ある休日の事。ドルダムとドルディーは、珍しく休みのアリスと一緒に街へ出る事になった。 さて、であるからして、ジャバウォックは本日は晴れて自由の身である。双子と某世界的ダンサーのダンスを踊ったりファッションショーごっこもしなければ、雑誌を広げたりもしない。何をしようかと彼が放送室の中、革製の椅子を回転させて頭を巡らせていると、突然頭に電撃が走ったようになる。双子が居ない、それはつまり。 「……煙草が喫める」 ジャバウォックは椅子を止め、水色の双眸の中へスピカを輝かせた。 「で、今日はドルダムドルディーも外出中、シャワーを浴びれば脂の匂いも消える、故に喫んでも大丈夫な訳だよ」 「……それで何故、チミは大広間で喫もうとするんだい」 「放送室で1人喫むなんて、寂しいでしょう」 元ヘビースモーカーの彼は最近ご無沙汰だった煙草を喫めるのが余程嬉しいのだろう、フルーツタルトを食べていたラビの前の椅子へ座ってからずっと笑顔を絶やさない。ラビがフォークでナパージュのかかった苺を刺したと同時、ジャバウォックはガーメントウォッシュのされたダークブラウン色のパイピングシャツのポケットから、煙草の箱を取り出す。『Davidoff CLASSIC』と書かれた箱は少々よれているものの、気にした様子もなくそれから一本を慣れた手つきで取り出した。そして口へ銜えると、左手で黒色のズボンのポケットからライターを出す。ブランド名が下の方へ刻印されたライターだ。火を点ける前に、ラビへ尋ねた。 「ラビは喫まないの」 「煙草は嫌いなんだ。苦くて」 「子供だなー」 揶揄したジャバウォックは苦いだけのそれが美味しいのか、火の点けられた煙草を破顔して喫む。好きじゃないと答えたラビは矢張り煙草の匂い自体が好きではないのだろう、眉を軽微に顰めて不満を目で訴えた。然しジャバウォックはそんなラビの様子がまた一興であるように、意地も悪く薄笑いを浮かべたまま、煙草を喫むのを止めない。ばかりかラビの顔へ顔を近付けると、軽く煙を吹きかけた。するとラビは噎せて咳をするものだから、ジャバウォックはご機嫌顔だ。燻る煙草を右手の人差し指と中指で挟み、口の端から煙を出しながら、 「ふふ、サディストって虐めたくなるよね」 「…報復は15倍返しだが、それは承知しているんだろう?」 「え、15倍て凄い数字。それお兄たん死ぬよね…ってラビ、その左手の硝子の灰皿をこっちに向けてどうする気、」 「ヘッドフォンは壊さないから安心してくれて構わない」 「頭が壊れるとか安心出来ない!」 ジャバウォックが頭を両手で庇おうとする前、然し彼の頭を叩いたのは灰皿ではなくステッキだった。しかも予期した前方からではなくて、後方から。小さな悲鳴をあげたジャバウォックが頭を押さえて振り向くと、そこにはステッキを右手に構えて仁王立ちする女王様が居る。げ、と思わず漏らしたジャバウォックの側頭部へ黒色のステッキの先を当て、不機嫌な顔のまま、 「白兎は禁煙。云った筈だけど?」 「た、たまには見逃してよ女王」 「どうしても喫みたいなら外に出て。しかも薔薇園の向こうでね」 「遠いよ」 「なら君は火を消すべきだね」 女王からそうはきと云われ、ジャバウォックは言葉に詰まる。多少悩むようだったが、大人しく煙草の火を灰皿で消すと、椅子の背もたれに深く寄り掛かる。心地好いその椅子の柔らかな感触に身体を寄せながら、些か不服そうに唇を尖らせる。ラビの隣の椅子へ座ったクイーンに、大仰に肩を竦めてみせた。 「煙草くらい見逃してよ」 「厭だよ。僕は煙草は嫌いだもの。