短編ログ | ナノ
呼吸も熱も心音も全部、

「ねえ」
「ん…」

「ねえ」
「なに」

「ねえって」
「だから、なに?」

本を閉じて、隣りに座るチャーリーを見た。
もちろん、本には栞を挿んである。
チャーリーの用件が済んだら、再び読書を始めるためだ。

どこかむすっとした表情のチャーリーは、私の目をじっと見つめている。
彼が私の何かに対して怒っているということが読み取れた。

しかし、それ以上、彼は何も語ってはくれない。
どうにも埒があかなくなって、今度は私が幼子をあやすような声色で尋ねた。

「どうしたの」
「何みてるの」

そしたら、返ってきたのはそんな単純明快な質問。
本を手で支え、活字を目で追っている姿を見て、この行為が一体何のために行われているのかということを、彼が分らない訳はない。

そして、彼が馬鹿な人間ではないということを、長年一緒に生活してきた私が知らない訳はない。
けれど、こんな安易な質問を、彼チャーリー・ウィーズリーが、私にしてくるとは!

これは一体、どうしたことか。
彼は、熱でもあるのだろうかと、そんな思いすらしてくる。

私は、訝しさを隠さずに答える。

「本だよ」
「そうじゃなくて」

何を見ているのかという質問に対して、本だと答えた私は正しい。

「魔法史の参考書」
「じゃなくて…」

さらに噛み砕いて、魔法史の参考書と答えた私は優しい。

「…見たいの?」
「…ちがう」

その上、全てにおいて肯定の意を示さない彼の思いを推し量って、見たいのかと、つまり、彼もこの本が読みたいのかと、尋ねた私に、彼はこれ以上何を要求するのか。

「もういいよ!」

チャーリーは、くるっとそっぽを向いてしまった。
しかし、私の隣りの位置からは退くことはせず、ソファーに足を立てて、膝に頭を埋めてしまった。

それから、時計の短針がぐるりぐるりと何周も回った。
長針は、じりじりとその歩みを進める。

窓の外の景色は、私がここで読書を始め、チャーリーが私の隣りへと腰を落ち着けた時よりも、随分と変わった。

二冊目に読んだ魔法薬学の書籍は、なかなかに読み応えのあるものだった。
その本の最後の章へと差し掛かった時に、この部屋の変化に気付いたのだ。

柔らかいオレンジ色の光が、この部屋を満たしている。
まるで、チャーリーの赤毛の色に染まってしまったみたいだ。

隣りのチャーリーからは微かな寝息が漏れている。
どうやらあのまま眠ってしまったようだ。

この部屋には、私とチャーリーの二人しかいない。
だからこそ、彼の小さな寝息も、私の耳にしっかりと届くのだろうと思う。

この部屋は、私が発見したものだ。
寮の談話室とは違う暖かさと、図書館とは違う静寂の二つの要素を併せ持つここは、私の秘密の場所だ。

私が二年生のクリスマスにこの場所を見付けてから今まで、この秘密のスペースで誰か他の生徒と鉢合わせをしたことがない。
なので、今のところは私と、私から聞いたチャーリーの二人だけの特別な空間である。

