締める。

「…兄さんは、力をつけろと…ッ、」
「ああ、云ったな」
「ならば何故、あの輩を見逃したんだ! 俺は、アイツを殺せるなら、どんな罰を受けようとも――」
「然し良いか、俺は『守れ』と云った筈だ。壊すだけの力とは決して違い、復讐は何も生まない」
「ッ……!」
「貴様は一旦士官学校生になった。…なれば、守れ。それがお前の使命だろ」

黙り込む弟を見るキャロルは暫くそのままで居たけれど、やがて踵を巡らせて一言云うとその場を去った。軍をわざわざ抜けて自分の暴走を止めてくれた兄の優しさを知るのは未だ先の事で、今の小鳥遊はきっと周囲を正しく見るのには幼過ぎた。次男が去る時の最後の言葉に小鳥遊は返事が出来ないまま、殴られた頬をそっと白手套越しに触れる。じんわりと内側から痛むそれを感じながら、視界のぼやけた小鳥遊は兄の言葉にほとほと呆れた。以下に兄の言葉を記す。

「…何も直ぐに解ったと云えとは云わんさ。茄子(なすび)の手入れでもして、少し頭を冷やせ」

兄の云う茄子とは小鳥遊の馬の名前だが(本当は無論藤鷹なのだけど、兄は「富士と鷹とくれば茄子だな」と云って聞かない)、今は手入れをする気力なんて当然湧かない。小鳥遊は塀に背中を預け、そのままその場に座り込む。
守る為か、と痛む口を動かす事無く頭の中で言葉を反芻させる。その行為は昔非道く愛憎した或る人物を連想させるものであり、小鳥遊は衣嚢から薄い写真入れを取り出した。その中に居る隣の人物は笑いをこちらに向けていて、小鳥遊は このまま心が折れてしまいそうだ と己の不甲斐なさに唇を噛んで、そっと目を離した。

どこまでも広がる空を見上げながら、この世で只一人今でも愛する人に会いたいと 小鳥遊はそれだけを思った。




士官学校の寮の玄関に姿を見せた小鳥遊の腫れ上がった頬を見て、刃香冶は眼鏡の奥の目を小さく見開いた。一体コイツは何をしでかしてきたのだと云ったような顔をしたけれど、思いの外小鳥遊が塞ぎ込んでいるものだから根がお人よしな刃香冶は小鳥遊の側に行き、「手巾を水で冷やして来るから先に自室に戻ってろ」と云った。小鳥遊は余計な世話だと思ったが、遠ざかる背中を止めるのも面倒で、臙脂色の絨毯で覆われた階段を上がる。
鍵を挿して自室の扉を開けると一気に風が入り、刃香冶が窓を開けっ放しにでもしたのだろうかと小鳥遊が目を細くする。然し見た窓の枠には一人の見慣れない風貌の少女が我が物顔で座っており、小鳥遊は侵入者である彼女に警戒するよう軍刀の柄に手をかけた。

「何だ貴様」
「…ふうん、写真より恰好良くて大分成長した感じあるな」
「写真…?」

彼女が喋るは中国語で、支那人かと小鳥遊は益々警戒を強くする。加えて写真だとかの意味の解らない事を云う彼女は不躾に小鳥遊の顔を見て来るものなので、酷く居心地が悪かった。

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