フランスのと或る山奥に、オスカーと云う名の山賊が居た。オスカーは髭面で、何時も髪の毛をぼうぼうに生やしていて、鼻と頬とお腹は風船のように膨らんでいた。小柄なその姿はドワーフによく似ていて、おまけに斧を愛用しているものだから、彼を知る者は蔑称としてドワーフのオスカーと彼を呼んだけど、それはオスカーの耳に届く事はなかった。何故ならオスカーは大層な怒りん坊で、ドワーフと云う単語を聞くだけで自分を虚仮にしていると思って次には相手を斧でトマトケチャップの『ミンチ』にしてしまうので、皆はオスカーの前では決してその蔑称を口にしなかったからだ。
 オスカーが山で獲物の鹿を捜していた或る日の事。(オスカーがその山に居るのは有名な話なので)山に近付く人間なんて最近では見られなかったのに、何とその日は同じ人間かと疑ってしまう程の見目麗しい少女が1人で歩いていた。彼女の紺色のコートもブーツも手袋も、オスカーが真っ当な仕事で一年頑張っても買えなさそうな上質なものであり、どうしてこんなご令嬢がこんな山奥に とオスカーは疑問に思ったが、次には少女に声をかけていた。
 少女の英語は貴族階級の訛りがあり、稚拙でしかも底辺も底辺の英語を話すオスカーは少し決まりが悪くなった。それでも少女は厭な顔をしないばかりか、笑顔でオスカーと話してくれる。その無垢さにオスカーは救われる心地がすると同時、特有の妬みの感情が生じる羽目になった。

 話を聞けば目付きの悪い東洋人から逃げて来たのだと云う。命を狙われているのかと聞いてしまったオスカーに、少女は瞬き1つすると哄笑し まさかそんな と云う。確かに少女には危機感なんてものは生憎全く感じない。
 オスカーがじゃあ一体その東洋人は何者かと尋ねる前、ところで と少女は口を開くとこの近くに宿はあるかと云う。オスカーは真面目に麓の宿屋を教えかけたけど、その前に不幸にも天性の悪どさが百合の如く首を擡げてしまい、何なら自分の小屋で泊まれば良いと云う。普通なら警戒して断るところなのに、少女は途端嬉しそうな顔をして 願ってもない!と云った。こんな上流貴族が髭面の大男の山小屋に来たがるなんて、前代未聞も良いところ。下への好奇心なのか、疑う事を知らない幸せ者なのか。どちらにせよ不機嫌になったオスカーは、作った笑顔の裏で 身ぐるみを剥いで奴隷として働かせちまおう と思った。オスカーはこの40年以上ずっと朝は粗末なパンと豆のスープだけだけど、少女はマリー・アントワネットの最後の晩餐より上等で美味しいブイヨン・スープも白パンも、食後のデザートも飽くまで食べているに違いない。身分の違いを逆転させたって、罰は当たらないだろう。

 少女の名前はクイーンと云うらしい。また成るべくした名前だとオスカーは飽き飽きしつつ、鹿の事など忘れて少女を山小屋へと案内した。






 日も暮れて、夕餉に出した鶏肉入りのトマトのスープも完食した。クイーンは若干不満そうな顔をしたけれど、食後にプディングをねだったりはしなかった。
 オスカーはクイーンの手前珍しく食器を洗いながら、先程から考えていた事を そう云えば とさも今考えついたよう口にする。

「前仲間から貰ったチェスがあるんだが、チェスは出来るか?」
「チェス? トマトスープより大好物」
「そりゃあ何より。どうだ、儂と勝負してみるのは」
「それって最高」

 クイーンはチェスが大好きなようで、この会話の前後で態度をころりと変える。そうして椅子を揺らしながら早くチェスをしようよと可愛くねだるものなので、オスカーは心中でほくそ笑むと洗い物を途中にし、両手を汚れた布で拭く。そうして棚の上から埃を被った箱を取り、安物のチェス盤をテーブルの上へ置く。クイーンはその質に若干ガッカリしたけれど、直ぐに気を取り直すと袖を捲って気合いを入れた。

「この前知り合いに負けたからね。今度こそ勝たないとだ」
「それなんだが、只勝負するだけじゃあ芸がない。どうだ、賭けをするってのは」
「賭けだって? 僕は今お金なんて」
「お金じゃなくても、お前さんの身につけているもの全ては金になるじゃあないか」

 漸くオスカーの目的が解ったのか、クイーンは突然目付きを変える。先程までの天使のような純粋な目ではなく、品定めをする時の冷徹で公平な裁判官のような、そんな目だった。
 オスカーは可笑しな話だが恐ろしくなって、慌てて手を振ると、

「ああいや、勿論手加減はする」
「手加減だって?」
「そう、儂だって大人なんだ、まさか子供相手に大人げない事は」

 然しクイーンは安堵してみせるばかりか一気に不機嫌な顔になり、テーブルの上のフォークを掴む。一体フォークをどうする気かとオスカーが困惑する前で、クイーンはフォークを右手で器用にくるくると回す。そうして「うちのメイド長がフォークやナイフで闘うのはちょっとばかしナンセンスだと思っていたけれど、あながち確かに同意出来得る利便性はあるようだ」とオスカーには到底理解出来ない言葉を口早に発すると、
 ――身を乗り出してそのフォークの先をびたりとオスカーの喉元に突き付けた。
 クイーンのエメラルド色の目が据わっていた事とその動作の速さ、静まった空気にオスカーは小さく「ひ」と上擦った声を出す。莫迦にしていた子供相手に汗を出し、唇を奮わせた。クイーンは顔色一つも変えないで、

「あの兎と同じふざけた真似をする気かよ。君、そんな事をしたら君の喉元をフォークで掻っ切るぜ?」
「う、さ…? わわ解った、解ったよ」
「あんまり僕を失望させるなよ」

 オスカーが必死に壊れた水飲み鳥のように頷くとクイーンは満足したのか、笑顔に戻ると再び椅子へと腰をかけてフォークをテーブルの上へと戻す。…頭が真っ白になったオスカーはその後を覚えてはないけれど、次の日クイーンの姿はなくて、おまけに唯一の財産だった千枚皮の上質な上着もなくなっていた。
 オスカーは呆然として、木の椅子に凭れかかる。視界の隅のチェス盤では圧倒的差で黒側が負けていて、衝動で思わず叩き付けるようチェス盤をテーブルから乱暴に床へと落とす。散らばった白と黒のチェス駒を見下ろしながら、二度とチェスなんかして堪るか とオスカーは毒を吐いた。








「……で、その上着はどうしたんだよ」
「賭けで貰った。中々良いでしょう? 絵本のお姫様みたいで」
「俺はそうは思わない」
「ああ、そう。ところでアリス、麓に大道芸が来ているそうじゃない」
「みたいだな」
「白色の象が居るんだって。見ようよ」
「駄目だ。寄り道せず帰るぞ」
「………」



「アリス」
「何だよ」
「今から口頭チェスで賭けをしよう」
「賭け?」
「僕が勝てば白色の象を見よう。君が勝てばピンク色の象を見る」
「…。後者は冗談だろ?」
「本気だよ」
「どんな危険なギャンブルだよ」
「リスクがあった方が楽しいでしょう」
「流石にふざけ過ぎだ」
「僕に云わせれば危険の伴わないゲームも出来ない子供は『さっさと歯磨きをして寝てろ』さ」
「…お前なあ」
「覚悟は出来たかい、ジャパニーズ。それじゃあ僕から」




「E4に、ポーンを」



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