「チャーリー、起きて」

そっと、膝に頭を埋めて眠る彼の肩を揺する。
この体勢で眠るとは、なかなかに器用な人間だと素直に思った。

明日もクィディッチの練習があると聞いている。
この寝方のせいで首を痛めたら大変だ。

「name…? ゆめ?」
「残念ながら、現実だよ」

本を閉じて鞄にしまう。
目を擦る彼を尻目に、私はさっさと立ち上がって扉の方へと歩く。

「…たしかに現実だ」

自嘲的な声色で後方からそう聞こえて、私は足を止める。
チャーリーは、まだソファーから立ち上がる気配はなく、か細い声で言葉を発する。

「…ゆめだったら、nameは僕を――しないし」
「え、なんて?」

私は彼の一言目がよく聞こえなくて、振り返って聞き返すも、私の声を聞いていないようにチャーリーは続けた。

「…夢だったら、nameは――本を読んだりしない」

さっき、私がすぐに対応しなかったことを、まだ根に持っているのだろうか。
彼は、そんなに恨みに思って忘れないタイプの人ではないはずなのに。

「寝言なら寝て言って」

呆れながら、再び扉に向き直って、丸形の取っ手に手を伸ばした。
その手に力を入れて取っ手を回すと、開くはずの扉が開かない。

どうしてだろうと不思議に思って、数回ガチャガチャと押したり引いたりを繰り返すと、重い腰を上げたチャーリーがすぐそこまで歩いてきていた。

「チャーリー、この扉が…」
「name、僕を見て」

見上げた彼の顔は、切なげに歪んでいた。
予想外のその表情にびっくりした私が視線を落とすと、チャーリーの手には、杖が握られていた。

「施錠呪文――あなたが?」

こくりと頷いたチャーリーに、ただならないものを感じて、私はゆっくりと、彼と正面から向き合えるようにその場で転回した。

「私、杖持ってないんだけど」
「知ってる」

「夕食が始まってるんだけど」
「わかってる」

「お腹が空いているんだけど」
「わかってるよ!」

先ほどとは打って変わって、肯定を繰り返すチャーリーは、杖を持つ方の手を握り締める。
その強い強い力に、彼が持つにしては頼りない杖が、悲鳴を上げている。

「どうしたの?」

私は、もう一度、幼子をあやすような声色で彼に尋ねた。
最近の彼は、将来のことで悩んでおり、不安定なことを知っていた。

私は女であるが、チャーリーとは良い友だちをやっている。
彼は以前、彼の両親に私を紹介する時に、一番の親友だと紹介してくれた。
当時の私はそのことを素直に喜んだし、満更でもなかった。

そんな私が、彼の情緒の詳らかな変化を察知出来ないとは。
親友という言葉は、ただの飾りなのかと思い、自己嫌悪に陥ってしまう。

しかし、返ってきた言葉は、意外なものだった。

「name、ごめん」

私はすぐに、その言葉が理解出来なかった。
チャーリーが、私に謝罪してきたのだ。

「ごめんね、」
「え?…ちょっと、本当にどうしたの?」

「僕の勝手で君を困らせたくはなかった。けど、だけど…」

今にも泣き出しそうな声で、そこまで言うと、チャーリーは杖を落とした。
あんなにも強く握り締めていたのに、杖は彼の手をすり抜けて石畳の床へと落下したのだ。

カラン、カラン…

窓に切り取られた空は、オレンジからインディゴへと色を溶かすように染まっている。
もうすぐで、陽は沈むであろう。

チャーリーの肩越しに、私はその切ない色をした窓の向こうを見た。
私の腰には、クィディッチで鍛えられた逞しい腕が巻き付いている。

どうすることもできずに、ただじっとしている私。
時計の秒針がぐるぐる回る。

「ごめん、name。もう少しだけ、このままでいさせて」

何度目かに秒針が長針の上を、通り過ぎた時、また彼は私に謝った。
そして、続けられたその言葉に肯定も否定もすることなく、私はただただチャーリーの気が済むまで彼の腕の中にいることにした。

