「誕生日おめでとう」

 そう云って兎のような従者が持って来たのは、両手で一杯のなずなの花束だった。お世辞にもそこまで華美でもなければ花束の主にするにはお粗末過ぎるそれを、『乙女ゴコロ』を重々承知している彼がわざわざ選択したのにはそれ相応の理由があって、その理由なんて洒落て気の利いた彼が差出人な辺り、直ぐに分ってしまえるもの。僕は気だるげな面持ちで足を組んだまま右手を差し出して、僕の前に佇む彼を見下すかのように口角をほんのりと上げて問うた。

「それじゃあ君は、僕に全てを捧げる積もりなんだね」

 ラビはイエスと云うか首肯するかの代わり、椅子の前に跪いて僕の手を取ると唇を落とした。それはまるで一度でも乱雑に扱ってしまえば粉々に割れて砕けてしまうお花の硝子細工を扱うような、そんな優しくて、厭らしさが微塵もないストイックなキスだ。神に祈るような、或は主君に忠誠を誓う兵士のような。
 厳格で重々しい冷たい空気の中で、僕は只ぼんやりと 彼の首元だけをじっと眺めていた。





 それから幾つかの月日が経過したのかは、実は良く覚えていない。覚えているのは雪が降っていたから冬の日の事であった事、そして不愉快にもラビと2人だけで街を歩いていたと云う事だ。
 彼は「危ない」と云って、僕の右手を引いて胸元に抱き抱えた。彼のダッフルコートの表面に身体を預けるがままにしておくと、僕がさきまで居た場所を素早く馬車が走って行く。蹄が雪を蹂躙して行く様をぼんやりと眺めながら、僕は小さく呟いた。

「…轢かれれば良かったのに」
「何を莫迦な、」
「僕が、じゃないよ」

 それから先は云わなくても誰だって分るだろう、幾つかの教養は少なからず持っている彼だってそれは例には漏れず。じゃあ一体誰が、だなんて愚鈍な問いかけをしない賢明な彼から離れ、向き合うと彼の胸にそっと手を当てる。そのまま瞳を彼の首元に動かすと、マフラーとコートの些細な隙間から鈍く光る銀色がほんの少しだけ見えた。

「そのネックレス今までしていなかったよね。誕生日プレゼント? 誰から貰ったの」
「……」

 黙り込んだ。少しだけ腹が立って、隙間に手を入れてネックレスに触れる。趣味の良いシンプルなそれは、こうして外気に晒すと存外綺麗な光を見せてくれた。冬だからかチェーンはとても冷たくなっていて、僕の侵入を快く思わないかのようなそれに、ラビに気付かれないよう爪を立てた。

「何か云いなよ」
「…知り合いの踊り子から、」

 彼が白色の息と共に馴れた素振りで単簡に嘘を吐いた瞬間に、眉を吊り上げネックレスを手前に引いた。必然的に顔をこちらに引っ張られた形のラビの耳元に唇を近付けて、愛を囁く恋人のように酷く甘ったれた声で、

「嘘吐き。これ、アリスからだろ」
「違…、」
「嘘に嘘を重ねるの。はは、サイテー。アリスも哀しむだろうに。君って本当傷付けてばっかり」

 嘲笑と共に彼の顔を覗き込むと、実に滑稽に瞳の赤に怯えを孕ませている。昨日真っ赤になるまで僕によって作られた打撲痕のある胸元は、未だに痛んでいるのだろうか。…ねぇ、虐待を受けるペットか幼子か母親のようなそんな顔をされてしまったらさ、

 嗤いながら×したくなってしまうよ。





 服で隠れる部分から広がった無花果のような打撲痕は、とうとう手首や首など工夫すれば見えない場所だけでなく、顔にまで広がって行った。不幸な小さな女の子を描いた絵本のように可哀相なその傷は広がりと共に酷さを増して行き、とうとう彼は右目ですら見えるのが危うくなって来たようだった。
 そんな衰弱っぷりが面白くて仕方なく、力無く横たわりコンクリートとくっつけている彼の頬を、ステッキの石突でぐりぐりと弄る。季節が冬なばかりでなく時間は夜も遅いので、薔薇の棘のような外気に当たっている僕の耳も限界だ。お腹をぐりぐりと革靴の底で踏み付けているところで、右方から電車のライトがちかちかと光り出す。約束した時間通りだなんて懐中時計を見て確認を済ませると、最後の一撃だとでも云わんばかりにどすりと彼のお腹を爪先で思い切り蹴った。彼は苦しそうな声で喘ぐと口から赤色の血を吐いて、霜が下りたプラットフォームに小さな血痕が付着する。要するに、彼が生きていた痕跡なんてこんな些細なものだったのだ。
 スーツの襟首を掴み、ずる、ずると引き摺って枠線ギリギリまで歩み寄る。電車との大体のタイミングを見計らって、そうして僕は実に呆気なく、

