※兄弟主
「てめえらちゃんと払う金持ってるんだろうなぁ…?」
味の染みた大根を口に含んでうっとりしていると、おでんの湯気の向こうから、チビ太の呆れた声が聞こえてくる。今私たち兄弟は、馴染みのチビ太が営むハイブリッドおでんに来てお酒を飲みながらおでんに舌鼓を打っていた。
「いっつもツケにしやがって!」
「あー、いつも悪いなチビ太。今日飲んだり食ったりした分は俺が皆の払うから…」
大人が横一列七人腰掛けた屋台の飲食スペースは普通に狭い。だが、チョロ松と一松の間に挟まれている今の私は精神的にも肩身が狭い。じとりとした視線が、隣りに座る一松から注がれてごくりと大根を飲み込んだ。
「はぁ?なんでお前が払うことになってんだ?」
「ちょっとわけありでな…」
やましいことがあるわけではない。お土産だって買ってくるつもりだったし。それに、私たちは大人になったのだから、いちいち兄弟に許可を取ったりせずとも個人行動をとったっていいと思うんだ。だからワタシワルクナイ。
「こいつ、兄ちゃんに内緒で泊まりなんだよーひどくなーい?」
「フツーさぁ僕らに旅行すること言うでしょ!常識的に考えて!」
だけど、この長男と三男は違った。私が前振りなく、旅行の仕度をしていたら家出でもする気なのかと叫んだ長男のせいで、その声を聞きつけた他の兄弟が部屋に集まり、大きな騒ぎとなってしまったのだ。
「たははーー!俺にもないしょー!」
「そうそう。可愛い弟の僕たちにも内緒にしてたんだよ〜」
「や…だっておまえらに言えば僕たちも一緒に行きたいて言うだろ?そんな予算はないんだよ。あと、トド松。自分で可愛いって言ってるうちは可愛くない」
そう言えば、トド松はぷくっと頬を膨らませて睨んできた。私は今晩から友達との旅行に出かける。これは決定事項だ。急に決まったわけでなく、以前から計画していたこの旅行は友達の発案だった。切符も宿も予約してもらったし、今さら予定を変更することはできない。
「なんで言わないの?」
「や、内緒にしてた方が皆に土産渡す時に驚いてくれるかなって」
「いや、そういうサプライズとかいらねえから!ナマエに求めてねえから!」
「そうだよ!内緒にすんなよ!寂しさで心臓がキュッてなんだよ!」
アルコールを摂取して、もうすでに顔が赤いチョロ松は一松のような鋭い視線で私を見る。怖えよ。かっこつけながら卵を食べるカラ松兄さんの奥からは、すごい形相のおそ松兄さんがお酒の入ったコップを机に叩き付けながら叫ぶ。だから怖えよ!
「…別にさ」
「ん?」
「…ナマエが、いつ誰とどこに行くかとか」
お酒の入ったコップを両手で持った一松がぼそりと言う。その低い声を聞き取るために静かになるチョロ松とおそ松兄さん。私は赤い顔をしてぼそぼそ喋る一松に顔を寄せた。
「…言いたくないんなら、別に、言わなくてもよくない」
「でも僕は言ってほしい!把握してたい!」
チョロ松が私の方にしなだれかかってきた。アルコールが入ると、いつも甘えてくるよねチョロ松。ま、覚えてないんだろうけど。おそ松兄さんが我慢ならない風にごくっとお酒を飲み干すと、こっちを睨んできた。
「ナマエがひとりで面白いことしてたらそれはそれで腹立つ!長男もまぜろよ!」
「フッ…俺はナマエを信じてるぜ!」
「俺もカラ松兄さんのこと信じてるよ。一緒だね?」
ほんのり赤い顔で、サングラスを押し上げたカラ松兄さんが私に言った。持って来てたんだねサングラス。それに軽く返事をしてからチョロ松の腕を剥がそうとして彼の腕を掴んだ。ぐっ…酔ってるのに力が強いね。こりゃなかなか剥がせそうにないですな。
一松は、口をつけていたコップを机に置くと、チョロ松に絡まれている私をじっと見つめてきた。ぽやっとしたその目は寝起きみたいで可愛い。すると、さっきまでおでんの串を食べていた十四松が「僕もそう思う!一松兄さんにさんせー!」と言いながら片手を挙げシュバッと立ち上がる。トド松は、突然立ち上がった十四松に驚いて卵を皿に落とした。
「それにねー!一松兄さんはねぇ」
「おい…十四松」
「ナマエが帰ってくるのは僕たちのところだけなんだからって思ってるんだよ!」
にへらにへらと、こちらも溶けそうな笑みを満面に浮かべた十四松は、トド松に注意されると大人しく着席した。一松はじっと隣りの十四松を睨む。ま、十四松にはその睨みも効果ないみたいだけど。
