※学生松
「打ち合わせはこれで終わりにする。休み時間に集まってもらって悪かったな」
職員会議のために、放課後の部活が取り止めとなってしまった。そして、今月の活動計画を昼休みに連絡された。それが終わったのが今だ。先輩がにっと笑顔を浮かべて会の解散を伝えると、ぞろぞろと会議室から生徒たちが出て行く。
「それじゃあ、先輩方お先に失礼します」
「ああ、松野も急な呼びかけだったのに、一年全員に声かけてくれてありがとな」
他の生徒に倣って、俺も先輩方に挨拶をして教室を出ようと思ったら、部長に声を掛けられた。俺はこの男の先輩が演じるロミオに憧れて入部を決意した。憧れの先輩から声をかけてもらえて正直恥ずかしさと嬉しさが込み上げる。
「いえ、部の役に立てて光栄です」
「次の舞台も期待してるわ。王子?…あ、あと名前ちゃんにこれ渡しておいてくれる?」
部長と同じ学年の女の先輩にも声を掛けられた。名前というのは、俺と同じ学年の女子生徒で同じクラスであり、彼女もまた演劇部の一員である。ちなみに、小学校で出会い、俺と彼女の付き合いは長い。そのことを知ってか知らずか、女の先輩は数冊の本の入った茶色の紙袋を手渡した。
「これは?」
「あぁ、これはね。名前ちゃんのお兄様に貸していただいたメイクの参考本なの」
「苗字先輩のことですか?」
「ええ、そうよ!彼って、メイクの専門学校に通ってらっしゃるのよね。それで、舞台映えするようなメイクを私たちでもできるようになれたらいいんじゃないかってことで、本を貸していただいたの」
ふふふと口元を押さえて上品に笑う女の先輩は、部長の演じたロミオの相手であるジュリエット役を担った人で演劇部の副部長だ。名前は、この先輩に憧れて入部を決意したとか言っていたなぁ。
「名前ちゃんって、絶対演劇の素質があるわ。あたしが保証する!」
「そうだな。はじめてであんな演技ができるなんて、上々だよな」
ぼんやりと入部したての春のことを思い出していると、部長と女の先輩が名前の話をしていた。俺と彼女は、幼馴染のような存在とまではいかないがそこそこ仲が良い方だと思う。もちろん、俺は世にもめずらしい六つ子だから、他の兄弟とも名前は関係があるが、部活が一緒という共通点は、他の兄弟には持ち得ないもので、俺は少しだけ他の兄弟たちに優越感を感じていた。
名前は、優しくて笑った顔が可愛い女の子だ。それに、手先が器用で料理も上手。世界中の女の子の素敵なところをぎゅっと一人に詰め込んだみたいに、トド松いわく女子力が高いらしい。たしかに、部活の差し入れに持ってきてくれる甘いものは売り物みたいに上手かった。あれが手作りだとは信じられない。
先輩方に改めて挨拶をして廊下に出る。教室へ戻る道すがら、体操着の十四松とチョロ松にすれ違った。どうやら、二人のクラスはこれからグラウンドで体育らしい。持久走だとはしゃぐ十四松に、頑張れよと声を掛ければ、新記録出しちゃうかもねと言って廊下を走り出した。
「廊下を走るな!十四松!」チョロ松の注意もどこ吹く風である。チョロ松は少し疲れた顔をしたので、ほどほどになと肩を叩いて伝えれば、目を細くして睨まれた。なぜだ。
教室に戻ると、名前の姿はなかった。名前は、保健当番の関係で、今日の演劇部の会に出席することができなかったのだ。教室にいないとなれば、まだ保健室で仕事をしているのだろう。自分の分の配布物を机の引き出しに片付け、俺は本の入った紙袋と、彼女の分の配布物を持って廊下に出た。ちらりと教室の時計を見ると、そろそろ着席をしなければならない時間だった。遅いな。
「あれ、カラ松くん? どうしたの」
「えっ、あ、ああ! 名前を待っていたんだ」
後から声をかけられて少し動揺してしまった。俺の同様が彼女にも伝わったのだろうか、彼女はくすりと笑って口もをと手で隠した。その仕草や表情の、どきどきと心臓の鼓動が早くなる。
「あ、その紙袋は…」
「先輩が名前に借りていたものを俺が預かったんだ。あと、これは今日の会のプリントで、今後のスケジュールが書いてある」
「ありがとう。あとから部長に貰いに行かなきゃって思ってたんだ!助かった。ありがとう、カラ松」
「あ、あぁ。いや。別にどうってことないさ!」
ほわほわとした笑みに胸の左側がきゅっと絞まる感じがした。それに、ぽかぽかと体も温かくなってくる。高校生になって、名前はますます、その…女の子らしくなったというか、とても。そう、可愛らしくなった。
それに加えて、演劇を始めたからか、以前も表情豊かな方であったが、さらに笑みにもレパートリーが増えたように思う。今みたいにきゅっとなるような笑みもあれば、一緒になってぷっと吹き出したくなる気持ちにさせられる笑みを浮かべるときもある。俺は、そんな名前の色んな笑みが浮かぶ顔から目が離せない。
「ぺちゃくちゃ喋ってんのはいいけど、予鈴。…鳴るよ?」
「おわっ!!?」
低い声を発したのは、俺のリトルブラザーである四男の一松だった。そして、一松は俺を後から蹴った。その衝撃で、俺は教室の中へと倒れ込むようにして入るはめになった。
涙目になって、廊下から教室へ入って来ようとする一松を見ると、とても鋭い視線で睨み返されたので視界がさらにぶれた。これは決して涙してる訳でなく、心の汗が目から流れているだけだ。俺は弟に泣かされている訳ではないのだ。断じて!
「一松くん、カラ松くんは蹴るものじゃないよ?いつも言ってるでしょ」
「時間にルーズなクソ松に予鈴が鳴るって体に教えてあげただけでしょ」
「口だけで充分伝わるって…もう!一松くんは…。カラ松くん立てる?」
「う、あ、あぁ…」
そう言って、倒れた俺に手を差し伸べてくれる名前。まさにエンジェル。彼女は、こうやって弟の暴力的な愛情表現を食らい、傷付いた俺にいつも優しくしてくれるのだ。俺は彼女が俺だけに差し伸べてくれるこの優しい手が本当に大好きだ。だから、いつも彼女に甘えてしまうのだ。それが、格好のつかない情けないことだと分かっていても、彼女が差し出す手は俺だけのものだから。つい、な。
「さ、次は英語だよ。宿題やってきた? 荷物とプリントありがとね」
今の笑顔は、俺を励ますようなものだった。俺だけに向けられた、特別な笑顔だ。自分の席に戻って行く彼女の背中をじっと見ていると、鋭い視線が首筋に刺さった。
一松だった。教室の一番後ろの席から、彼女を見ながら突っ立っている俺に半目がちの黒々とした目から鋭い熱視線を送ってくる。その視線にゾクゾクと背筋を震わせながら着席をして、授業の仕度をする。まもなく英語教師が入ってきて授業がはじまった。
やっと、一松は俺から目を離したようだ。ちらりと、名前の方を見た。席の位置関係により、斜め後ろの姿が俺の席から見えるが、真面目に単語帳を赤シートで隠しながら勉強をしていた。あ、今日ってもしかして英語の単語テストの日だったのか?しまった、勉強するの忘れてた。
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20160117
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