一緒に香水を見に行こう、とラビから誘われた。格段用事も無かったし、俺はそれを首肯した。白兎の中にも調香師は居るのだが、街中のお店に向かった。
 ラビが使う香水は、バニラエッセンスに似た香りだ。何時もその糖分で死ねそうな程の過多なお菓子を食べているからその香りと紛えてしまうのだが、彼の手首から仄かに香る香水は確かに甘くて、彼らしいと思えた。自分で選んだのかと尋ねて、そうだと返って来た時は安堵した。もしも『女の子からのプレゼントだ』なんて宣ったら、多分その香水瓶でラビの頭をかち割ったところだ。
 ラビと交流のある女の子達は本当に所謂『オンナノコ』をしていて、仏蘭西の赤い風車の踊り子のよう、魅惑的とでも形容したら合うような女の子達だった。嫉妬したかと聞かれれば、勿論だとしか云えない。彼は余裕綽綽で、俺の心を掻き乱してばかりだ。まるでキャラメルティーにティー・スプーンでミルクを混ぜる時のように。

 街角にある硝子張りの洒落た店に入ると、馴染みであるのか何なのか、店員の女性がラビに親しんだ様子で話し掛ける。彼女は白に近しい金髪を揺らし、破顔してラビの身体に抱き着いた。俺はその光景から目を逸らす。西洋人の挨拶だと解ってはいながらも、そのあまりにも親密な挨拶は、直視して良い気分になれるものではなかった。
 彼女はラビから離れると、俺を見て『友人か』とラビに尋ねる。気まずくて視線を棚一面に飾られた香水瓶へ遣っていると、ラビは『恋人だ』と云った。彼女が少し驚いて息を呑む音がしたが、それは男同士と云う問題ではなくて、ラビが恋人を作った事が驚くべき事なのだろう。俺はラビが濁しもせずはきと云ってくれた事に不覚にも嬉しくなって、頬を微かに赤く染めた。彼女からの視線が痛いので、漸くそちらを見て軽く会釈する。彼女は水色の瞳を丸くしていたが、ややあって挨拶を返してくれた。



 ジャズが静かに流れる店内で、一番上の棚に俺は見覚えのある香水を発見した。王冠の絵が描かれた赤色の香水瓶は、男娼時に一人の客から貰った物だった。それがどんな人物だったかは覚えていない。その香水はその客が来る時だけ使用していたが、逃げる時に部屋にそのまま置いて来た。多分もう、茶屋で棄てられてしまったろう。遥か昔のお話だ。
 右手を上げてそれを取ると、ゴシックで値段の書かれたラベルが直ぐに目に入る。馬鹿みたいに高額なそれを見て、女郎の涙で倉の屋根が漏りとはこの事か、と顔も分らぬ人物に深く呆れる。俺は遊女ではなかったが、貢がれる意味では男娼も似たようなものだ。彼は異国のこの香水を、情事が終わってから貴重な物だと嬉しそうに、大切そうに鞄から出したのだと思う。茶屋に来る程だからお金はあるのだろうが、それでも大日本帝国の者が異国の何かを手に入れるのは、相当痛い出費だったろう。
 蓋を開けて、匂いを嗅いだ。久方ぶりのそれは懐かしいと哀愁漂う訳もなく、顔を顰めた。柘榴と、苺と、林檎と、薔薇を混ぜた香り。彼は、俺には紅が映えると云った。思えば客の全員が、口を揃えて云ったと思う。――下らない。そんなの、情事の時のキスマークと、唇と、紅潮した頬の色だ。俺は無意識の内に、香水瓶を強く握り締めた。

