鯰尾と話してから少し経ったある日。朝ごはんのあとの鍛錬を済ませて、俺は主の部屋に居た。審神者としての主の仕事を手伝うために。これから刀剣男士が増えていけば、審神者としての仕事量は増えて、主の負担は重くなる。俺たちが仕事を手伝えるようになれば、主の負担が軽くなっていく。なら、俺たちがすることは一つ。仕事を覚えること。


ただ、始め 俺たちが審神者の仕事も手伝いたいと申し出たとき、主はやんわり断った。







「みなさん、ご配慮をいただいてありがとうございます」


「でも、私は平気です」
「だめ。主の部屋に夜遅くまで電気ついてるの、俺たちは知ってるんだからね」
「う、 それは私の力不足なので…」


困った顔をしてる。そういう顔をさせたいわけじゃないんだけどなあ。


「大将。断る理由を聞かせてくれないか」
「…みなさんには、すでにたくさんのことを手伝っていただいています」
「例えば?」
「ごはんの準備やお掃除にお洗濯、馬小屋のお掃除に…先日から畑仕事も増えましたし」
「えー?主もやってることじゃないですか」
「私は審神者ですし、するのが当然ですから」
「主さまは、僕たちが手伝うのは…いやですか」


小夜が目線を下げて、肩をしょんぼり落とす。それを見て、主は慌ててしゃがんで小夜の顔を覗き込んだ。


「違うんです、小夜さん…!いやとかではなく、その」
「あー!主が小夜を泣かせたー!」
「なっ 鯰尾さん!小夜さん、ごめんなさい…」
「…泣いてはないです」


主は面食らった反応をして また困り顔。言葉には出してないけど、「どうしよう」って考えてるのが伝わってくる。


「もう諦めてよ。主」
「そうだな。大将、観念してくれ」
「お、おふたりとも」


主があわあわしながら、首を回して俺たちの顔を見る。俺たちの目から意見を曲げないのが伝わったのか、「みなさん、ずるいです…」とうなだれた。


「主の仕事が減ったらさ、俺たちと過ごせる時間は増えるわけでしょ? それって俺たちからすると嬉しいんだ」


俺はそう言葉を手渡して、念押しで「それでもだめ?」とさらに言葉を載せる。それを聞いた主は少し困った顔をしたけど、すぐにふにゃっと口を緩めた。


「降参です」







「加州さん、本日はお願いします」
「うん。頑張る」
「はい。私も頑張りますね」


記念すべき、審神者の仕事を覚える一番手は俺。まずはパソコンの使い方を教えてもらう。


「お隣、失礼します」


向かい合った形だと教えにくいみたいで、主が俺の隣に座った。スイッチを押すと、真っ黒だった画面に色がつく。びっくりして、「おお」なんて声が出る。なんか、なんか、すごい。


「このたくさんのボタンが並んでいるものをキーボードと言いまして」
「キーボード」
「はい。アルファベットというものが並んでるんですが…」


見慣れない文字。キーボードを押すと、かたかたと音がして楽しい。主はほとんど手元を見ずに打ち込む。かっこいい。俺も早くそうなりたい。キーボードが早く打てるようになれば、書類の完成が早くなる。主の仕事量が減るのに繋がる。


「加州さん。見てください」
「あ、 」


主が指さしした画面に浮かぶ文字。


「…俺の名前?」
「はい。加州清光。綺麗なお名前です」


主は俺たちをよく褒める。自分のことを褒められるとすぐに恥ずかしがるのにさ。誰かを褒めるときは恥ずかしさなんて知らなくて、まっすぐの言葉で褒める。「刀剣男士のみなさんは、顕現してすぐでも ひらがな カタカナ 漢字、全て読めちゃうのですごいですよねえ」なんてのんびり喋って。隣の俺が主の言葉に照れてるなんて気づかない。


とっさに「主の名前は?」と聞きそうになって、止めた。初めにこんのすけに言われたこと。「決して審神者の名前を聞いてはならない」。たぶん、主もこんのすけからきつく言われているはずだ。


姿はひとでも、俺たちは神さま。日本に伝わる言霊という考え。言葉には力がある。ひとにとっては簡単な約束も俺たちにとっては紛うことなき契約。結んだそれは絶対に守らないといけない。


