恥ずかしい事なのであんまり大声で云えた事でもないのだけれど、僕は17年間――詰まり生まれてこの方、恋仲が出来た試しがない。と云うよりも、僕はそもそも友達すら少ない。授業の間の休憩時間なんかに談笑する間柄は少しだけど居るのだけど、それでも彼等と一緒に若者らしくカラオケに行ったり食事をしたりするかなんて、増してや休日に遊ぶなんてした事がなく、そんな僕には女の子と話した経験すら貴重なものだ。
 一応文化系の部活に入ってはいるけれど、気が合う人も少なく思え、後輩が入って来てからはメンバーすらよく分らなくなって、結局最近では全く行かなくなってしまった。幽霊部員と云うか、最早只の帰宅部だ。
 そんな僕は我ながら老木のような人生を歩んでいるなあと漠然と思っていたけれど、別にこんな生活が厭で厭で堪らなかったかと云えば、別にそんな事もなかった気がする。家に帰ってベッドの上でごろごろするのは気持ちが良いし、友達に引っ張られないと云うのは自分の時間を沢山持てて常に成績も上位をキープする事が出来たし、ネットで知らない誰かが作った音楽を奮発して買ったヘッドフォンで聴くのは至福のひと時でもあった。傍から見たら、或は何時かくたびれたスーツを着て煙草を吸っている時なんかにふと後悔する事もあるのかも知れないが、今のところ本人はこんな人生も悪くないなんて結構前向きだったりする。尤も天性の卑下の癖があるので、たまに凄く落ち込んだり死にたくなったりするのだけど。それでも僕は臆病者で痛いのも厭うので、多分絶対自分を殺す日なんて永遠に来ないのだろう。例えどんな罵倒を受けても、干乾びるまで涙を流す事があっても。

 或る日の事だった。僕が一人苺牛乳を校舎裏の自販機の側で呑んでいると、背中を優しく叩かれた。後ろを見ると僕に触れたのはピアスを1つだけ開けた少し今時の男の子で、見覚えがあるなんて思ったら彼はクラスメイトだと至った。彼は僕より頭2個分身長が高く、学ランも一回り大きそうなものを着ていたが、確か運動系の部活に入っていたんじゃなかったかと思う。流石に曖昧過ぎる情報で、申し訳なくもなりながら彼と目を合わせると、相手は大きな黒色の目を細め、利き手である僕の左手に収められた苺牛乳を指差して、

「お前何時も苺牛乳呑んでるな」
「え……、あ、うん」
「好きなの」
「うん」
「そう。なら、1人も好き?」
「え?」
「決まって1人で居るから」

 まるで鍋の中のシチューをお玉でかき回すように人のそれとなく重そうな部分を大胆に突いて来るものだから、僕は少し呆気に取られた。然し彼の顔は好奇心や揶揄で満たされている訳ではなくて、何故か少し怖くなるくらい真摯な目で僕を見るものだから、つい僕は初めて話す人に、

「好きでもないけど、悪いものでもないよ」
「そっか? まあ、俺も1人は好きだけどさ。でも友達と居るのも楽しいよな」
「そうだね…」

 彼は必要以上に顔を明るさで満たし、自販機と向き合ったと思ったら財布を取り出した。黒のメッシュのそれは矢張り彼の若者らしさを強調させているようで、何となくぼんやりと彼はモテそうだなんて思いながら視線を離せないでいる。彼は小銭を2枚入れるとボタンを押して、ゴトンと云う音がしたのを確認すると腰を屈めて飲み物を取り出した。胡麻と牛乳を混ぜた飲み物だった。