「なに一松、そんな可愛いこと思ってたの?」
「…別に思ってない」
「おまえね、図星の反応が分かりやすすぎんの」
ああもう可愛い。私の弟かわいすぎる。つい自分の口から出そうになった言葉をウーロン茶と一緒に飲み込むと、その冷たさでちょっとだけ胸がすっきりした。スマホで時間を確認すると、そろそろこの屋台を出て家に行かなければならない頃だった。
私がてきぱきと自分の注文したおでんを口に運ぶのを見て、トド松が「えーもうナマエ出る時間なの〜?」と不満げな声を漏らした。
「まぁな。家帰ったらシャワー浴びたいし…」
「えぇーー!!笠松兄さんもう行っちゃうのーー!?」
「こっちに来る時言っただろ?もう忘れたのか十四松」
チョロ松の腕をなんとか引き剥がして、文句を言い始める前に卵を口の中につっこんでやった。四白眼にさせて私を見るチョロ松。ふははどうだチョロ松。これでおまえも文句は言えまい!眉を寄せてその三白眼で睨んでくるが、口の中の卵を咀嚼することで忙しい彼は何も言ってこない。
「あ。お前らは腹膨れるまでここで飲んだり食ったりしろよな? 金は俺が払っておくから。チビ太、とりあえずこれでいいか?」
腰を浮かせながら、ズボンの尻ポケットに突っ込んでおいた財布からお札をすっぱ抜いて店主のチビ太に手渡した。チビ太はそれを受け取ると驚愕に目を見開いた。
「なっ!万札!?お前、どこからそんな大金を」
「ま、ちょっとね。今までの分のツケに比べたら全然足りないけどさ」
「バーロー!おめえはいっつもきっちり払ってくれるだろ?こんなに貰えねえよ」
「釣りは迷惑料としてとっといて。ま、どうせこいつら、ドングリと王冠とかしか持ってねぇだろうし…」
私がそう言えば、ビクリと肩を揺らす末弟たち。十四松は猫目で私を見上げてくるし、トド松は「えっへへ!さっすが兄さんだねっ僕らのことよく分かってるんだ〜」とあざとい笑みを浮かべている。一松は私が視線を送れば、ふいっと挙げていた顔を下ろしてしまう。
「こっちのはかき集めても精々やっすい駄菓子一個買えるか買えねぇかくらいの所持金しかねえだろ?」
左の弟たちから右の兄たちへと顔を向ければ、チビ太は呆れて溜息を吐いた。ま、私もこのどうしようもない兄弟の金銭事情には呆れているが、溜息は我慢した。
「よくわかってんなー!ナマエ!お兄ちゃんうれしーぞー!!」
「フッ…俺の財布はいつもスレンダー」
「ナマエさんごちになりまーす」
おそ松兄さんは調子良くジョッキに入ったビールを掲げて笑っている。さっきまでの不機嫌はどこ行ったんだよ。まぁ、人の金で飲食するのは気分良いよな。カラ松兄さんの言葉を遮るように、やっと口の中のものを飲み込んだチョロ松は、相変わらずぶすっとした顔をして言った。
「もしかしたら、チビ太のおでんおいしいから足んなくなるかもだけど、旅行から帰ってきたら今日の分はきっちり俺が払うから連絡してくれ!」
「おいほんとに行っちまうのか!?こいつらの相手すんのオイラひとりじゃ荷が重すぎるぜ?」
「悪いなチビ太!よろしく頼むよ。」
嫌そうな顔をしたチビ太に両手を合わせて「今日も美味かった!また来る」と言えば、途端に嬉しそうな顔に早変わり。「旅行、楽しんで来いよ!」と気前よく送り出してくれたので、私も笑顔で応える。
「じゃあな。あんまり長居して迷惑かけんなよ。あと、飲み過ぎるなよおまえら」
「「はーーい!」」
末松の返事を聞きながら長椅子をまたいでチョロ松と一松の間から抜け出す。ぽんぽんと、一本だけ立っているあほ毛を避けながら十四松の頭を左手で撫で、ニット帽をかぶったトド松の頭も右手で撫でる。赤い頬をしながら、ちびりちびりとお酒を飲んでいる一松のもさもさした髪の毛もついでに撫でて、私は屋台を後にした。
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まさかこの後あんな事件が起こるとは、旅行に浮かれていた私は知る由もなかったのだった。あの気の長いチビ太が、ツケの取り立てにあんな暴挙に出るとは…。
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20160302
ハイブリッドおでん屋さんで飲み食いしたい。
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