〔■■××年×月 弟への手紙〕

 愚弟リデルヘ。
 俺だ、元気しているか。俺だと云っても貴様は何せ莫迦だから、誰か分らないかも知れない。然しそれでは俺が大変困るので、優しくて気の利く俺は名前をわざわざ書いてやる事にしよう。どうだ、有り難かろう。涙を流しながら額を地面に擦り付けて感謝しろよ。
 さて、俺がこうして筆を取るの理由はあんまりない。取り敢えずヴァイオレットから渡された、何とかと云う本に感化されたのは確かであり、俺は何となくそれを真似て貴様にこうして手軽を認める事にした。まあ、云うなれば気まぐれだ。
 然しいきなり困ったな、殊更書く事がどうもない。考えれば男は背中で語るものだし、これまでの人生で散々そうして貴様に語って来たものだから、当然と云えば当然か。ああ、そう云えば今日の昼餉が美味かった。あれに鰻があれば最高である。
 鰻と云えば、貴様は俺と違って鯖の味噌煮が好きだったな。思えば貴様と俺は中々趣味も合わず、兄弟らしからぬ面も多々あった。俺はてっきり兄と弟はそっくりそのまま似るものと思ったが、兄者が「俺とお前は似ているか?」と云ってきて初めて気付いたよ、兄弟は似ないかも知れないな。
 然し折角だし腹蔵があるのも何だろう、俺は貴様に本当の事を云う事にする。俺は貴様が産まれて来てくれて、大層歓喜したのだよ。分るか、俺は姉者や兄者に弟が良い、弟が欲しいと目を煌々(こうこう)とさせて云っていた。そうして貴様の性別が女以外のものだから、俺は手放しで喜んだ。あの時の感動は今でも覚えているし、今までの何よりも俺を喜ばせてくれた。あの時の感動に勝るものを、生憎未だ俺は知らない。
 だのに期待をかけられた貴様ときたら、俺の理想と全く懸け離れていたよ。貴様は庭の鳥をじっと見ていたり、楽器を演奏したり、本ばかりを読んでたり、詩に心を打たれたり。あまつさえ、戦争とは何ぞやと、お国なんか知らないと貴様は泣いた事がある。痺れを切らした俺が、貴様を竹刀で叩いた時だったと思う。貴様はわんわん泣いて部屋に閉じこもってしまった。
 俺は呆れ果て、貴様に失望した。貴様を現実から目を背ける、救えない莫迦だと思った。貴様はそれでも筆を竹刀に替えようとはしなかったし、姉に諭吉の本を見せて 兄さんはこの兄弟の兄そっくりだ と泣きながら呆れた台詞を吐いたのを、俺は実は知っていた。
 然し貴様は今、こうして陸軍の士官学校へ入学し、然も首席と云うだろう。貴様は生意気だし頭も大きくて未熟な人間だが、兄としては中々鼻が高いし評価してやろうと思う。
 只、貴様の先駆者である兄として一言忠告しておいてやろう。
 守ると壊すを履き違えるな。結果が一緒とて、目的と意義を違えるとその行為の意味すら変わるだろう。貴様は机の上の勉強は出来るようだが、その猪突猛進さ故に他の面でからっきし莫迦になる。机上で行うのは所詮空論で、実際の行為が行われるのはこの地面であるぞ。しかと地に足を着け、正しい道を歩め。
 貴様がそうして立派な軍人に成長し戦地で散華するのを兄として期待はするが、実は貴様が突然逃げ腰になって惨めに帰って生き延びても良いと思っている。それは俺が必ず散華し小鳥遊家全ての責務を全うするからに他ならないが、もう一つ。
 多分俺は、こうした美辞麗句があまり好きではない。


××年×月
リデルヘ








『おお何だ貴様か。貴様がこちらへわざわざ電話を寄越すとは珍しいな』
「兄さん、名前を書き忘れたでしょう」
『む? ああ、手紙か』
「本ってわだつみのこえですよね。縁起でもない事をしないで頂きたい」
『どうだった、手紙は』
「語彙が乏しい上、文章が読み辛い事この上ありませんでしたね。特に最後の一文なんか訳が分らなくて、理解に暫く時間がかかりました」
『それは貴様の理解力が乏しい』
「…。で、散華は未だなさらなくて結構ですよ」
『未だ? なら何時しろと』
「三年後にでも」
『貴様、俺を三年で殺す気か』
「嘘ですよ。……多分貴方はしぶといから、その十倍は生きるでしょうね」
『平均年齢からしたら立派だな』
「ええ、長寿です」
『リデル』
「何ですか」
『気持ち悪い』
「そうですね、ですが兄さんの手紙も気持ち悪かった」
『あー。やめだ、やめ。軍医と呑む』
「そうして下さい」
『じゃあな愚弟』
「さようなら、愚兄」
『可愛くないなあ』
「貴方の弟ですし」
『じゃあなリデル』
「さようなら、兄さん」


『貴様が成人したら呑むぞ』


「…ええ、きっと」





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尾崎良夫さんの文章が凄く兄さんでした。こう云う本は何時までも継がれるべきであると思います。



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