「アリスさんは、人間の本体は胸と頭どちらにあると考えますか」

 牡丹雪が降る中で、小鳥遊は突然口を開き俺にそう尋ねて来た。厭になる程の寒さが、地上の全てを無差別に迫害する。寒風に身体を震わせながら、俺は小鳥遊の顔を見た。肩を並べて歩く彼は真摯な顔を前方へと向け、行く先の道をひたすら見据えている。俺を向く事がないその顔から、視線を逸らした。牡丹雪が俺の耳に落ち、その箇所から寒さの波紋を拡げる。多分俺の耳は今、赤色に染まっている事だろう。
 小鳥遊の家へ向かう道程で、何も寒さの所為で彼の頭が可笑しくなった訳ではない。彼は結構な頻度で、面倒な話をしてくるのだ。然しそれを適当にあしらう気もなく、俺はかじかむ両手に息を吐きかけると、口を小さく開いた。

「…胸」
「貴方のそういう古臭いところ、大好きです」
「莫迦にしてるのか」
「まさか。褒めてます」

 古臭いと彼が云ったのは、今では本当は脳が本体である事は、一般常識であるからだろう。考える事は心臓ではなく脳が行う。畢竟、本体は脳だ。それは揺るぎない誠である。
 それでも脳こそが本体と云ってしまうのは、何故だか味気なく感じてしまう俺は、胸が本体であると思う。頭に聞けと云う言葉は無いが、胸に聞けとは云うだろう。心が大切、とも云う。これは未だ真実が解明していない時に作られた言葉であり、高揚感を覚えた時に激しい動きをしてみせるのを、自分でも解る唯一の場所だったからかも知れないが、それでも自己の中で本体は胸だ――と、主張するのは勝手な筈だった。それにしても今日は寒すぎる。
 小鳥遊は白い息を吐きながら、再び口を開いた。

「なら、俺の心臓を愛して頂けますか」
「………は」
「俺の本体である心臓こそが大切ですよね。俺が心臓だけになったとして、愛して頂けますか」

 また面倒な話を持ち出して来た。彼は自分の理屈に無謬があるとは考えたりはしないようで、至って真剣だから益々性質が悪い。交際してみて解ったが彼は実に浪漫的で、運命の赤い糸だとかを信じたり、誠の愛を語ったり、取り敢えず愛と云う概念に異常なまでの執着をみせる。それは聞いているとまるで一般的な愛を疑うかのようにも思える、彼は骨頂の愛を求めているようだった。どうしてそこまで固執するのかは解らないが、多分そんなお年頃なのだろう。とは云え、一年前の俺は、絶対そんな事を考えたりはしなかったが。
 牡丹雪が降る中で、小鳥遊は続ける。

「顔や体格等の外面、器、と云うのは恋愛で重要視するべきではないと俺は思います。無論、それが愛の契機になるのは何ら構いません。きっかけなんて不純なものでしょう」
「そうだな」
「そこからが問題です。誠にその人を愛したなら、例えその人がどんな姿に成り果てたとて、愛する事が出来る筈ですね。大切なのは、中身なのですから」

 彼が云うのは、薄っぺらい、或は嘘に酷似した愛であるならば、多分外観が変われば気持ちは離れる。然しその人の本質を心底から愛しいと感じたならば、例え外観が何になったとて、愛は不変であるに違いはないと云う事だと思う。
 寒さで身体が震える。俺が無言のまま首肯すると、小鳥遊は意思伝達を誤謬もなく出来た事に、非常に満足したようだった。
 愛だとかを一蹴してしまいそうな性格をしているのに、此処まで愛を語るのは実に意外だと思う。人はよく解らない。案外情熱的だと思ったが、意外でもないかと思い直した。彼は冷めていると同時、酷く昂ってもいるのだ。

「例えるなら…ああ、蜜柑とかどうです? 蜜柑が好物と云う者は、皮ではなく中が好きですよね」
「そりゃあそうだろ」
「人間も同じで、所詮腐敗してしまうこの見目なんて仮初にしか過ぎませんし必要ありません。大事なのは、その人自身であり、…その人の核が心の臓であると云うのなら」

 小鳥遊は歩きながら、俺の心臓を指で指した。彼が嵌める白手套は彼の潔癖な本質をよく訴えていて、汚れは一つもなく綺麗だった。牡丹雪と同じ位美しいその白色は、俺の胸から直ぐに離れる。
 彼の革靴は止まる事がなく、正確に一定の拍子を刻む。軍人と云う彼を構成する要因が、例え形になって現れなくても彼は彼でしか有り得ないし、仮に言葉と云う意思を伝える手段がなくなったとしても、彼は俺が愛した彼には違いない。彼の要因全てを持つのは彼の本体であり、今こうして話題に上がる心でしかなかった。彼が動けなくなったとしても、身体が朽ちても、彼が彼である本体を持つのなら向けられる愛が色褪せる事は無かろう、と彼は云うのである。

「まさかアリスさん、俺の顔に惚れて腫れた訳ではないでしょう?」
「まあ、それは」
「だから、俺が例えば心臓だけしか無い存在になったとしても、愛して下さいよ。心臓こそ、俺なのですから」

 …云うなら臓器も器でしかなく、確かに誰でもないその人のものだとしても臓器も永遠不滅ではない点からも心臓を愛せと云うのは可笑しな気がするのだが、多分彼はあくまで例えで云っているのであり、要するに思想を、奥深くを、魂を愛せと云うのだろう。
 困った事にこうして俺に視角がある以上は、どうしても彼の外見にも目が奪われる事もあるのだし、心臓だけと云うのはまたどんな状況かも想像が付かない。付かないが、答えなんて決まってる。面倒な奴だと思いつつ、今までの交際期間で別れたいと思った事が一度もないのは、多分惚れた欲目だ。
 牡丹雪のよう大きくて綺麗な感情が、心中で堆積されて行く。雪解けは未だ先で、日の目が出る気配は一向に無かった。大量の雪の所為で視界が正常に稼働してくれなくとも、二人で埋もれた場所はこんなにも心地好い。頭は凍死した方が反って都合が良いと云うものだ。
 小さく、それでも彼の耳に届くよう、俺は言葉を発した。



「…善処する」






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