しばらくすると、腕の力がゆっくりと弱くなった。
それに私が気付いた時、チャーリーの頭が私の左肩に落ちてきた。

突然のアクションに、私は少しだけ身を硬くした。
そのことに気付かない訳がないチャーリーは、自嘲的な笑いを零してぼそぼそと喋る。

「…ゆめだったら、」

また夢の話か、と正直思った。
そして、少しだけ左に顔を向けると、頬を彼の赤毛がくすぐった。

「…夢だったら、nameは僕を置いて行ったりはしないし」

彼が喋るたびに、息が肩や首にかかる。

「…夢だったら、nameは僕を無視して本を読んだりしない」

彼の息遣いをくすぐったく思っていると、チャーリーが顔を上げた。
もう薄暗くなってしまった部屋の中、彼の二つの目がやけに光って見える。

「もし、これが現実じゃなくて、」

「夢だったらって言うんでしょ?」

チャーリーの大きな手が、私の両頬をすっぽりと包んで、私の顔を上に向かせた。

「…夢だったら、nameは、僕に、Yesと言ってくれる」

彼と私はそんなに身長差はないが、やはり男のチャーリーの方が身長は高い。
上目遣いになるのはいつものこと。

「僕は、nameが好きだ。結婚を前提に付き合ってほしい」




チャーリーの告白に驚いて、私は目が覚めた。
膝の上には、読みかけの魔法薬学の本が開かれた状態であった。

壁にかけられた時計を見ると、夕食の時間には、まだまだ早かった。
妙にリアルで、しかも同じ寮で親友のチャーリーから告白される夢を見るなんて、私は一体何を望んでいるのだろうかと思ってしまう。
しかも、結婚を前提に、付き合ってほしいだなんて!

いやはや、勘違いもはなはだしいだろう。
何を根拠に、彼が私のことをそう思っているのだというのか。

いや、だからこそ私は彼からそう思われたいとを願望しており、夢に見たのだろうか。
いつか読んだ心理学の本に、夢に出てくるビジョンやエピソードは、人間の心の奥の深い所にある願望や欲望の表れだと書いてあった。

確かに私は、チャーリーのことが好きだし、彼からもそれなりに好かれていることだろう。
チャーリーが、自らの両親に私を親友だと紹介したのは事実である。

けれど、自分が彼とそうなりたいのかと自身に問いても、明確な答えをすぐには出せない。
それはきっと、今の距離感が心地よいからなのだと思った。
築き上げた不即不離の関係を、壊したくないんだと。

考え出したら切りのつきそうにない問題を頭の片隅に追いやって、とりあえず私は、膝の上の魔法薬学の本にいつもの栞を挿んだ。

視界の両側を、まるでカーテンのように遮る長い髪を耳掛けして払い退かすと、左端に鮮やかな赤色が映った。
割と大袈裟なくらいにびっくりして、勢いよくそちらを振り向くと、夢を同じ体勢で寝息を立てるチャーリーが隣りに座っていたのだ。

「こんなことって、!」

あるのだろうか、と続けられるはずの言葉は、チャーリーによって遮られた。

「あるんだよ、name」

伸ばされた手は、男らしくごつごつとしていて、私とは違いざらっとしている。
その指が私の頬を滑って、くいっと顔を掬われる。

「きっと僕らは同じ夢を見たんだね」

ぐっと縮まった距離にあるチャーリーの顔。
鼻の頭から広がるそばかすがよく見える。

「相思相愛ってことかな」

そう言いつつ、笑うチャーリーはいつも以上に輝いて見える。
私は、熱に浮かされ火照る顔を隠す術もなく、チャーリーの視線をただただ受け入れるだけ。

「…これは、夢?」

やっとのことで、口から出た言葉は、なんとも幼稚なもので、自分が自分で情けない。

「いいや。…夢にまで見た、現実さ」

部屋は、緩やかに沈んでいく太陽の柔らかいオレンジに染まり、彼の髪色と馴染んでいく。
距離を詰めてくる彼に、私は自然と鼓動が高まり、まるで耳に心臓があるようにその拍動が聞こえるみたい。

「すきだよ、name」




口元に落とされた初めてのキスは、なんだかとても熱っぽい。
恥ずかしくなって、私がぎゅっと目を瞑ったその時、チャーリーはこっそりと手にしていた杖をローブのポケットにしまっていたのである。

呼吸も熱も心音も全部、
(夢なんかじゃない)


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20140412
title by メランコリア(http://nanos.jp/mlncla/)

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