「俺はこれが好きなんだ」
「へえ…」
「なあ、ってかメアド交換しようぜ」
「……え?」
「携帯出して」

 彼は至って自然な動作で自分の白い携帯を取り出して、赤外線通信をする姿勢を取っている。何故今日初めて話した男子2人がメアド交換をしなきゃならないのかと疑問だったけど、断るのも失礼かと思ったし、これが彼のスタンスなのかと思って僕は大人しく自分の真っ黒の携帯を取り出した。少しもたつく僕と違って彼の携帯の動作は迅速且つ正確で、馴れているんだなとか、モテる訳だと思いながら無事に赤外線を終了した。メアド交換なんて多分2ヶ月ぶりだから、無駄に緊張もした。
 彼は携帯をポケットに突っ込むと手をそのまま出す事無く、踏み潰した運動靴の踵を巡らせる。そうして僕に人懐こく朗笑してみせると、

「それじゃあまた明日な。またメールするわ」

 これが僕と貴方の出会いだった。






 貴方はその次の日から、今まで居た華やかなグループを蔑ろにしてまで僕に構うようになった。最初は僕と一緒のグループは驚いていたけれど、その内彼等は僕と疎遠になってしまった。多分貴方とタイプが違ったのだと思う。
 それを云うなら僕と貴方だってタイプが違った筈なのだけど、貴方は僕を構い倒したし、僕は初めてカラオケに行ったり放課後一緒に食事をしたりした。母は僕が遅く帰るとどうしたのだと驚きを隠さぬまま云ったけど、僕が友達と居たのだと云えば母は嬉しそうに笑い、良かったわねと、大切にしなさいと云った。僕は何だか少し恥ずかしくて俯いたのだが、僕の黒くて長い髪が顔を隠し、視界を覆う簾のようになった。
 僕が髪を少し長くしているのには理由があって、単に自信がないからだ。髪の毛で顔を隠す意図だ。
 お前はどうして髪を長くしているの。眼鏡にまで当たってんじゃん。貴方は本当に不思議そうな声でそう云った事がある。友達と云ってもそこまで仲が良かった訳でもない友達しか居なかった僕からしたら、親友と云うカテゴリーに所属しても全然過言ではない位置に貴方は既に達していたので、僕が包み隠さず云うと貴方は少し苦い顔をした。貴方が嫌いだと云った、ピーマンを食べた時のような顔。

「お前顔綺麗じゃん」
「そんな事ないよ。今まで容姿を褒められた事がないし、不細工だ」

 貴方と違って。

「んな事ねーよ。自信持てよ」
「うーん……」
「それに容姿なんて関係ないだろ」
「そうかな」
「そうだろ」

 容姿が良ければこんな惨めな思いなんてきっとしなかったのに。そう思った時は何回もある。恋人が居なかったとは云え好きな人は居た事がある訳で、でも彼女とも結局叶わなかった。多分僕の容姿が良かったら、きっと上手く行ったのにと思わずにはいられない。他にも沢山厭な事はあり、僕のような醜い人間なんて居なければ良いんじゃないかと思ってしまう程だ。薄くなって美味しくないドリンクバーのメロンソーダを呑みながら塞ぎ込んでいると、貴方はストローから口を離して云った。

「香水だって香りが問題で瓶は大切じゃねーだろ。人間だって器じゃなくて大切なのは魂だ」

 魂だなんて彼が云うとは思わなくて思わず噴飯しかけたが、それでも僕は少しそうかもなんて思った。
 ところで、貴方は何で僕なんかと一緒に居てくれるんだろうと思い始めたのは、多分ずっと前から。…それは僕がクラスの友人が貴方に対して発した「お前どうしてあんな奴とつるんでんの」なんて言葉を聞く、ずっとずっと前から。






「好きだ」

 貴方と桜を見るのが2回目になった時。貴方の部屋の中でそう告げられた。「少し事情があって」と云って1人で暮らしていた貴方の家に僕が泊まるのも、珍しくなくなっていた頃でもあった。
 その好きはどんな意味なんだとか、冗談云わないでよだとか、そんな事が云い出せるような雰囲気ではなかった。張り詰めた空気の中貴方の顔は一杯一杯で、触れてしまうと音もなく壊れてしまいそうにも見えた。
 不思議な事に同性なのになんて抵抗もなくなっていた僕は多分貴方に感化されていて、僕は声も出せず小さく頷いた。

