「加州さん!小夜さん!」 声が降ってきた方を振り向く。勝手口の扉から主が顔を出していた。取り込んでいた最後のシーツをかごに入れて、俺と小夜は主の方へ進む。 「薬研さんのご兄弟の鯰尾さんがお越しになられました!」 ああ、嬉しそう。そんな主を見ていると、つられて口元が緩くなる。ほんとに、不思議なひとだと思う。出会ってからの時間はそこまで長くないのに。すっかり俺たちは主の懐のなか。主の近くは、居心地がいい。 「よかったね」と口に出そうとしたそのとき。扉からひょっこり覗かせる主の顔の上、もう一つ顔が飛び出した。 「鯰尾藤四郎です。藤四郎の脇差で元は薙刀でした。焼けたせいで少し記憶はないけど、まあ、なんとかなりますって!」 ・ ・ ・ 「加州清光。新選組 沖田総司の刀で、この本丸の初期刀。よろしく」 「小夜左文字です、よろしくおねがいします」 「宜しくお願いしまーす」 ちょうど洗濯物も取り込み終わった俺たちは、そのまま大広間へ移動。主が淹れてくれたお茶を飲みながらみんなで一休み。この光景もこの本丸の当たり前になりはじめてる。 「いやあ、人の身体ってすごいですね」 「刀の俺たちが茶を飲んでるなんてな」 「ほんとにね」 小夜がこくりと頷く。目が覚めて、顔を洗って、朝ごはんの準備。身体を動かす。皿洗いに洗濯、花の水やり、馬小屋の掃除。美味しいものを食べて、美味しいものを飲む。笑ったり、驚いたり、たまに考え込んだり。 人にとっては当たり前のこと。でも、刀だった俺たちには全部が新しい。主がひとつずつ教えてくれて、俺たちはひとつずつ人らしくなっていく。なんか、すごいことだよなあ。神さまと呼ばれる俺たちが、人に色んなことを教えてもらって 心を動かされてるんだから。 少しずつ人らしくなっていく俺たちと主の距離は、日ごとに縮まっていっているように思う。だけど、まだ距離があるようにも感じる。それは 多分、俺たちが神さまだということを主がずっと意識して接してくれているからだ。出会ったときから主のその意識は変わらない。主らしくていいなとも思うけど、なんだろうな。少しだけ、 「あーるじ、何してるんですか?」 大広間の向こう側にある厨から、鯰尾の声が通ってきて、自分が考えにふけっていたことに気づく。大広間と厨の間の襖は今は開けられていて、大広間からも様子がよく見えた。 「 わ、 鯰尾さん」 「うわ、美味しそう」 「美味しそうでしょう!羊かんというものです」 「ようかん」 「はい。つるっとしている甘いお菓子です」 「へー!」 「みんなで食べましょうね」 「主」 羊かんを切り分けてくれてるんだろう、主の真後ろ。後ろに立って、主の顔の横から首を出しつつ 手元を覗く鯰尾。鯰尾は、人懐っこい刀なのかもしれない。なんとなく、距離が近いように思う。 そのまま主と話をしながら鯰尾が右隣に移動した。顎に手を当てて考えた顔をしたと思ったら、主に向かって口を丸く開ける。小夜と薬研とこんのすけが何かの話で盛り上がっているのを横に、俺だけが厨の方を見ていた。 「…? 鯰尾さん?」 「ちょっとだけ」 「ちょっとだけ?」 「あーん」 「…! だめです、鯰尾さん。つまみぐいの刑になっちゃいます」 「ちょっとだけ。ちょっとだけでいいんで」 厨の窓から差し込む光が、二人を照らしたり 影を作ったり。 「もう切れたので、お皿に乗せて向こうに運べば すぐ食べられますよ?」 「今、食べたいんです」 「…どうしてもですか?」 「はい。どうしても」 「ほんとうに?」 「はい。ほんとうに」 「…少しだけですよ」 引き出しから菓子楊枝を取り出して 突き刺したと思えば、その先にはひとかけらの羊かん。その羊かんを 主が鯰尾の口元に運ぶ。 あ、 「主」 「加州さん?」 「 …お茶、おかわりしてもいい?」 「は!気づかなくてごめんなさい、 今 沸かしますね」 「や、全然。ごめんね、ありがと」 「いえいえ」 鯰尾の口に入る前に行き場を無くした羊かんは、近くにあった小さな皿の上に置かれる。 「鯰尾さん、どうぞ」 「…ありがとうございます!いただきまーす」 「加州さん、つまみぐいのこと みなさんには内緒で…!」 「 うん」 少しの間のあと、小さな皿の上に置かれた羊かんは 鯰尾の手で鯰尾の口に入っていった。 なんか、 変な感じ。 人の姿を借りてから、たまにこんな風になる。胸のあたりがもどかしくなるのから始まって。誰かに柔くひっかかれたみたいに 胸の内側がざらざらしていく。気持ちわるいような、気持ちわるくないような、変なかんじ。なんて言ったらいいのか分からないし、どういうときにこうなるのか 俺自身もよく分かってない。ひとは、みんな こんな風になるもの? 落ち着きたくて、自分の髪の毛を片手でさわる。 「加州さん」 気づけば目の前に主が立っていて、さっきまでそこに居た鯰尾は大広間の輪のなかに入っていた。 「せっかくなので違う茶葉にしようと思うんですが」 「うん」 「加州さんは ほうじ茶がお好きでしたよね」 「 うん、好き」 「じゃあ ほうじ茶にしちゃいましょう」 俺の知らない歌を口ずさみながら、棚からほうじ茶と茶さじをとる。小さなスプーンで茶葉をすくう。ほんのり上がった口元。なんとなく、主の隣に立ってみる。 その様子を静かに見ていたら、視線に気づいたのか 主が俺の方を向いた。首を傾げて俺の方を嬉しそうに見る。目が合って なんだかおかしくなって、二人とも小さく笑う。お湯を注ぐと、ほうじ茶のいいにおいが漂った。 俺は気づく。さっきまでの気持ちのざらざらが いつのまにかなくなってることに。 ほんと、不思議だよなあ、主は。俺、一応 神さまなんだけど。人はよく神さまに浄化されたなんて言うけどさ。俺の方が主に浄化されたみたいになってない? なんとなく悔しくなって、でも ほっともして。 「主って、ほんとに人なの?」 「えっ!?」 あたふたする主を見て、俺は隣で笑う。やられっぱなしみたいで、俺ばっかり嬉しくなってるみたいで 悔しいんだ。ちょっとくらい 意地悪なこと 言ってもいいでしょ? 君と僕と不等号 title by 液果 |