ただ、契約にはいくつか必要なものがあって、そのひとつが名前だ。今、俺たちは主に名前を知られているけど、俺たちは主の名前を知らない。俺たちは顕現されたときに名前を語り、それを贄にして主と共に在るという契約をした。俺たちは自らの意思で主から離れることはできない。でも、主は真名を俺たちに教えていないから、いつでもこの契約を破棄することができる。神さまからひとを守るために、政府が決めているルール。



主が望めば、主はいつでも俺たちから離れられるんだ。



「加州さん?」
「 あ、ごめん」
「休憩しましょうか」
「ううん。進めて」


俺の胸のあたりにろうそくが立っていて、そのろうそくに誰かの息がふっと吹きかけられる。同時にそのろうそくの火は大きくゆらめいて、消えそうになって、すんでのところで燃え続ける。そんな感覚。


ああ だめだ。今は仕事に集中。切り替えなきゃ。





そのあと、文字の打ち方と書類の作成方法をひととおり教わった俺は、練習がてら簡単な報告書を打たせてもらう。主は、俺の隣で陣形の書かれた本に視線を注ぐ。真剣な目つき。


「主。話しかけてもいい?」
「はい。大丈夫ですよ」


もちろん、自分の仕事の手は止めずに話をする。


「主はさ、ここに来る前は現世に居たんだよね」
「そうです。このパソコンも現世のもので」
「現世ってどんなところ?」
「うーん…そうですね…」


ペンを持っている手を顎のあたりに持ってきて、目線が天井に向く。主って 考えごとするとき、このポーズをよくとってる気がするな。


「色んな意味でめまぐるしいところかな、と思います」
「めまぐるしい?」
「はい。ここにあるパソコンや あと スマートフォンというものがあって」
「うん」
「そういうものを通じて、色んな情報が見れるんです」
「うん」
「一秒一秒、情報はどんどん上書きされて、さっきまで新しかったものは古くなって」
「…ここと時間の流れが違うかんじ?」
「物理的には一緒だと思うんですが、体感的にはまったく違いますね」
「そっか、」
「はい。みなさんが見たらびっくりするような楽しいもの、すごいものもたくさんありますよ」


主がペンを机に置く。その代わりに、空いた手は 現世のものを俺に伝えるための身振り手振りに回される。一生懸命に話してくれる主の方に身体を向けて、机に少しだけ肘をつく。主の話を聞きながら、その少し外側で 今 自分は優しい顔をしてるんだろうなあと他人事みたいに思う。あ、手が止まっちゃってるな。主も、俺も。


「ねえ、主」
「なんでしょう?」



「現世に帰りたいって、思う?」



主はきょとんとした顔。突拍子のない質問。耳の横で心臓が鳴ってるみたいな音がする。生きているんだなあと感じる。どきどきしてる、俺。なんで?





「わたし」


「この本丸も、現世も大切です」


「ここには加州さんや小夜さん、薬研さんに鯰尾さん。こんのすけに馬さん」
「現世にはお母さん、お父さん。おばあちゃんにおじいちゃん。友達に先生」

「どちらにも大切なひとが居て。現世と本丸で過ごした時間、両方があったから今の私が居ます」





「現世に帰りたい、というよりは一緒に行けたらいいなって思います」

「いつか、加州さんたちを現世にご案内して、私の大切なひとたちに紹介したいです」

「質問の答えに、なってますかね…?」





主が現世に帰ったらどうしようって不安になったんだ と思う。現世から来た主には向こうに大切なひとが居て。そのひとたちを置いてきて主がここに居ることを 俺は忘れてた。現世の大切なひとたちと離れていることは、主にとっていいことなのか。お互いに寂しい思いをするんじゃないか。


主が現世のひとたちと俺たちのことを天秤にかけたとしたら。どっちを選ぶ?


どちらかを選ぶしかないと思っていた俺は、主の答えに驚く。それと同時に ああ、主らしい答えだなと思う。どちらかだけを選ぶという選択肢はない。いつも俺を、俺たちを納得させて、安心させてくれる答えをくれる。



「…うん」



なんて返そうか悩んで、素直に気持ちを込めた。



「俺も会いたいな、主の大切なひとたち」
「はい!ぜひ」
「俺のこと、一番に連れていってね」
「もちろんです」
「約束」
「はい。約束です」



主が小指を出したから、俺も小指を差し出す。



大きいのと、小さいの。ふたつの指は仲良さそうに柔く絡んだ。




あるはずだとい続けること

title by ゾウの鼻



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