「……それって、付き合ってくれるって事」
「……云わせないでよ、」
「云わなきゃ分んないだろ」
「そんな意地悪……、」

 貴方は僕が顔を上げると同時、唇をそっと重ねて来た。初めて誰かと口付けを交わした僕はリードされるがままだったし、ずっとキスしていたらそんな雰囲気になって、僕等はその日初めて身体を重ねた。貴方が馴れていたのかは、生憎経験のない僕では分らなかった。只、痛かったし、よく分らないけどお互い一杯一杯で、莫迦みたいに汗をかきながら吐息を同じくして、鼓動を今までで1番大きく感じて、とてもとても怖いと同時、それでも確かに幸せだった。好きだと何回云われたのだろう。
 友達の一線を超えた僕に罪悪感はなく、在るのは僕の棒のような両手じゃ抱えきれない幸福だった。
 貴方は後で僕に実はずっと好きだったと告げて来た。幸福を貴方から貰う度泣きそうになる程嬉しかったけど、それでもどうしても僕の卑屈と云う名の桎梏は千切れずに、手から幸福は零れ落ち、床に着いた途端幸福は黒い涙へと化した。それは貴方を信頼しきれずに、あの日のクラスメイトへの貴方の返しを聞けずに逃げた僕をまるで責めるような色。


 貴方と恋人同士になってから、何ヶ月かが過ぎた。優しい貴方は僕が卑屈な事を知っていて、そして僕が些細な言葉も真剣に受け止めてしまう事も知っていたから、僕を硝子細工を扱うように大切にしてくれた。だから最初に比べたら懊悩する事も少しずつだけど少なくなってきて、自分でも前より笑うようになったと思う。
 そんな折、廊下で同じ部活仲間から声を掛けられた。

「よっす。久し振り」
「あ、久し振り」
「だよな。お前全然来ないもん」
「あ、と…。…ごめん」
「良いよ。なあ、これから空いてる」
「これから?」
「食事しよーぜって話。人数少ないから、お前もどうよ」

 今日は貴方と食べる約束をしていた。でも、僕は貴方以外の友人に声を掛けられて、浮かれて調子に乗っていたのだと思う。僕は貴方とも食べたかったけど彼等とも食べたかったから、つい携帯を取り出して莫迦な事を云ってしまった。

「べ、つの友達と食べる約束をしているんだ。だから彼も一緒に、良いかな」
「あー、バスケ部のアイツだっけ? 全然良いよ」

 彼は快諾してくれて、僕は嬉しくなりながら貴方にメールした。部活中だから返事は遅いと思ったけれど、何時もなら部活が終わって直ぐに返事が来るのにその日は少し遅かった。
 それでも返事は来て、貴方からの返信は『よいよ』の一言だけ。踊るような笑顔の顔文字は一切なく、句点すらもない。僕は貴方の対応が少し素っ気ない気がして落ち込んだけれど、会った貴方は何時も通りなばかりか他の人と話す姿は何時もより楽しそうにも見えて、勝手だけど寂しくなった。そして僕なんかじゃなくて別の人の方が、貴方には相応しいんじゃないかとも思うようになった。
 卑屈な僕を殺すのにはナイフなんて大層なものは要らなくて、貴方の何気ない言行が縄になって僕の首を締め付ける。苦しくて酸欠に陥る僕はまな板に横たわらせた金魚のよう、愚かに口をぱくぱくさせる。
 何時だって僕を傷付けるのは貴方だし、僕を救済し得るのも貴方。

 傲岸にも救済を待ち望む僕に、貴方は或る日残酷にも胴体に包丁を刺した。






「お前整形とかしないの」

 貴方の部屋で何もせず寛いでいたら、貴方は降り出しの雨のようにぽつりと言葉を落とした。
 一瞬何を云われたか分らなくて反応が遅れたが、貴方は読んでいる雑誌から顔を上げると、その真っ黒の双眸で僕の灰色の双眸を強く捉える。胸を鷲掴まれたような心地に息苦しくなったけど、貴方は鋭利な眼差しのまま、

