小説 | ナノ
07


 砂地に座り、身の上に降りかかった出来事を精査する。記録を眺め、数値を確認する。結果、一部記憶の欠損と、新しい体を動かしているのはクロスヘアーズの体液だということがわかった。
 ……久しぶりに夢を見た。空挺兵の夢だ。夢を見なくなったのは、すぐ近くにいるから。捜さずとも姿が見えるから。今まさに、砂煙を上げて近づいてくるから。
「クロスヘアーズ」
 姿を変えたクロスヘアーズが目の前に立ちはだかる。
「礼を言う」
 ドリフトは立ち上がるとクロスヘアーズを見上げた。いつも皮肉げな笑みを浮かべる口元は真一文字に引き結ばれている。
「まだ、調整が必要な部分もあるが、バンブルビーが付き合ってくれる。おまえには感謝している」
 ドリフトが渓谷から離れ、奥地に走ったのはビークルモードの動作確認だけではない。記憶を覗いたクロスヘアーズなら、今夜も姿を見せるだろうと思ったからだ。
「……生きたいのか死にたいのか、はっきりしねえ奴だな」
「センセイを守るために、生きねば」
「昨日は殺してだとかほざいてたが」
 クロスヘアーズがコートの裾を払う。ドリフトは刀に手をかけた。
 銃声と共にドリフトは身を低くして駆け出す。連射される銃弾をかいくぐり、クロスヘアーズの懐に飛び込んだが、すでに姿はない。
 見上げると、星空を背に落ちてくるクロスヘアーズがいた。
 咄嗟に二本目の刀を抜くと予測した落下地点で刃を交差させる。重い衝撃が腕を、脚を伝い、ヒールを揺らした。
 刃の狭間で銃がぎりぎりと揺れたかと思うと離れる。力の反動で体勢を崩した一瞬の隙をついて、クロスヘアーズの拳が腹部にめり込んだ。
 ドリフトの体は砂を二転して止まった。立ち上がろうと丸めた背を殴られ、再びドリフトは砂地に這う。
「見てらんねえな。戦闘記憶は消えちまったのか?」
「……体の扱いに、慣れないだけ、だ」
 目の前にしゃがみ込んだクロスヘアーズはあきれたように呟くとゆっくり首を振った。
「俺どころか、ビーにも勝てねえぞ」
 ハウンドなら間違いなく瞬殺だなと呟いたクロスヘアーズは立ち上がると投げ出された刀を拾い、ドリフトの腕を掴んで歩き出す。砂と体がこすれる嫌な音が、衝撃からくる目眩に拍車をかけるた。
「仕方ねえから戦闘記憶入れてやるよ」
 岩場で足を止めたクロスヘアーズはドリフトを抱え込むと岩を背に座る。質の悪いドラッグに酔ったときのような目眩のなか、ちきちきちき、と歯車の音を聞いた。
 キールに回線が浸入し、幾つかの接続を介して圧縮されたデータが送り込まれる。
「……っ!」
 展開されるデータ量の多さに目眩がひどくなった。
 次々と送り込まれ、展開されるデータにたまりかねたドリフトはすがるようにクロスヘアーズの腕を掴む。
「俺の全データだ、捨てんなよ」
 目眩に飲み込まれるようにして意識を手放したドリフトは歌を聞いた。間近で聞こえる歌に顔を上げ、振り仰ぐとごく近くにクロスヘアーズの顔がある。
 遠くを見て旋律を口ずさむ表情は、鼻歌を歌いながら戦った空挺兵と同一人物だとは思えないほど静かだ。
 随分遠くまで来てしまったと、ドリフトは思った。膨大な戦闘記憶が過ぎ去った時の長さを物語る。歌は続き、クロスヘアーズは夜空の遙か彼方を見ている。
 お互いがお互いしか見ていなかった昔と今はとてもよく似ていた。
 大義も信念もなく殺し続ける中で空挺兵を待ちわびるようになったのは、強く輝くスカイブルーの双眸がドリフトを一人の存在として見たからだ。空挺兵と相対している時だけは、確固たる意志をもつ存在でいられた。空挺兵が死ねば、ドリフトを顧みる者など誰もいない。
 殺そうと思い、殺してくれと望み、殺せなかった――喪失を恐れた。スカイブルーの輝きを、高みから降りる姿を。
 クロスヘアーズの歌に耳を傾けながら、ドリフトは己を引き戻した声に思いを馳せる。かつて、よすがとした者の声は長い時を経た今も忘却の縁に至ったドリフトを捕らえる力があった。
 そういうことか、と一人納得したドリフトはかすれた声が紡ぐ旋律を聞いていた。

