12月13日に上げた「変わりゆくもの」に続きを足した作品になります。





 アルフレッドは憤慨していた。
 待ち合わせの時間から、とうに30分が経過していた。左手に巻いたデジタルの時計の針が時を不変的に刻むのから目を離すと、苛立ちを手放す事無く 食べ終わったスニッカーズの袋をゴミ箱に捨てた。
 アルフレッドは自分のリュックサックの中からもう一つの油の塊を取り出すと、乱暴に袋を引き裂いて口内に突っ込んだ。空腹はすっかり埋まったが、それでも業腹は治まる事を知らない。彼はたったの3口でそれを食べ終わると、口からあんまり品の宜しくない毒を吐いて 袋をジーンズのポケットの中に入れた。





「アルフレッド!」

 エメラルド色の双眸に薄く水を纏わせたアーサーが、エスカレーターで上がってきたアルフレッドを見るなり声を張り上げた。露骨に眉を顰め冷たい視線を送る弟の纏う色に気が付かないのか、アーサーは弟のパーカーを無遠慮に掴むと左手に巻いた自分のアンティークの腕時計を突き付けて、

「来ないかと思ったぞばかあ! 1時間も遅れてきやがって、何処で油を売っていたんだ!」
「俺は時間通り来ていたんだぞ! すると何だい、君は待ち合わせ場所を間違えていたって事か!」
「何云っているんだ。俺はちゃんと3階って――」

 そこまで云いかけると突然思い至ったような顔をして、アーサーはパーカーから右手を離す。怪訝な顔を向けるアルフレッドをぼんやりとした顔で見つめると、布が岩をそっと撫でるような小さな声で、頼りなく言葉を紡いだ。

「…お前が言葉を勝手に変えたから、」
「何だい、俺が?」
「お前が俺の家の言葉を勝手に変えるから、こんな誤謬も生じたんだっ!」

 しおらしいさきとは打って変わって大きく張り上げられた声に、周囲の人間は次々とアーサーを見たが、彼は一杯一杯で周りにまで目が行かないらしい。突然怒鳴られたアルフレッドは堆積していた苛立ちが更に増幅されて、水が溢れたコップのように腹立たしさが零れた。アルフレッドも人目を考慮する事無く、口を大きく広げると、

「な、何なんだ、君って本当癇癪持ちだな!」
「煩えよ、何もかも好き勝手にしやがって――、この前時間を云う時もそうだ――、」
「酔っぱらってもいないのにまたそれかい?! 君はぐずぐず引っ張り過ぎなんだ、ああもう凄く腹が立つんだぞ、」

 アルフレッドは奥歯をぎしりと鳴らし、眼鏡の奥の水色を鋭利なナイフのように鋭くすると大きく叫んだ。

「そんなに俺のやる事が気に喰わないのなら、もう来なきゃ良いじゃないか!」

 その瞬間落ちそうな程に開かれたエメラルドを見る事もなく、アルフレッドは吐き捨てたままに踵を巡らせて 走ってエスカレーターを降りて行った。





 震えるような寒さの或る冬の昼の事。最悪な朝だった等と思いながらアーサーは、一人空を見上げ白い息を吐いていた。視界の隅に必ず入る鼠色のビル達は無機質で、今日の気候と自分の沈んだ気分によく合うようだと思った。
 空を捉えるように囲んで建てられたビルは、アルフレッドの国民が努力して建てたものだった。それを素直に祝いたい気持ちがない訳でもなかったが、いざ本人を前にすると言葉は詰まって出て来なくなるのだった。それはまるで声を魔女に奪われた人魚のように、或はラムネの瓶の先に嵌まったビー玉のように。
 息子が父親の背中を小さく感じとうとう追い越し行くように、リネンの柔らかなシャツに体躯を包ませた幼い愛しきアルフレッドが何時かは己の手を離れ行く事を、理解していた筈だった。それがこうも尾を引いてしまう所以は、彼の独り立ちが予想より遥かに早かった事か、若しくは自分の覚悟が足りなかった事か。新聞紙で暖を取る老人を横目で見ながら、アーサーは革靴をゆっくりと川沿いに動かした。
 雪の女王の吹く息吹の如く凍てつくような風を全身で浴びながら、先週の会議での友の云った耳にこびりつくような言葉を、何時までも払拭出来る事が無い。

『仕方がありませんよ。そうやって成長して行くのです』

 成長だって? アーサーは思った。急激な成長を社会全体から強いられる人間でもないのに、自分達も成長をしなければならないのだろうか。何時の時代の吹く風も、変わらないままだと云うのに。アーサーは突然世界に自分と風だけを残して置いて行かれたような、物悲しい心持になった。
 …幼き頃拾った小石をオルゴールの中に入れて後生大切に取っておくアーサーと違って、アルフレッドは分別そして廃棄が出来る者だった。それを賢明と呼ぶかはたまた薄情と呼ぶかは定義と名称だけの相違ではあったけど、名によってそれは大いに色を変えた。

 向かい側の街道に、赤と白の縞模様の屋根をした可愛らしい小さなお店が見えた。その前には丁度アルフレッドが1番愛嬌を見せた頃と同じ年程の少女が居て、アーサーは糸で引かれるように店の方に赴いた。飴屋であるらしいそこのショーウインドーには艶やかな水色やピンク色の飴が細長い硝子瓶の中に所狭しと詰められていて、魔法の詰まった瓶のようだと思うと同時 アルフレッドがよく好きだと云っていた絵本の象の色に似ていると思った。アーサーは気付けば硬貨を店員に渡し、少女が持つそれと同じ棒付き飴を持っていた。