「コンプレックス。強いだろ、容姿にも自信がないって」
「云ったけど……」
「しないの。後、髪染めたりとかさ、」

 ぐるぐると貴方の言葉が尾を引きながら、僕の頭で魚のように激しく旋回する。整形する程に僕の容姿とは変えた方が良いものなんだろうか。整形したら僕の顔は今の僕ではなくなるけど、それでも良いのだろうか。…貴方は器なんて大切じゃないと云ったのに。
 何より、綺麗だと云ってくれたのに。

「で、でもお金かかっちゃうよ」
「部分部分だったらそんなかかんねーよ」
「失敗する事も…」
「大丈夫だって」

 厭にしつこい。貴方はもしかして僕の顔は綺麗だなんて微塵も思ってくれてなかったんだろうかとか、最初からその積もりだったんだろうかとか、推測でしかないけれど僕を圧死させるには十分な考えが次々と浮かんで行く。
 貴方だって結局、器が綺麗じゃないと愛せなんてしないんだ。
 目から零れ落ちそうになった涙は外に出る事がなく、その代わりに喉の辺りが苦しくなる。貴方は今まで僕に愛以外の言葉を紡ぎはしなかったけど、こんな毒も吐ける事を改めて思い知らされた。

「顔良くなったら、その卑屈さも治るんじゃん」
「や、やめてよ…」
「俺だってやっぱりお前が綺麗になった方が嬉しいし」
「やめて」

 何でそんな意地悪を云うのだなんて、笑い飛ばせる明るさを僕が持っていたら良かったんだろうか。懇願する僕を余所に貴方は雑誌を閉じて、どうしてか分らないけど苦しそうな顔をして、そうして自棄に怒ったような声で僕を貫いた。

「今のまんまのお前、正直云って気持ち悪い」

 どすっ。






 …左手に血に塗れた包丁を緩く握り締めまま、放心しながら僕は床上の肉の塊を見下ろしていた。あんなにも愛おしかった貴方の身体はゴムのように汚くて、愛情の一つも見出せはしなかった。憑き物が落ちたように、愛とは何だろうとだけぼんやりと思った。
 あれからとうとう顔を歪ませて泣いた僕を見て、貴方は我に返ったような顔をして突然肩を掴んで謝ってきた。ごめん、云い過ぎた、整形した方が良いとか気持ち悪いとか、そんな事思った事なかったのに、ごめん。
 その雑音は腹立たしく耳障りで、僕はノイズをかき消すように人生で1番の大声を出して怒鳴った。急に何だよ、衝動に任せて非道い事云ったなら後から悔恨して薄っぺらいフォローなんてせずにその非道な態度を貫き通せよ、後から良い人ぶって罪悪が消えるとでも思ってるの? 罪滅ぼしの積もりなの? ご都合主義も大概だね!
 取り乱す僕を初めて見た貴方は大層哀しそうな顔をして、今にも泣きだしそうな顔で何度も何度も謝った。
 ――だから煩いって。
 僕は突然冷静になって、コンポを落として壊して消すように、貴方と云う雑音装置をざっくりと刺して壊した。肉に刃先が刺さった時貴方は苦しそうな顔をしたけれど、涙を流して身体をその場に落とした。こんな細い人間と体格の良い貴方では争ったらどっちが勝つかなんて火を見るより明らかなのに、結局は罪滅ぼしの積もりなのだろうか。自己満足にしか過ぎない偽善行為をして死ぬなんて、気分はさぞかし最悪だろうに。

 上げた左手で包丁を動かして、上からそっと自分の顔に線を引く。貴方は居てはいけない人なんて居ないと行ったけど、それはやっぱり嘘だったよ。



 だって貴方は僕と会ったりしなければ、死ぬ事なんてなかったもの。




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ネガティブ男、略してネガ男(お)。
やきもちから出された心ない言葉でも、何でも真面目に受け止める。


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