籠屋本編 | ナノ

一.後ろを振り向くことなかれ
49.



「宵、髪を切って」

 眠たげに襖を開けた大瑠璃は、見開かれたままの金の瞳を囲う茶の縁が綺麗な円を描いて見上げる宵ノ進の、呆然とした表情のままぽろぽろと溢れる彼の一部を黒い目で見つめる。
 宵ノ進の自室は部屋数があり、一番狭い部屋を寝室とする彼の元へ迷いなく来るのは大瑠璃だけであった。始めに自室の入り口を覗いたなら文台のある広い和室だが、物のない空間に本人がいなければ立ち入ることは阻まれる。幼馴染の間柄でなければ一度顔を曇らせる行動に当たるが、宵ノ進が気に留めたことは一度としてなかった。

「宵、また泣いているの」

 大瑠璃は側へ寄ると膝を折った。また、とは大瑠璃ばかりが知るところであった。人前で流す涙は枯れている。一人になれば無意識に頬を滑らすというのに、気付くまでにかかるのだから自身に鈍いと一つ拭えば、彼はようやく瞬きをして声を震わせた。

「――咲夜」
「ん、どうした」

 大瑠璃は柔らかく笑う。黄朽ち葉色の髪を撫で付け、形にならぬ言葉の端が頬を流れ落ちてゆくのを見つめながら、長い間そうしていた。
 緩く抱いて、背を撫でる。大人しくされるままになる彼は、生気を譲り渡した花のようだと思った。
 まだ涙を流す。まだ名を呼んでくれる。呼ばれる限り応えよう。彼がそうしてくれたように。

「咲夜」
「宵、俺が見えるか」

 常闇へ自ら進むものなどいない。時越えに帰る場所などない。幼馴染みを縛るすべてを解いてやりたい。
 身体を離すと宵ノ進は瞬いた。金の眼は真っ直ぐに大瑠璃を見つめていたが、やがて両手を伸ばして指先が頬に触れると再度名を呼ぶ。
 暗闇の中に彼はいる。何かの拍子に引きずり込まれてしまう。そうなってしまえば眼に何も映らなくなるのだと聞いて以来、大瑠璃は他の者には知らせずになるべく側へ居るようにしていた。
 ここのところは酷かった。朝日に抱きつかれたくらいで倒れるなど今までありはしなかった。ぎこちなく笑いながら引き剥がして、名前を呼んで諫めるくらいであったのに。唐突に視界を真っ暗闇に奪われて、座り込んでしまうなど。
 籠屋の中まで入り込んだ引き寄せ刀に引きずられるようにして、だんだんと幼馴染が沈んでいくように思えることに憤りを覚えていた。

「羽鶴、が……」
「……」

 大瑠璃は頬に伸ばされた幼馴染の片手を掴むと再度抱き寄せた。

「そう。鶴が入ってきたの」

 おまえの暗闇に。

「──」

 大瑠璃は幼馴染の名を呼んだ。腕の中に収まる彼は、ふんわりと笑って、涙を溢した。

「大丈夫、俺もここにいる」

 おまえを引きずり下ろすすべてのものを払うまで。言葉が何度飲み込まれようと。何度でも言葉をかけてでも。

「起きたら昆布巻きを作っておくれよ。ああ、髪を切るのが先がいいな」

 緩くふわふわと髪を撫でながら、幼い頃そうしたように膝の上へ転がると不揃いの黒髪を浅い傷の残る指がすく。大瑠璃は宵ノ進が泣き止むまでそうしていた。




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