「……ひでぇ色だ、」

 此処の鮮やかなビビッドのお菓子にアーサーのキャメル色のコートと黒色の革の手袋は、酷くアンバランスだ。アーサーはコートのポケットの中に飴を入れ、そのまま手を外に出す事もなく、荒涼とした道を再び一人歩いた。





「ああ、貴方がアーサーさんの言葉を勝手に変えたから、誤謬が出来たと?」

 小さな会議室。窓の外で降る白色を眺めながら、アルフレッドは立ったまま本田に背を向けていた。何も云わぬ彼に本田は小さく息を吐き、座ったまま長机の上で腕を伸ばす。そうして鬱陶しそうに黒の髪を耳に掛け、『PARKER』と英語で書かれたボールペンの先を一枚の書類の上に走らせながら、

「まあアーサーさんの英語は気取り気味で、貴方の英語は大分単純明快ですからね。TPOで使い分けなければならない私からしたら、少し大変ですけど」
「アーサーの英語が悪いんだ。気取りが何の役に?」
「おや、実用性のみをお求めで? 流石は貴方だ」

 小さな笑みと共に吐かれた揶揄に、アルフレッドは射るような炯眼を本田に放つ。然し本田は依然として書類だけを見て、アルフレッドを一瞥もしなかった。その狸の皮を剥いで狸汁にしてやろうかとアルフレッドは思ったが、大人しく自分の鼻梁を指先で掻くだけに留まった。

「胎動は実に結構。然し忖度も必要ですよ」
「今日は随分と喋喋とものを云うね。でも君だって、『兄』の言葉を好きに変えてきたじゃないか」
「それを云われると耳が痛い…」

 本田は茶化すようにそう云うと、黒色の革のビジネスバッグからカナル型のイヤホンを取り出した。先には緑髪のキャラクターの顔が付いていて、アルフレッドはそのデザインに厭そうな顔をする。本田は片方の耳にイヤーピースを突っ込むと、ミュージックプレイヤーを左手で素早く操作して、

「…本田、音が大き過ぎる! こっちまで何だか電子的な声が聴こえて来るんだぞ!」
「私の嫁の声聴きます?」
「何回も聴いたよ、現在進行形で聴こえて来る! 歳なんだからそんな激しい音楽自重しなよ!」
「善処します」

 お決まりの台詞を歌うように吐く本田に左手を動かす気配はなく、右手に持つペンだけが動き 白色の紙に黒色のインクを落として行く。バレリーナが踊るようなその軽快な動きをアルフレッドは暫く見ていたが、やがて飽きてまた窓の外を見る。アーサーを言葉で突き飛ばしたあの日の厭な気分が揺曳し、影は何時までも付き纏い、桎梏となって身体の自由を奪う。呼吸とはかくもし辛いものだったか、とアルフレッドは思った。
 窓をそっと指先でなぞると結露が落ち、その冷たさに水色の瞳を細くする。
 雫の付いた手を窓から離し、雪で飾られた外の木々を眺めながら、アルフレッドは唇だけを動かした。後ろの本田がそれに気付く事は無論なく、森閑とした室内には人間のものではない高い歌声と、ボールペンを動かす音だけが波紋のように広がった。





「遅いんだぞ」

 アーサーが轍の上をブーツで歩いていると、前方から声を落とされた。前を見ると家の前にはアルフレッドが立っていて、幻覚ではあるまいかと茶色の手袋を嵌めた手で目を擦る。そんなアーサーを呆れたような顔で見ると、アルフレッドは大仰に肩を竦め、

「俺を君の作った妖精と一緒にしないでくれよ」
「なっ…。あ、アイツ等は幻覚じゃ、って云うかお前が何で此処に居るんだ! 此処は俺の家――」
「俺が何時何処に居ようと勝手だぞ」

 勝手な事をぬかす弟に罵詈雑言を浴びせたくとも開いた口が塞がらず、魚のように無意味に何回か開くだけ。そこでよく見るとアルフレッドの口は小さく動いており、どうやら何か食べているらしい。動きからしてガムではなさそうだとアーサーが口元を見ていると、視線に気が付いたアルフレッドは鞄から小さな飴の袋を取り出した。袋には『humbug』と書かれており、アーサーが驚きの声を出す前にアルフレッドが己の舌を出す。真っ赤な舌の上に乗っていたのは茶色と白色の縞模様の小さな飴で、アルフレッドは舌を口内に戻すと、

「ペパーミントの味が強いんだぞ」
「…この味が解らないなんて、まだまだ子供だな」
「なっ。君って本当――」

 アルフレッドの言葉が終わる前に、アーサーはトレンチコートのポケットから鍵を出して扉を開く。からんと音を立てながら飴を舐めるアルフレッドを見る事なく、アーサーは家の中へと入り ぶっきらぼうに言葉を紡ぐ。

「…マントルピース変えたんだ。折角だから見て行けよ、…お茶も出せる」

 からん、とアルフレッドの口内で飴が遊ぶ音がする。アルフレッドは一瞬惚けて反応が遅れたが、「入るなら早く入れ。寒いだろ」とアーサーに叱咤されると笑顔を作り、肩の上に付いた雪を手で振り払って扉へと足を運ぶ。

「――云われなくても、邪魔する積もりだったんだぞ!」


 口内の小さな飴が、雪解けのようにそっと溶けて 舌の上に優しい味を残した。



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国擬人化でした。

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