第一君、煙草は止めたのでしょう」 「…たまには喫みたくなるよね」 「ミント味の飴でも舐めとけば」 冷たくあしらわれ、ジャバウォックは苦笑を漏らす。どうやら煙草嫌いの女王様は許可を出す気はさらさら無いようだ。ラビの隣に着座した辺りからも、口に銜えるなら煙草ではなくて、ナパージュを掬うフォークをお好みらしい。肩身が狭くなり、仕方なくズボンのポケットから飴を取り出す。これは何時もの甘い飴ではなくて、禁煙用の珈琲味の禁煙飴だった。袋を破り、口に含む。 「今時煙草する人は好かれないよ。お菓子を食べてた方が余程好かれる」 「まさか」 「君、白兎で1番おモテのラビを見てご覧よ」 クイーンから指差されて首を傾げるラビを見て、ジャバウォックは腕を組んで唸る。確かに、白兎の中でも外でも異性のみならず同性ですら虜にしてみせる彼を例に出されては、あながち否定出来たものでもないだろう。然しだからと云って自分がお菓子を沢山食べてもラビのよう引く手数多になるとは到底思えはしなかったし、ラビが煙草をしても云い寄る人数が減るともあまり思えなかった。結局は顔だとか、性格や雰囲気がものを云う気もする。 あまり納得もしてなさそうなジャバウォックの顔を見て、クイーンは眉を上げて足を組む。そして茶色の革靴を無造作に放ったまま、少し離れた席でお茶をするケイティとグリムへ声を投げた。 「ねえグリム、君は煙草どう思う」 「…私は格段…」 白色の陶器へ赤薔薇の描かれたカップの取っ手を持ったグリムは然し、クイーン達が座る机上の灰皿から煙が揺蕩うのを視認して状況が察せたのだろう。ラビが煙草を嫌うのは知っていたし、まさか年端も行かぬクイーンが煙草をする訳が無い。グリムは言葉を切り、完全なる王子様の笑顔で見事切り捨てた。 「大嫌いですね」 「心の底から禁煙します!」 「……君は本当グリム馬鹿だね」 クイーンは呆れた。 そんな事があった夕方、ラビが通路を歩いているとアリスと擦れ違った。恐らくドルダムドルディーと用事を済ませた後なのだろう、外出用のグレンチェックのツイードジャケットを羽織ったままのアリスは、ラビを視認するなり不機嫌に眉を顰めて床へと視線を落とす。然し距離が狭まるとぴく、と反応し、顔を上げて不思議そうな顔でラビを見た。足を止めたアリスに今度はラビが不思議に思う番であるのだが、口を開かれて理由は直ぐ解る。 「…煙草の匂いがする。お前煙草吸ったっけ」 「え、ああいや、これは」 本官のじゃない、とラビが答えた瞬間、アリスの視線が蔑視のそれへと成り果てた。顔を今日一番の不機嫌顔にしたアリスは厭味たらしく「ふうん」と云う。それは本気で怒っている時のものである。そしてラビの厭な予感は当たった。 「煩く云う俺が居なくなった途端直ぐそれか。へえ、本当見境なしだな」 「………」 「果てろ」 やたら強く匂うものだから誰かと遊んでいたと勘違いしたのだろう、あらぬ誤解を解く暇も与えず、アリスはラビへ吐き捨てるともう用はないとでも云わんばかり、視線を逸らして直ぐに歩き出す。一応ラビが名前を呼んではみたが、アリスは振り向きもせずさっさと行ってしまう。 また一週間は無視の日々が続きそうだとラビが額に手を当てて肩を落とした時、今来たらしいジャバウォックがラビの肩を叩いて話しかけて来た。元凶であるが何も知らずに怪獣の巨大縫いぐるみを抱えている彼にラビは真顔で、 「…ジャバウォック」 「ん?」 「一発撃って良いかい」 「え、未だ昼の事を根に…って、ちょ、ラビっ」 後方から銃声が聞こえた気がしてアリスは一瞬止まったが、気の所為だと思い直して部屋に戻る事にした。 |