小説 | ナノ
空音


 道具は常に手入れし、どのような状況下でも使用可能にしておくこと――信条の一つだ。
 どんなに平穏な日が続いていたとしても、いつ、どこで殺意を向けられるかわかったものではない。一瞬の隙が明暗を分ける。淀みなく殺意を返すため、そして、単純に、愉しみとしてクロスヘアーズは自らが扱う道具の手入れを行う。
 環境に合わせて新たに組み上げた物もあれば、気が遠くなるほど長い時間を共にした物もある。
 鼻歌を歌いながら最後の一丁を手にしたクロスヘアーズは、わずかに離れた場所で星空を見上げる機体に銃口を向けた。
 スパークを打ち抜くのは容易い。引金を引けば、すぐだ。
 指に力を込める、たったそれだけの作業ができずにいた。きっと、これからもできない。
 何を考えているかなど、聞かずともわかる。聞けば苛立ちが募る。だからクロスヘアーズは鼻歌を歌いながら銃の手入れに専念した。ドリフトが考えていることについて考えなければこの空間は悪くない。
 喧騒や人工の光、騒々しい人間たちと末っ子、口うるさい親父から離れて道具の手入れに集中できる上に、ドリフトがいる。変貌した姿にかつての狂気を潜め、クロスヘアーズの感情を引きずり出してみせたドリフトは、星を眺めて物思いに耽っていた。
 殺意を交わし、お互いがお互いしか見ていなかった頃は身も心も手にしていた。望めば腕に抱くことさえできたのかもしれない。だが、今は違う。ドリフトの体と命は他者の元にある。クロスヘアーズに残されたのは心だけ。その心ですら、今は遠く遥か彼方にあるように思えて鼻歌をやめた。
 手入れを終えた銃を仕舞うと微動だにしない姿へと歩み寄る。
「センセイの居場所は突き止めたのか」
 空を見つめていた視線がゆっくりと移動し、クロスヘアーズを捉えた。
「まさか」
 人間のように肩をすくめたドリフトは微かに笑う。
「歌を聴いていただけだ。今のは地球の歌か」
 思わぬ言葉に虚を突かれたクロスヘアーズは戸惑いながらドリフトの向かいに膝をついた。
「さあな」
 正直、いつどこで聴いたものか覚えていない。気付いたら記録に残っており、なんとなく再生してしまうだけだが、嫌いな旋律ではない。ドリフトが聴いているとは思わなかったが。
「テッサに頼まれて買い物に同行した際、聴いた歌に似ていると思ってな。クリスマスにはつきものの歌らしい」
 ドリフトは「センセイ」の軌跡でも追っていると思い込んでいたが、違うようだ。へえ、と上の空で返事をしたクロスヘアーズにドリフトは言葉を続ける。
「クリスマスとは家族で祝う休日だそうだ。シェーンを呼ぶとはりきっていたな。ケイドがどんな顔をするか……」
 まるで我が事のように楽しげに語るドリフトの視線が再び夜空に移った。
「家族と称する集団の概念があるからこそ、人間は滅びを免れているのかもしれん」
「……家族、ね」
 クロスヘアーズの認識が誤っていなければ、家族とは血と遺伝子によって結び付けられた一集団だ。この星で生きる多くの生命体が集団を形成し、雛を守り育て、死に、次代に己の遺伝子を託す。セイバートロニアンとは根本的に異なる生命のありようが生み出した概念といえる。
 そういえば、ドリフトが体と命を預けた「彼」もこの概念を口にした。
「彼らは支えあって存在している。滅びを迎えるとしても、我らとは異なる滅びの道を歩むはずだ」
 瞬く星に羨望の眼差しを向けるドリフトは、遠く彼を見つめているようだ。いてもいなくても、ドリフトは彼を見ている。そんなことは知っている。それでも、改めて突き付けられた事実にクロスヘアーズは苛立ちを覚えた。
「そんなに、家族とやらが羨ましいか」
 かつて向けられた眼差しをもう一度得ようと思うなら、夢を見るしかない。互いの名を知ることもなく、殺意を交わした遠い昔の夢を。
 そんな切実な思いをよそに、ドリフトは静かな口調で答える。
「羨ましいと思わないか? 望み、欲した末に新たな命を産む彼らを。星も、新たな命を生む術も失い、同族の屍の上で最後の一人になるまで殺し合うしかない我らだ」
「そうだな」
 本心ではなく、嘘をついたクロスヘアーズは地に手をつくとドリフトに顔を寄せた。星空を見つめていた視線がクロスヘアーズを映す。命になど興味はない。できないものは、できない。
「なんなら試してみるか」
「何を?」
「望み、欲した末に何が生まれるのか」
 ぱちり、と音をたてて瞬きをしたドリフトは口元に笑みを浮かべる。
「おまえが、そんな戯言を呟くとは」
「やってみなきゃわかんねえだろ。なんか生まれたらそれはそれで――」
 細い指がクロスヘアーズの口に触れ、言葉を封じた。そしてもう一度、ぱちりと瞬きをする。
「何も生まれない。けれど、おまえは試してみるという。何を考えている?」
 言葉を封じた指が離れるとクロスヘアーズは本心を口にした。普段の自分からすればとても「らしくない」。けれど、ドリフトが姿を変えてから今まで、自分らしかったことなど一度もなかった。引きずり出された感情は先走り、留めることすらできない。
「――俺を見ろ。この場にいない奴じゃなく、目の前にいる俺を見てろ」
 言葉が終わらぬうちに抱きしめると装甲がこすれ、小さな火花が散った。
「おまえが見ていないと思っているだけだ。私はおまえを見ている。クロスヘアーズ、おまえは強い。かつて私はおまえの強さから目が離せなかった。今も同じだ。おまえだって、そう言ったじゃないか。何も変わっていないと」
 ドリフトは淡々とした口調で呟くとクロスヘアーズの首筋に手を回す。インシグニアを撫でる慎重な手つきに、クロスヘアーズは嘘だと知りながらドリフトの言葉を信じることにした。
 試してみよう、と囁く声に誘われてクロスヘアーズはドリフトを抱く腕の力を強める。
 ドリフトが心奪われている者の存在を、今だけは忘れることにした。

 end


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