「ばいばーい」

 投げて当たると、それはまるで花火のように無残に飛び散って、降り注ぐ派手な赤色を見ながら 子供が見ると多分精神的外傷が残ってしまうのだろうなあと思った。



 線路に下りて、ばらばらになった身体には一切視線をくれる事もなく、存外綺麗に残った生首を見付け出して髪をぐいりと引っ張った。首からだらんと下がる××を無視して云うのなら、こうして改めて観ると矢張り造形だけはとてもとても綺麗だった。

「君って顔だけは凄く綺麗だったよね」

 この僕ですら思わず目を見張るものがある程で、彼が万人から好かれるのは至極合点の行くものでもあった。人々が何時の時代も宝石に魅了され求めて来た事と同じようなもので、自分の隣に置くか宝石箱に入れておきたくなる心理の正にそれ。砂糖菓子のように真っ白な髪の毛と睫毛と、ルビーのように真っ赤な瞳。

「だから綺麗なものが好きなアリスが君に惹かれたのも、少しだけ分る気がするよ」

 生首を大切に持ち上げながら、忠誠を誓った彼の頬にそっと唇を落とす。とても綺麗な見た目とは裏腹に、線路に投げ出されたそれは土のような匂いがした。
 …でもまあそれも、

「理解は出来るってだけで、どうしようもなく苛立つ事実なのだけれども」

 僕はそれだけ云うと、生ごみを棄てるように生首をごろりと落として捨てた。






 その次の日に、白兎内のレストランで朝食を摂っていたアリスに僕は笑顔で声を掛ける。彼が食べていたのはフル・イングリッシュで、向かいの席に座ると僕も同じものをメイドに頼んだ。
 料理が来るのを待つ間、出された水を少し呑むとアリスと目が合った。微笑むとほんの少しアリスの顔が赤くなったので、今日は良い日になりそうだなんて思ったけれど、あんまり笑顔だと不審がられる話題なので今度は多少顔に曇りを落とす。だもんだから、アリスは若干不思議そうな顔をして「どうした?」と優しく尋ねた。

「実はね、ラビの事なんだけど」
「アイツの?」

 途端に厭そうな顔をする。料理すら不味く感じられてしまうのかフォークをまるで憎しみを込めるかのように刺し、歪んだ顔のままソーセージを口に含んだ。ずっと君が彼を嫌いなままだったら良かったのにと、ある意味共犯者ですらある彼の瞳を見つめながら、

「ラビはさあ、今まで白兎に居たのは帰る家がなかったからなんだよ」
「へえ…?」
「でもさ、捜していたお母さんが昨日漸く見付かったらしくて。それで白兎辞めて帰っちゃうんだって」
「は?」
「また後で僕が荷物送らなきゃならないんだ、全く良い迷惑だよねえ」

 しまった、つい何時もの癖で毒が出た。なんて口を手でそっと押さえる前に、メイドが来て料理と紅茶を置いて行く。せめて「君に挨拶もしていないのにね」とか気の利いた事を云えば良かった。珍しい自分の失態に怖々とアリスの顔を覗き見たが、さきまでの不機嫌さは何処へやら酷く困惑した顔をしているものなので、僕は君の反応を窺っていたのに と少しばかりイラついた。

「そ、そうなのか? でも、アイツが辞めるなんて」
「でも彼の姿、現にないじゃない」
「そ…そうだけど、挨拶もしていないし、」
「じゃあ彼に取って君が挨拶するに足りない人間だったって事だろ」

 あんまりにも腹が立って、言葉に棘を含めるどころかその棘のある蔓で彼の首を強く締め上げるような発言をしてしまう。すると彼は口を閉じ、眉を下げるものだから、今は亡き彼に嫉妬した(やきもきを失くす為にああしたと云うのに、これでは本末転倒だ!)。
 フォークを豆に刺して、最後に吐き捨てるように云う。

「それとも電話してみたら」

 彼は悩んだようだったが、数秒の沈黙の後「…良い」とだけ云った。多分連絡もしないで居なくなったラビに怒ったのではなくて、相手の返事が怖いのか、繋がらなかった時が本当に拒絶されたようで怖いのだろう。
 まあ、もう繋がる筈ないんだけど。
 彼が契約の切れた電話に連絡する勇気を持てるのは果たして何時になるだろうと思いながら口に含んだ紅茶は、酷く苦くて昨日のような 土と同じ味がした。






 ラビの必要であろう荷物を詰めたトランクを、郵送するフリをして誰にも見付からないように棄てた。その日の夕方、アリスが僕の部屋を訪ねて来た。来訪者がアリスだと分ると僕は急いでリボンを新調したパステルカラーのイエローのものに変え、髪をブラシで梳かしてから迎え入れたが、彼の話題がまたあのラビなものだから 僕は傍から見ても凄く厭そうな顔をしていたと思う。
 彼は促されるまま臙脂色の椅子に腰かけると、

