短編ログ | ナノ
弟は今日も平常運転です

※姉

姉は、次男のカラ松に用事があったのですが、家には四男の一松しかおらず困っていました。一松は、相変わらず猫の友達と部屋の隅で遊んでいました。姉は、一松が猫の友達と遊んでいる時間を邪魔されるのが嫌いなことを知っていましたから、声をかけようか、それともかけまいか少しの時間悩みました。しかし、カラ松個人にメッセージを送っても、既読が付かないのです。いつもは未読スルーもしない弟です。姉にとって大事な大事な二番目の弟がカラ松でした。そして、今家にいて外猫と遊んでいる一松も、大事な大事な弟に代わりはありません。ただ、一松はカラ松のイタい言動を嫌っており、その苛つきが暴力となってカラ松を襲うことがありました。そのことは、同じ家で暮らしている姉も知っており、ふたりの仲裁に入るのが常になっておりました。一松に、カラ松の話題をふると、彼は大抵このように答えます。
「カラ松くん知らない?」
「カラ松って誰?」
そう。これが彼の決まり文句でした。カラ松という人物を、知らないとのたまうのです。自分の兄であるはずのカラ松を、一松は誰だと逆に問いかけるのです。
「一松、そういうこと言わないの。ねえ、ほんとに知らない?」
「知らない。興味ない」
姉は、そういう四男を窘めました。一松が、本当にカラ松を心の底から嫌っているのなら、姉はこのように窘めたりはしません。どういう訳か、思いが屈折して外に現れてくる不器用なこの四男の力になりたいと姉は常々思っているのです。だからこそ、彼のこの言葉が本心ではないと、経験から分かっているのです。ただ、カラ松が現在進行形で演じている『今のカラ松』に対して、一松が誰と問いているのであれば、姉のこの考えも当てずっぽうの見当違いなのでありますが、ここでは一旦その話は置いておきましょう。
「またそんなこと言って…自分が言われたら傷付くくせに」
「…別に、僕みたいなゴミが家族なんて、向こうも迷惑に思ってるんじゃない?」
「ふぅ。一松はどこでこんな風にひねちゃったのかね」
そんな風に嘯いてみる姉でありました。本当に、本当は、四男の身に起こった変化を、姉は少しだけ知っていました。少しずつ六つ子という無個性から、手探りで自分を掴み取ろうとした時期に、それは始まりました。元はと言えば、カラ松が部活動に打ち込んだことが原因だったのかもしれません。もしかしたら、その根底には、次男のカラ松が、四男の一松と、六つ子でありながら、まるで双子のように似ているところを両親から受け継いだことが原因にあるのやもしれません。それは、果たして。姉にはわかりっこありません。本当のところは、誰にもわかりません。当事者である一松にも、そして頭が空っぽなカラ松にも。永遠に愛妹で、不透明なまま、真実を知らない方が幸せだということがあるのかもしれません。ただ、現状から推し量って言えることは、知らない、興味ないと言いつつも、自分が言った言葉に不器用に傷付きながら、今のカラ松を受け入れようとして必死な一松がそこにいるということでしょう。
「僕がゴミでクズなニートだって分かったなら、さっさとカラ松探しにいけば?家にはいないから」
「ん。ありがと」
「……」
耳が痛いほどの沈黙に感じられました。一松には、ですが。一松は、カラ松の話題を口にした時の姉の沈黙が嫌いでした。その沈黙が、姉が自分を責めているような気がしてならなかったからです。一松は、カラ松のことが大切でした。それはもちろん家族として、兄弟として、ある一定の条件の時、一松はカラ松のことを愛おしく思えるほどには大切でした。カラ松が、格好の良い自分が理想とする兄を演じている姿を見て、図体ばかりが大きくなって、頭の中が空っぽな彼の姿に息苦しい思いを抱えていました。また、自分を無視して鏡を覗き込む態度が嫌でした。そして、無性に腹が立ちました。態度や言動、行動では、一松はカラ松のことを乱暴に、そして時にはぞんざいに扱いますが、今でも一松は彼カラ松のことが大切でした。それを、素直に表出できないのには、訳がありますが、その訳をここで語ろうにも生憎時間と文字数の関係で全てを語り尽くすことができないのです。ああ、とても残念。しかし、ただ言えることがあるとすれば、今の一松を作り上げたのも、やはりこの次男が関係していることは明白でした。そして、姉も、その要因であることには違いがありませんでした。
「あ、あとそれから一松」
「……なに」
思い出すように、ついでのように、姉は一松の名を呼びました。そのまま沈黙を続けても良かった一松でしたが、やはり、自分自身が作り出す沈黙も、彼の身には堪えるものだったので、のっそりと重たい口を開いて短く返事を返しました。彼には、これから姉が述べようとしていることが、何となく分かっていました。それが、自分の存在を否定するどころか、擁護しようとさえしてくれる甘美な響きを持つものであるということを、長年の経験から知っていました。沈黙が耳を刺す痛みと、膨れ上がる甘い期待に、一松は捨て鉢になっていました。けれど、やはり膨れ上がるものには抗うことができない、弱い、ただの人間でした。一松は、ゆっくりと部屋を出て行こうとする姉の方を見上げました。付き合いが楽で、言葉もいらない友達は、一松が遊んでくれないと知ったので、猫じゃらしを加えると彼の手からスッと素早く引き抜いてしまいました。
「お姉ちゃん的には、あなたがどんなにゴミでクズなニートだったとしても、あなたが私の弟で、大切な家族の一員であることにはかわりないから。そこんとこよろしく!」
そこには期待通りの言葉が並べられていました。一松は期待したまま、その温かい言葉が姉から発せられたことに安堵し、そして同時に吐きそうになりました。松野一松という人間は、ややこしいのです。嬉しさと悲しさを一つの体の中に混ぜこぜにして飼いならすことができる人間なのです。それも、同じ人間に対して、同時にいくつもの正と負の感情を持ち合わすことができるのです。ここは、松野カラ松とは違う、一松の高等な側面でありました。

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20151231
色松ではありません、家族愛です

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