…チュチュとトゥシューズで下肢を華美に飾った女性達が、ステージの上で優雅に舞う。観客席とは違ってスポットを当てられたそこはまるで夢の国で、妖精のような姿の彼女達が動く度、白とパステルカラーのピンクとグリーン、そしてイエローが視界を一杯にした。花吹雪のような幻想は観客達を魅了する、そう、――例えば俺の隣に座る貴方も。例に漏れる事がなく。

「(…左目も見えなくなれば良いのに)」

 元気の良いヴァイオリンの音が止む。妖精の悪戯は躑躅色のカーテンが閉まってもなくなる事はなく、チュチュの下のドロワーズを思い出してか観客達はだらしなく頬を緩めている。隣の貴方は何時も通りの顔だけど、所詮男の貴方が内心どんな事を思っているか。
 どうして着いて来てしまったのだろう。
 白いハンケチーフに刺繍をするように金色の文字で美しく「ダンス・ショー」と書かれた2枚のチケットを見て、浮かれてしまったのだろうか。だとしたらそれは愚行窮まりないし、今になって莫迦過ぎたとも思う。…かと云って断ったら断ったで、1人部屋で時計を何度も見て、矢張り後悔したのだろうけど。





「今日は付き合って貰ってすまない」
「…別に。暇だったし…」
「ああ、悪いがアリス、知り合いの踊り子に挨拶する約束をしているんだ。何なら一緒に、」

 ショーが終わり、周囲がガチョウのようにざわめく中で貴方はそう云った。貴方の云う『知り合いの踊り子』とは舞台のチケットをくれた人で、多分同時に貴方の大切な人だった。何なら一緒に、の言葉は予想だにしなかったので内心で酷く驚いた。
 好奇心から行きたいに決まっていたが、ショーを観るだけでこれなのに 恋人本人だなんて見せられた日には字の通り身の裂かれる思いだろう。邪魔立てする気もなければ彼女に睨まれるのも御免だし、自分が傷付くのも同じ位に厭だった。だから「遠慮しておく」と苦笑混じりに断った。


 楽屋へと歩く貴方の背に、何度縋り付きたいと思った事だろう。背中は俺に向けられて、視線は愛する彼女に向けられている。なれば背中位くれてもと思うのは、酷く負け犬じみて惨めな思考回路だった。俺が後ろから抱き着いたところで貴方は多分ブレザーを脱ぎ捨てて、彼女の元へ行くに相違ない。自虐的に1人で笑うのは、我ながら滑稽だ。

「…すみません、先程のお連れの方ですよね?」
「え?」
「彼が預けられた花束が、未だこちらにありまして…」

 話し掛けて来たのはスーツを着た関係者で、彼の手にはラビが持って来ていた可愛らしい小さなブーケが1つ。そう云えばラビが花はこちらで預かると彼に云われていたなと思うと同時、ラビは花束を忘れて楽屋に行ってしまったのだと至る。関係者である彼は困ったような顔をしているので、恐らくわざわざ楽屋には入り辛いのだろう。俺は右手を出して、

「…渡してきます」
「本当ですか? 助かります」
「いえ…こちらこそ、忘れていてすみません」

 結果的に彼女に会いに行く事になってしまった。関係者が斑に見える通路を歩きながら、ブーケに挿されたカードの名前を確認する。書かれた名前は確かパンフレットの一番上に載っていた人物で、成る程真ん中で踊っていた一等目立つ彼女であるらしい。彼女は目立つだけでなく、恐らく一番の美人だった。益々気が塞がって、楽屋に向かう足が重くなる心地がした。
 一番奥まで来てそこのプレートを確認すると、カードと同じ彼女の名前が書いてある。さっさと渡して帰ってしまえと ノックするべく右手を上げると同時、中から声が聞こえて来て 右手がそこで止まった。俺は自分でも厭になるほど醜くて、高尚な人間とは程遠かった。

「すまない、花束を忘れた」
「あら。良いのよラビ、貴方が来てくれた事が何よりのプレゼントだわ」
「凄く良かった。綺麗で」
「珍しく貴方が居るんだもの、そりゃあ綺麗にもなるわ」

