籠屋本編 | ナノ

二.花と貴方へ
101.苧環



 眼が眩む程の極彩色。歪な名も無き花々を彩り、天井、柱、壁と畳を出鱈目な色合いで埋め尽くす。強烈な花の香りに目眩を覚えた羽鶴がぐらりと視線を這わせば、畳の上に山ほど積まれた歪んだ花々は部屋と同色の豪奢な着物へ変わり、長い黄朽葉色の髪をさらりと靡かせた般若の面と眼が合うと、それは小首を傾げた。

「とりしやきばあらわ」

 意味にならない言葉が並ぶ。か細く上擦ったその声を聞くなり強烈な吐き気に襲われた。
 口元を押え耐える羽鶴を般若の面はかくりかくりと首を傾げながら凝視している。見る程に、両眼が抉られるよう。一度痛みに耐えかねて般若の面から視線を外すと言葉にならぬわらべ歌が聞こえる。ぱきり。歌に混じる音に顔を上げれば、般若の面は枯れ枝を自らの白い頸へ突き立てて、掻き切る動作を繰り返していた。

「……宵ノ進」

 噎せ返る程の花の香りに耐えながら名を呼んだ瞬間、極彩色の部屋は失せ、一面の真っ暗闇に般若の面が浮き上がった。

「は、……ぅ」

 頸から血が吹き出る。極彩色の着物が斑に染まり、般若の面は両耳へ爪を立てては掻き毟る。

「……こな、いで……こないで……! 何故きた、いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ」

 声は羽鶴の知るものよりも高く、幼いとさえ思った。一歩近付けば、真っ赤な両耳から離れた爪は般若の面に立てられる。がりっがりがりがりがりがりがりっ。耳障りな音が面に赤い筋を生む。
 かつり、爪先に鬼の面がぶつかる。いつの間に。意識した途端にそれらは真っ暗闇一面に散らばり次々と暗闇から降ってくる。その一つを拾い上げると、般若の面から悲鳴が上がった。

「厭、厭ああああああ!!」





「あなたはここから逃げるのです、私のようになってはなりません」
「あなたにそう言われたら、首を斬るよう躾けられましたので!」
「ま……」

 ごとん。

「僕を売り物にしてください、次はあの子を」
「なにを……」
「あなたの躾がなければ今日仕入れた子らから生き剥ぎを出すのだと」
「…………」


「嫌ぁああああああ嫌です絹様ああああああああどうして……! 言う通りにしたのにっ……!!」
「……!! ……っ!!」

 口元を押さえられ身体を暴かれながら思った。
 ああ、真っ二つだ。


 舟は死体を棄てるのにちょうどよかった。
 夜の川は都合が良かった。
 身体を差し出す度に思った。私が気に入ったふりをすれば、拐われてきたあの子らは命までは奪われないのではないのかと。
 けれどその思考さえ浅はかだった。
 連れられてきたあの子らは薬で仕込まれていたのだから、私が外れる理由も無いのだ。


 あのこらの亡骸の上で目が覚めたこともあった。どろり、亡骸を玩ばれた痕に覚える憤りでさえ“それはお前がやった”と言われてしまえばわからない。

 わからない。けれど生かしておく理由がそうであるならば。

 片脚へかけられた縄を解けば誰かの片脚が跳んだ。絶命してゆくその子らの前での辱めを好むよく嗤う人々は、亡骸の首をこちらへ向けては身体へ手を這わす。

 誰か。私の一言で、私の所作ひとつであのこらが死んでしまう。
 誰か、あのこらが皆川へと放られてしまう。
 誰か――。毎夜毎夜毎夜嗤い声が聞こえる。

 あの嗤い声を絡めた舌が身体を這う。薬で狂ったあのこらがこちらへ手を伸ばす。気が退く頃に悲鳴が聞こえる。ざぶん。またひとり水底へ。

 冷え切った身体が朝を報せる。誰もいない舟の上、脚から伸びる縄が恨めしい。

「…………」

 彼は恙なくあるだろうか。
 ゆるりと瞬きをして振り払う。彼との日々を思い出してしまえば耐えられそうも無い。やわらかな日々に混ぜてもらえたひとときが、……本当はもう一度。
 いけないと何度も瞬く。あの優しい人たちにこれらを近付けてはいけない。あの人たちが綺麗だと褒めてくれた長い髪を掴み生き死にを見るや嗤うこれらは――、……。