「…それが欲しいのかい?」
「え、あ――」

 見るとラビが後ろからこちらを覗いてて、俺は疚しくもないのに焦燥して香水瓶を棚へ戻した。首を横に振り、違うと返す。ラビはふうん、と言及もせず返した。疚しくもないとは嘘だろうか、俺は恥じるように視線を落とした。
 ラビの左手には、曇り硝子のような素材で出来た細長い香水瓶。何時ものあのバニラエッセンスの香水だろうかと思って聞くと、どうやら違うらしい。ラビは日常会話と同じよう、それを云った。その香水瓶のラベルに、美しい筆記体で『ガーデニア』と書かれているのが目に入る。ガーデニア。香りのない椿と酷似した見目の花。
 思えばよく似合うと云われた花は乙女椿で、俺が生まれた5月4日でもそれは咲く花だった。花言葉は『完璧な魅力』。正にそうだろうと云う男達は、特に光明寺乙女が相応しかろうと云った。簪の代わりに花飾りにも出来そうなその大きくて丸みのある薔薇に似た椿は、控え目で毒のある淡紅色を着込んでいた。

「アリスの纏う香りと、同じような香りがしたから」

 彼曰く、俺と同じ香りがするのだからそれを買うらしい。又そんな恥ずかしい事を単簡にして退ける、そう呆れながら俺の顔は益々赤へ色付いたものだから、多分俺も相当恥ずかしい奴だった。ラビのジャケットの袖を掴み、彼の肩に顔を埋める。店内だとかそんな事を厭わぬ程に湧いた俺の頭には、赤色の花達が繁殖して脳を蝕んでいるのではないかと思う程だ。脳には蔦が絡まって、正常な機能で作動してくれない。ラビは何も云わず、俺の髪に優しく触れた。上げられて落ちた髪は首を擽り、元の位置でまた垂れる。顔を埋めたまま、唇を漸く震わせて言葉を発する。

「…お前の、何時もの香水を、買う」
「あれで良いのかい?」
「……。お前をずっと感じていたいから、あれが良いんだ」

 ラビの右手が俺の顔を上げさせた。思えば赤色も、捨てたものではないかも知れない。俺を見据えるラビの瞳は鋼玉のような赤色だし、彼が好く苺もまた、赤色だった。ラビは俺の唇に唇を重ね、触れるだけのそれをして愛おしむよう俺の頬を撫でた。「最高の口説き文句だ」と云ってもう一度キスを落とした。店員である彼女が見たかは分らなかったが、彼女は何も云わなかった。敢えてだろうか、俺は気恥ずかしくて何処か居心地悪く、精算の時はラビの後ろに隠れるように居た。ラビは当然のよう俺の分の香水の代金まで払った。
 帰ってから返そうとしたが、彼は受け付けてはくれなかった。自分が好きでしたのだから良いと云う。彼は俺を甘やかす節がある。駄目な人間になると云うから甘やかすのを止めろと以前云った時、彼はキスをして云った。「本官以外では手に負えない程の駄目な人間になれば何の心配も要らないから、もっと駄目な人間になれば良い」と。彼はどうやら俺を心から愛してくれているらしい。駄目な奴だな、そう思いながらも次のキスを受け入れた俺はもうきっととうに駄目な人間だった。


 ラビが普段つけていたとの香水瓶は、綺麗な透明の瓶だった。蓋の部分は真っ白なオーガンジーのリボンで飾られていて、蓋を取って嗅いでみると(ラビだ)と思える甘ったるいバニラエッセンスの香りが漂った。
 マリリン・モンローが、インタビューの時「私は夜寝る時はシャネルの5番を着ている」と言葉遊びをしてみせたのは有名な話だが、だから俺はその日の夜、ラビに「俺もこれを着て寝よう」と揶揄するように云った。するとラビは巧笑し、自分のソリッドのネクタイを解く腕を止め、そのままベッドの上に座っていた俺を押し倒した。頭で感じる枕の柔らかな感覚、着崩れたシャツから覗く首筋、色香ある彼から香るは椿に似たガーデニア。肌と腎水が白で、染まる頬と滲む血が赤、白と赤、どちらも備えた椿とよく似ていると彼等は云った。然しそれならば、皚皚たる白の髪と鋼玉の赤の双眸を持つラビもきっと合うだろう。そして白と赤は交ざり、乙女椿の淡紅になる。
 両手の指を絡め、楽しそうに彼は云う。


「わざわざ香水を纏わなくても、何時も夜は本官が抱き締めて寝るんだから意味も無いだろう」


 ――違いない。






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