「…なあ、アイツの実家ってアイルランドの何処だよ」
「…アイツってラビだよね? どうしてそんな事を聞くの。君はラビの事を嫌っていたでしょう」
「そうだけど…、」

 歯切れが悪い。アリスは気まずそうに視線を斜めにして床に落としている。君が見るのは床じゃなくてこの僕でしょう、なんて思うと同時どうしてこんな彼が好きなのか不思議で仕方なかったが、それでも矢張り好きなものは好きだった。

「…でも、気になるだろ」
「どうして」

 詰問するように鋭く尋ねると、彼はまた唇を閉ざしてしまう。そんな彼を見るとどうしようもなく自制が効かなくなる位に苛々して、とうとうアリスの座る椅子の背凭れを強く叩いた。驚いた顔で僕を見上げるアリスを弄び嘲るように、口角を意地悪く上げ。

「好きだった?」

 刹那、アリスの目が見開かれた。一緒に朝食を摂ったあの朝のように厭そうな顔で否定してくれれば良いものを、この反応が何故か酷く憎たらしい。知らぬ間に背凭れに置いた手は強く椅子に爪を立て、言葉は考えなしに口からするりと落ちて行く。

「何だよ、もしかして図星。おっかし、君、あんな莫迦兎の下で善がったりなんてしたいの」
「なっ――」
「でも君がソッチなんて酷く似合わないなあ。まあラビは酔狂だから遊んではくれるかもね? でもどうかな、お断りされて傷付くのは君――」
「ッふざけるなよ、お前ッ」

 アリスは頭に血が上ったのか、突如椅子から立ち上がると僕の襟を強く掴んだ。同時に我に返ったのか気付いたように急いで右手を離したが、そんな罪悪感は事実を消しはしない。僕はアリスの右手を掴むと捻り上げ、彼が抵抗する間も与えずにベッドへと身体を投げると上から抑え込み、

「ふざける? 僕は至って真面目だぜ。君こそふざけているんじゃないのか」

 押し倒した体勢で、彼の深い黒色の双眸を上から見下ろした。彼は僕の言行が理解し切られないのか、何も云えずに僕を見上げるばかり。ああ、でもこうして見ると意外と彼が下でも悪くないのかも。ラビが以前彼を可愛いと云った理由も少しだけなら分るかも知れない(まあ、ラビと意見を同一にしたくは生憎ないのだけれども)。

「君が好きなのは僕だろ? なら他所見なんてせずに僕だけを見ておけよ。そうした方が賢明だろうに」

 僕が云い終ると同時、アリスの顔がみるみる目を疑うかのようなものになる。彼の視線は僕の顔ではなくて、胸元を見ていた。僕も自分の胸元に視線を下ろしてみると、ジャボ付きのシャツの上には……ああ、しまった。僕とした事がウッカリ外すのを忘れている。

「お前…、…そのネックレス、」

 アリスの声は微かに震えている。僕の言行の意味が理解出来て来たのか、なればもう猫を被る必要性はとうにない。

「……ああ、これ」

 ネックレスのチェーンを掴み、アリスの好きな笑顔と共に眼前で見せてやる。僕がラビを×す少し前に拝借した物だったけど、彼が着けるよりも僕が着ける方がきっと何倍にも似合っていた。首をこてんと傾げ、誰にも向けた事のないような甘い苺のような声色で可愛らしく聞いてみる。


「君が一生懸命選んだヤツ。ねえどう、似合うかな」



 気付けば体勢が変えられていた。意外と力あるんだ、と云う事と、僕と一緒に寝ようかなんて提案した時には初々しく顔を真っ赤にしたくせに、押し倒している今は全然顔を赤くしないんだななんて冷静にも思った。アリスは切羽詰まったような顔で、懇願すら孕む声を僕に向ける。僕の手首を掴む力は強かった。

「お前、アイツを何処にやったんだっ」
「云ったでしょ。彼は自分の意志で」
「嘘を吐くな! なあ、何処にやったんだよっ。電話も繋がんないし、」
「知らない…」
「知ってるだろ! お前以外皆知らないんだよっ、教えろよ、何処に……ッ」

 彼は大体察してしまっているのか、既に怒気は今にも泣きそうな気持ちによって全て消え失せていた。アリス、と女の子みたいな似合わない名前を小さく呼ぶけれど、彼は返事をせず己の唇を噛み締めた。震えた身体は頼りなく、覗く首筋は存外細い。
 手首を掴む力が緩んでしまうと、僕は彼の頬に触れる。けれども直ぐに手は彼の手によって撥ね付けられて、叩かれた手の平は思ったより痛かった。でも本当に微かにだけど嗚咽を漏らす彼の方が、見ていて遥かに痛そうだ。

 君自身に無花果の模様を付けた訳でもないのに、どうしてそんなに哀しそうな顔をするかが分らない。

 僕に出来る事なら何でもするのに、ラビは君を哀しませてばっかりだ。ろくでもないし君にはラビなんて相応しくないよ、なんて思いながら、もう一度君には似合わない女の子のようなアリスの名を呼んだ。



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またきて四角
ではなくて二角
なずなの花言葉は『あなたに私の全てを捧げます』。


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