 ぱきん。
 真っ暗闇、羽鶴の手の中で鬼の面が真っ二つに割れた。
 爪傷でぼろぼろになった真赤の面は羽鶴の眼前で項垂れると、それきり動かなくなった。
 羽鶴が視線を泳がせるとだらりと垂れた手指は血に塗れ、よくわからない指先の形に息が詰まる。耳は、と視線を移したことをほんの少し後悔する間に極彩色であった着物は血濡れに変わっていった。
 ぼたり、真赤の面から溢れた血が暗闇に落ちる。

「……、…………」

 羽鶴はゆっくり真赤の面に両手を伸ばす。頭の後ろで結ばれた真赤の紐を一息に解くと、面と紐は血に変わり羽鶴の手指や足元を濡らした。

「思い出しました?」
「ぁ、…………」

 人型を成した黒い靄に空く朧月に似た金の眼を。靄は幼さの残る顔の半分を覆いゆらゆらと蠢く。もう半分の人の顔が微笑う、慄いた、その感情で宜しいと。血濡れた口許が再度開くと一筋流れては暗闇に落ちてゆく。

「ちが……くて、その……」

 ――紡ぐことの得意では無い羽鶴の戸惑う姿が愛おしい。誰かの為に言葉を紡ごうとする心根が愛おしい。口許の血を拭おうと自らの着物を伸ばすも、触れられるのが嫌いだと思い出しては手を引っ込めて眼を泳がせるその優しさが愛おしい。

「あれは、あなたがたの手に負えない。わたくしが、最期はあちらへ持って行く。あなたがたは、健やかに、恙なく。わたくしは、あなたの恐れる鬼なれど、……いいえ、忘れてくださいまし。名で呼んでいただけて、じゅうぶんなのですから」

 暗闇色の鬼。川岸で見た姿は思い出せても、彼が手にしていたものだけは暗闇に呑まれて見ることができなかった。

「宵ノ進」
「はい」
「僕は、誰も恨んでなかったと思う」
「――え、なにを、そんな……?」
「誰も、宵ノ進を恨んでなかったと思う」
「やめて、くださいまし」

 あの子らは気に入られる為に無理をしていた。生きてゆく為に無理をしていた。
 感情を隠すうちに心が切れたものが数名生きていた。あの子らは悪知恵が働くような子らではなく、家族の元へ帰りたいのだと泣く子が殆どだった。
 罵ってよかったのに。誰一人救えずに挙句すべてを捨てて逃げ出した無能だと恨み言を並べてよかったのに。責めることさえ、しないなんて。

「だれも……」

 ならばあの子らは、眠れて――。
 子供を殺めた者達の影がちらつく。一際耳障りな嗤い声を上げる拐い元でさえ恨んでいないというのなら、あれの挙動の一切はなんだったのだろう。引き寄せ刀になってまで追いかけ回す執着はなんなのだろう。刺されるほどに意味がわからなくなる。嬲り愉しむことに飽いたなら、死姦の趣味があるのだから殺めてしまえばいいものを。

「宵ノ進、帰ろう。すこし、休もうよ」

 返事をしかけた彼はごぼりと血泡を吹いてよろめいた。手のひらから吹き上がる血に金の片目を見開いて、細めたのちに倒れてしまう。伸ばしかけたまま固まる羽鶴の手と、血塗れで倒れる彼は同色に映った。
 助け起こしたくとも、体が動かない。手足が、いうことをきかない。――血を被った。紐解いた、あの瞬間に。

「…………」

 羽鶴は歯噛みした。強烈な、“お前はこちらに来るな”という拒絶。

「こんな守り方で僕を守ったつもりか……」

 おそらくは、少し困った顔をした後に微笑って詫びるのだろう。それでも曲げずにいるだろう。自分が犠牲になる以外、他にどうしようもないのだと決めてしまっているのだから。
 真赤の着物を早瀬が攫う。黒い川が音もなく飲み込んだ彼が沈むと何も見えなくなった。





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