これと同じ主
「大蛇丸様。連れて参りました」
「あら、もう少し遅くても良かったのに…」
襟を立てた道中合羽を着込み、ヒラヒラとした日除けの垂れ下がる三度笠を手に持った私は、地上へとつながる出入口に立っていた。蛇男は私の旅立ちにわざわざ見送りに来たのである。
「本当は、あなたの綺麗な首筋に噛み付いて呪印の一つや二つでも与えておきたいのだけど…それではあなたの美しさが損なわれるからしないわ」
「同感です。肌の色を変えて頭から角を生やしたり、背中に翼を生やしたりしなくても、砂ではやっていけるので有難いです」
薬師カブトという側近が、薄暗い奥のところで控えているが、早く出て行けとその視線が物語っている。
私を一時的に帰国させようと、その手筈を整えるまでにそう時間はかからなかった。あれからとんとん拍子に話は進んで、私は今日砂へと発つことになったのだ。
「ナマエさんは、僕がきちんと送り届けます」
砂方面への案内人は、先程薬師カブトによって連れて来られた音の五人衆のうちのひとりが任されたらしい。白髪の少年と目が合うと、薄らと目を細められた。
「お前の働きには期待してるわ、君麻呂」
「はい!」
大蛇丸の次の器として誉れ高いあの君麻呂くんが抜擢されているくらいの気の入れようである。この蛇男が、私に関する何を君麻呂くんに囁いたかは知らないが、私はなぜか君麻呂くんの世話係を務めており、それなりには好かれている自信があった。
「こちらを向きなさい、ナマエ」
君麻呂くんを見ていたのが気に入らなかったのか、するりと近寄って来た蛇男は、私の顎を柔らかに掴んで自分の方を向かせた。爛々とした目に見下ろされると身体が強張る。
少しでも距離を保とうと、私は思わず右手を相手の胸に、そしてもう一方の手を腰の縄の上に乗せた。
「私たちのことを漏らさないように舌だけ縛らせてもらうわ」
「…んッ!」
ぎゅっと両目を硬く閉じた。唇を重ねられると、厚い舌が私の唇を抉じ開けて、口の中を掻き回して荒らしていく。息が苦しくなって、蛇男の服が皺になることも気に掛けずに右手を握った。
こんな私たちの姿に、他の二人が動揺しているのが目を閉じていても気配で感じられた。まさか、この人。
「…なんてね、嘘よ。私が口付けしたかっただけ」
最後に私の頬をべろりと一舐めして解放した蛇男は、実に愉快そうな顔をしてこちらを見た。私はきっちりと着込んだ服の袖で頬や口元をごしごし拭った。
「次にお会いするその時まで、私のことを忘れていてください」
「あら、難しいことを言うのね」
ニヤリと嫌な笑みを浮かべた蛇男は、頭を少し傾けて言った。
「お前に執着する私にそんな芸当ができると思うの?」
「私はできます」
相手の切れ長の目を見て、私はきっぱりと言い切った。
「私にできて、あなたほどの忍にできないことはないと思いますので」
「…小生意気な口を利くじゃない、ナマエ」
君麻呂に目を遣って指示を与えた大蛇丸は、くるりと私たちに背を向けて地下へとつながる階段を下りて行く。そのかたわらで、頭を恭しく垂れて控えていた薬師カブトは私を一睨みしてから付き従って歩いて行った。
「お前はやっぱり、恐ろしい娘ね。ナマエ」
アジトから微かに響いてきたその声は、たっぷりとした何かが含まれていて思わず身体が震えた。あの人はきっと、私を忘れない。むしろ、私を帰国させ手元にいない何年かの分を上乗せして、この身に返ってきそうである。
「ナマエさん、行きましょう。僕が砂まで案内します」
「ありがとう。でも、この森の出口までで結構よ、君麻呂」
「ですが、大蛇丸様は…!」
「いいのよ、君麻呂。あなたに万が一のことがあれば私があの方に兎や角言われてしまうから、ね?」
しぶしぶ頷いた君麻呂くんは、私を抱き上げるともの凄いスピードでこの森の出口の方へと奔った。アジトの正確な位置を私に読み取らせないために、私は目隠しをさせられているが、私の能力の前には無駄なことだった。しかし、一応礼儀として目隠しは付けたままにしておいた。
しばらく外に出ていなかった私なので、かなり方向感覚が鈍っていたことに気付かされ、若干苦い思いを胸に抱く。ジグザグと森の中を移動しながら、肌で感じる空気が少しずつ変化してきた。
私が念じれば、頭の中に鬱蒼とした森の景色から、少し開けて川が浮かび上がってきた。そしてその先には、カモフラージュの集落が見える。
「水と食糧を持ってきました」
「何から何までありがとう…本当に、それくらい私にさせてほしいのに」
ここで暮らしている人々の多くは大蛇丸の息がかかっている連中なのだ。そのため君麻呂くんも、その集落へ寄って砂漠を渡る準備を整えることができた。
「大蛇丸様のご命令です」
言葉尻が柔らかいのはなぜか。その言葉の裏には、大蛇丸の命令を全うしようとする君麻呂くんの強い気持ちと、私に対する少しの情が見え隠れしているのを感じた。
目隠しを外され、荷物の整理をしている私の様子を、正面の木に背を預けながら見つめている君麻呂くんの頬はまだ丸みがある。純粋にあの蛇男を慕い敬う君麻呂くんの瞳と、私を見つめるあの大蛇丸の瞳に、一体なんの差があるというのだろう。
「ナマエさん」
林を過ぎてからは、目隠しを外された。半歩先を行く君麻呂くんに並走し、休憩を挟みながら乾燥した風景が広がる大地までやってきた時、君麻呂くんが私を呼んだ。私はその少し先で足を止めて振り返った。
「どうしたの」
「ナマエさんは、どうしても大蛇丸様のことを忘れたいですか?」
君麻呂くんは、私があの蛇男に対して叩き付けた挑戦状のことを、ずっと頭の隅に置いていたようだ。そしていつか質問しようと機会を窺っていたらしい。そしてその時が今だと思ったのだ。
「忘れてしまった方が、都合が良いこともあるからね。できることならばそうしたい、かな」
「なら…さっきの啖呵は嘘ですか?」
「ええ、まぁ…あの方にはバレていたけれどね。ほら、小生意気な口をっておっしゃってたでしょう?」
目を眇めて言う私を見て、目を丸くした君麻呂くんは、あからさまにホッとしたような顔になった。道中合羽の前をきっちりと閉じてから、数歩後ろにいる君麻呂くんに歩いて近付きながら私は口を開いた。
「人はそう簡単に、側にいた人を忘れられないものだよ。それが好きな人でも嫌いな人でもね。一度関わってしまったら、その人はもう永遠に自分自身の一部になる」
私はたぶん、大蛇丸のことは嫌いだとか苦手だとか、そういうことではないのだと思う。ただ、底が知れない情を注いでくるあの蛇男のことが怖いだけなのだ。
ひとつの目的のためには手段を選ばない、人の命すら軽んじているタイプの人間なのに、それが私に対峙する時は手探りの状態で余裕がないことを気取らせないようにしていることが酷く滑稽で、哀れで。
「もちろん、君麻呂くんのことだって、私はそう簡単には忘れられない…」
そっと、白い髪に伸ばした手は受け入れられた。
「僕は…」
君麻呂くんは、翡翠の瞳で私を見上げた。意志の強い目だ。
「ナマエさんから教えられて学んだことも、ナマエさんをこの手で傷付けたことも、どちらも忘れたくはありません」
「…うん…それで、いいんだよ」
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20170529
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