「殺すか殺されるかしか知らなかった私に、守ることを教えてくれたのは彼だ」
 前触れもなく始まった言葉にクロスヘアーズは歌をやめる。夜空を見上げたドリフトが誰を語っているのか、言わずとも知れている。体に流れるものも、戦いに必要なものも与えたというのに、ドリフトは違う男を語る。一言、言ってやろうと口を開きかけたクロスヘアーズは何も言わずに口を閉ざした。
「殺すのは簡単だが、守るのは難しい。彼を見ていればよくわかる。困難な道だとわかって、なお、その道を選ぶ。それが、オプティマスプライムだ」
 クロスヘアーズはオプティマスプライムがどのような存在なのかを知っている。多くの者が彼のために命をなげうった。物事を斜に構えて見る癖があるクロスヘアーズにとって、それは不気味な光景でもあった。その中の一人にドリフトがいる。
「彼のおかげで私は変わることができた。彼が赴く場所へ征き、守り、戦う。この体と命は彼のためにある」
 ドリフトに体液と記憶を分け与えたのは、新しい体で駆け、戦う姿を見たかったからだ。死なせるためではない。オプティマスプライムのためでは、ない。
「――折角動くようにしてやったのに、余所の男の為に死ぬってか」
 口をついて出たのは、先ほど言わずにいた言葉そのものだ。相当おかしくなってるな、と他人事のように考えたクロスヘアーズは、抱き込んだ体が揺れる感覚に気づく。
「確認したところ、戦闘記憶の大部分と体を構築する情報が消えていた。スパークの欠損が原因でこの体になった可能性が高いが、私は女ではない」
 笑いを含んだ声と共にドリフトがちらりと振り返る。以前の面影などかけらもない姿で、以前と変わらず彼につき従うのかと考えると嫌な気分にしかならない。
「女ではないが――」
 再び夜空を見上げたドリフトはしばらく黙って言葉を継ぐ。
「昔々、おまえを殺したかったし殺されたかった。でもできなかった」
 空に星が流れていく。人間は流れ星に願をかけるらしいが、願うだけでほしいものは手に入らない。だからクロスヘアーズは囁いたりしなかった。
「体と命は彼のためにある。しかし、心は、クロスヘアーズ。おまえの元にある」
 おまえはとても眩しく見えた、と懐かしむような口調で呟いたドリフトは立ち上がり、刀を拾うと丁寧な所作で鞘に仕舞う。こいつは何を言ったのかわかっているのかと、呆然と見上げるクロスヘアーズのゴーグルにドリフトの手が触れた。
「……本当によくわかんねえヤツだな、おまえ」
「見た目が変わっただけで女扱いしようとする奴に言われたくない」
 ゴーグルをいじる手を払いのけたクロスヘアーズは立ち上がるとドリフトを見下ろす。見た目が変わったからおかしくなったのか、以前からおかしかったのか、自分の事だと言うのにクロスヘアーズには判断がつかない。
「重ねて言うが、感謝している。ただ、強制的に接続するのはやめろ」
 見上げるドリフトの視線に、常に真っ向から駆けてきた昔の姿を思い出した。決して目を逸らさないから、クロスヘアーズも逸らさなかった。あの頃は楽しかった。刃を交えている間だけは誰の邪魔も入らなかった……回線を繋いで夢を覗いた時のように、二人だけでいることができた。
「アレは気色悪い。まるで、強姦されているようだ」
「慣れればいい話だろ」
 ある意味的確な表現を口にしたドリフトは忌々しげに表情をゆがめた。
「慣れるわけなかろう」
 ドリフトは一歩下がると瞬く間に体を組み替えて走り去る。遠ざかる砂塵を眺めながらクロスヘアーズは腕組みをした。女ではないとわざわざ前置きしての告白だったが、何の救いにもならない。むしろ泥沼に突き落とされた気分だ。
「ま、なるようになるか」
 考えたところでドリフトが以前の姿に戻るわけではない。時間だけは有り余るほどある。行き着く先に行き着くだろうと考えることを放棄したクロスヘアーズは右手に視線を落とす。
 ちきちきちき、と音を立てて指先が割れ、閉じる。戦闘記憶を得たドリフトが簡単に回路を開放するとは思えないが、機会があればもう一度ぐらいは夢を見たいと思った。心のみならず体も命も、クロスヘアーズの元にあった昔の夢を。

 END


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