◎ あなたの青が、僕はすき (3)
過去に、諏訪子が言っていたことを思い出していた。
『白い鳥は、きっと何色にもなれるのでしょうね』
『でも、青は、青いまま』
その切なげに揺れた“薄茶けた”瞳を。
その時僕は、何と答えたろうか、……たぶん、『そうかな』とだけ。
諏訪子がどんな気持ちで言ったかなど、当時の僕には到底理解が及ぶ訳もなく、曖昧な科白で流すことしか出来なかったのだろう。下手なことを言えば諏訪子が崩れてしまいそうで、僕は恐れたのだ。諏訪子の心に踏み入ることを躊躇い、逃げ出してしまった。
今思えばあの日あの時以来、諏訪子は僕の視線の先を追うようになった。何を見ていらしたんです? と、問うようになって……橙色がお好きですか? と。そしてつい先日のこと。
――なるほど、白がお好きなのですね。
諏訪子は柔らかく、やさしく微笑んだ。疑問符は、無い。
僕は、諏訪子が久方ぶりに笑った! と嬉しくなって、『白い花が好きです。綿飴も……ああ、仔猫も雪も、真っ白がいいですね』と語ったものだった。
その時諏訪子はそのやさしい微笑みの裏で、――
「諏訪子さん」
諏訪子は、瞼を伏せる。
恐れないでください、あなたが思っているような科白……、僕はつい先程捨ててしまったようなんです。
膝は沈黙する。既に冷え切ってしまった指先さえ、震えはしない。
ただ白い鳥になりたい、白い鳥がよかった、と嘆く諏訪子に、『諏訪子さん』と呼び掛け続けた。
「お、恐れないのですか……、気味が悪いと」
「……え。ああ……、ええ、さすがに驚きはしましたが! 気味が悪いなどとは到底」
「嘘です……嘘です! 気味が悪いとお思いになったはず、化け物だと恐れたはず!」
「僕は、気味が悪いとも、化け物だとも思っていません。しかし確かに、……恐れは抱きました。人ならざる姿に……すみません、」
眉をひそめ唇を噛む諏訪子を見、しばらく考えて、僕は隠れた月を見上げた。
成る程今宵の月は名月だ。隠れていても、よく分かる。
「諏訪子さんの言うように、僕は白が好きです」
諏訪子の黒髪を掬うと、するりと指先を流れていく。肩をすくめた諏訪子の、小さな聲。
『ああ、やっぱり……ごめんなさい……だんなさ、ま』
……これだから、諏訪子は。
「でも、白だけ、好きなわけではないんですよ」
灯籠から降り、青い羽根を拾う。一枚、二枚。手のひらに乗せ、息を吹き掛けるとまた、花の散るように僕と諏訪子の間に舞い落ちた。
諏訪子は相と変わらずぽんろぽんろと泪してはいるものの、少しは気も落ち着いたようで、不思議そうに僕の言葉に耳を傾けていた。
僕は諏訪子に手を差し出し、笑う。首を傾げるのがおかしくておかしくて、僕はたまらず諏訪子の手を取り、そっと立たせた。……足元には一面の青い羽根。
「もはやヒトかヒトでないかなど問題としては些細なことです」
だって、あなたは紛れもない、諏訪子さんでしょう?
握った手の、指先を絡め。僕は今妙に、あなたが愛しくて堪らない。
「なんだか水面に立っているようですね。あ、青い羽根のペンとか、どうです? 青い綿飴……は、どうだろう。青いシロップのかき氷もあることですし、味はきっとおいしいから大丈夫です。……青い雪も、幻想的じゃあないですか?」
「あの、だんなさ、ま?」
「……白が、好きです。橙も、好きです。青も、もちろん好きです」
「……、」
「僕は、青が好きです。白より橙より」
あなたの青が好きなんです。
ふわりと微笑めば、青い羽根が、一陣の風と共に舞い上がり、それは諏訪子の黒髪へ舞い降りて。
あ。ほら、青い髪飾りも、よく似合います。
おどけて見せれば、ひとつ瞬きしたのち、諏訪子は
「でも、白がいちばん好きなのでは……?」
と予想通りに問うものだから、またおかしくなってしまって。
「諏訪子さん、僕の話をちゃんと聞いてました? 僕は、あなたのその色が、その青が、好きなんです」
青い羽根を、諏訪子の朱い唇にちょんと軽く触れさせる。きっとこの羽根は、すこしだけ、紫に近付いたはず。色は、混ざって溶け合って、例えば橙色が紫紺に変わりゆくように、移り変わっていく。
その中で、一等星は輝く。ちかりと、光る。
諏訪子はどうにも視界が狭いらしい。思い込みも、激しくて。周りばかりに憧れて、自分がその中心にいることを忘れてしまう。
そうと分かれば、僕は、何だって出来るはず。手を引いて別の場所へ。肩車だってしましょう。
「自分の色を、ないがしろにしないでください」
月が、ひょっこり顔を覗かせ、青い羽根を照らしている。ああ、光の当たり方も変わればまた、違うのか。諏訪子の頬を両手で包み、親指で泪の跡を拭う。頬もまた随分と冷えて、……早く火鉢に当たらせてあげないと。ぼんやり、見詰め合いながら。
「白に憧れるにしろ何故また青を恥じるのか分かりませんが、……あなたの瞳は、あなたは、こんなにも綺麗です」
「きれいなんかじゃ」
「僕の瞳に映っていませんか、綺麗な青が……」
ねえ、諏訪子さん。
そう語り掛け前髪を払うと、長い睫毛はすっかり泪に濡れてしまっていた。少しは元気が出ただろうかと覗き込むが、それからまた、大粒のトンボ玉がぽんろとこぼれたものだからたじろいでしまい。
「あ、あれ、?」
「……、ばか」
「そう、でしょうか」
「ばかです」
「あはは、ならば風邪をひかなくてよいことです」
どうか、許されるのならば、ぎゅうと胸にしがみつく諏訪子を、今度は強く抱き締めさせてください。躊躇いなく、確かに。
苦しいです、と、諏訪子がこぼすまで。
――了
真咲さまへ
2013/02/25 執筆
2013/02/28 加筆修正
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