 知らない女性の声と、聞き慣れた貴方の声がそこで終わった。――扉が少しだけ開いている事に気付き、無意識の内に中を覗き込んでいた。壁に張られた大きなミラーと、その下に散らかるパフや香水やシルクのリボン。掛けられた沢山のチュチュやコルセットと大きなチュールの髪飾り、女の子が描く夢物語の世界の中に2人は居た。
 …恋人は口づけを交わし、男に抱きしめられた女性は愛に溶け、化粧した瞼をうっとりと閉じる。踊り子の甘い声が香水の香りで満たされた小さな部屋に響き、貴方はコルセットへと手をかけてクリーム色のリボンを慣れた手つきで解き行く。
 それ以上は見ていられずに、隙間から顔を離すと 足音をさせないよう静かに楽屋から離れて歩き出す。誰も居ない通路を歩く中で、何時までも貴方の後ろ姿が脳内から離れない。貴方が解いたものは踊り子のクリーム色のリボンで、俺の黒色のタイではない。

「(…苦しい)」

 ぽとり、とブーケの上に一粒の涙が落ちて、ピンク色の花を無力に濡らした。






 貴方が楽屋を出たのは、外がすっかり暗くなった頃だった。ロビーで足を組みながら本を読んでいる俺を見て、1人で出て来た貴方は少し驚いた顔をした。とっくに帰ったと思った知人が未だ館内に居たら、それは誰だって驚くだろう。本を閉じて立ち上がる。

「…アリス、帰ったかと」
「その積もりではあったがな。お前が忘れた花束。ほら」
「わざわざこれを渡す為に?」
「渡して来いよ」
「…。いや、良い。あんまり花が好きな人じゃないから」

 俺がわざわざ待っていたのに、何だそれは。そう思ったが、云わないでおいた。むざむざ自分の好きな相手の恋路を応援する程に、お人よしな訳ではなかった。
 これからシャンデリアのあるレストランで外食し、眺めの良いホテルで一晩を過ごすべく彼女と腕を組んで楽屋から出て来るだろうと思ったから、ラビが1人で出て来たのには正直安堵した。貴方と今こうして肩を並べて歩くのは、少なくとも俺だった。ホールから外へ出ると、気温は低くて厭に寒かった。

「何処が良い?」
「え?」
「レストラン。疲れたしお腹も空いたろう、お礼に驕る」

 シャンデリアのある素敵なレストラン。だなんて、口を魔女に鋏で裂かれても云えやしなかった。嬉しい筈の気分は空気を抜かれた風船のように直ぐさま萎み、顔色は暗さを孕む。答えを待つ貴方の顔から、視線を外して地面を見た。

「…良い」
「? お腹が空いてない?」
「いや…。…ご飯の代わりに、1つだけ、」

 顔を上げて見た貴方の顔は、不思議さを帯びている。――別れてくれ。だなんて云うと、貴方の顔は不機嫌に染まるだろうか。嫉妬で緑色が渦巻いている俺の心を貴方が目にしたら、貴方の目はどんな色をするだろう。少しは憐れんでくれるだろうか。なんて、何て女々しい。

 貴方のマフラーを掴んで、そっと自分へと手繰り寄せる。そうして顔を近付けて、背伸びをしてキスをした。触れるだけのキスは酷く熱く、重ねた唇は痺れるようだった。

 俺が貴方を恋慕しているなんて夢にも思わなかったのだろう(何せ憎まれ口を叩いてばかりだし)、唇を離した貴方の顔は珍しく惚けている。思わず笑いそうになったけど、小さく微笑んで貴方から離れた。キスをした貴方からは、薔薇のバスタブに何年も浸けたような 噎せるような香水の香りがした。

「…可愛い恋人だな」
「アリス、今」
「幸せなお前から、間接キス位貰ったって良いだろ。…それじゃあ、今日はありがとう。ばいばい」

 無理に笑顔を作り、手を振って貴方に背を向ける。俺は彼女のように貴方への愛を囁かないし、只黙って、口をロープで結んで、鳴く事は多分一生ない。俺が紡ぐのは誰も傷付かない些細な嘘と、今みたいな別れの言葉だけ。
 香水の残り香が軽微に鼻を擽って、薔薇の棘のように刺々しく胸を刺した。まるで俺がした小さくて醜悪な我が儘を咎めるように、罪を糾弾するように。

「(…好き)」

 云えてしまえたらどんなに楽だろう。依然として好きな貴方にキスをして得たものとは、世にも憎らしい女性の纏う香りだけだった。噛んだ唇から血がぶつりと出て、痛んで舌に苦味を落とす。ケーキばかりを食べる貴方とのキスは甘いと思ったのに、現実ではノンシュガーの珈琲のようにかくも苦い。
 貴方が知らない誰かのように思えたその日の夜は、指先が異様に冷える或る冬の夜で そのまま凍結してしまえる程に苦しくて、大嫌いだとそっと呟く口は氷の蜘蛛の糸で縫われたように この上なく重くて鬱陶しいものだった。



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鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす。この言葉は誠であるように思います



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