籠屋本編 | ナノ

二.花と貴方へ
98.桔梗



(待て落ち着け宵ノ進と二人きりで出かけるとか久しい……ほんっっとうに久しい……いつぶりだ? このところじゃあさんざん断られて顔出すくらいだったけどよ……いっつも回し蹴りだの何で覚えたかわからんプロレス技を仕掛けてくる引きこもりの妨害もない……俺大丈夫か? 宵ノ進可愛いいやいつもだけど可愛い嫁にしたい可愛い)

「鉄ちゃん、鉄ちゃん気は確かですか?」
「俺ぁいつだって宵ノ進一筋ああああ」

 屋台の人混みの中で素っ頓狂な声を上げる鉄二郎にくすくすと口元へ指先を持っていき笑う宵ノ進は、大きな薄紅梅の瞳があちらこちら行くのを楽しげに眺める。
 普段のはきはきした声も賑わいに混じると何処へやら、掻き消されはせずとも幾分大人しげに聞こえ。

「ふふ、会う度に同じようなことを仰っておりますのに。ぼんやりされるなんて」
「あ、今笑ったな?! 俺だってこんな可愛い人の前じゃあぼんやりくらいするわぁ!! ああだからァ!!!」
「ふふ、あははは……」
(遊ばれてるなぁ、こりゃあ……)
「いーかはぐれんじゃあないぞ、離すなよ」

 きまりが悪そうな鉄二郎が太い指に引っ掛けた花飾りを引っ張りながら言う。力仕事の多い彼の指から伸びる一本の長い桔梗の花が連なった花飾りを小指に巻いている宵ノ進は、「はぁい」と気の抜けた声で返した。

「ふふ、存じ上げぬ方ばかり。奇妙なものです、こんなにも人が犇めいて、知らぬ地であるかのよう」
「毎年断ったりしなきゃあ詳しくもなるかもしれねぇぜ?」
「わたくしそんなにもお断りしておりましたでしょうか」
「久しぶりすぎて嬉しいくらいにはな。だから来年も」
「鉄ちゃん鉄ちゃん! 花蜜氷ですって!!」
「うん、行くかぁ…………」

 一口大の氷に花が一輪、蜜と一緒に閉じ込められた小さな竹籠をにこにこと見つめる板前に、鉄二郎はまぁいいかあと気を持ち直す。そういえば、お好み焼きを知らなかった頃にもこんなことがあったなぁとしみじみしていると、楽しげな声が隣から聞こえる。

「まぁ、まぁ……! ふふ、くださいまし。まぁ! 宜しいのですか? 有難く」

 工程等の話をしていたはずの板前はちゃっかり何個かおまけをいただき鉄二郎はああこれも見たことがある、と再度しみじみする。お好み焼きでもちゃっかり一枚多くもらっていたし、そうだ、そうでなくても、決まって。

「鉄ちゃん、御厚意で多くいただきました、どうぞ、初めてお店を出したそうですよ」

 木の匙の上に花が閉じ込められた氷をちょんと乗せて差し出した宵ノ進は、背の高い鉄二郎が屈んで頬張ると嬉しそうにしてから自分も口へと放る。祭りの熱気でみるみる溶ける氷と花の蜜が心地良い。ころころと転がして、最後に花を味わうと香りが広がった。気に入ったようで、一つずつ互いに食べながら歩く間、人混みもあり桔梗の花飾りを縮め持つ。

「鉄ちゃん! わたくしあれをやらねばなりません……!!」
「お? ヨーヨーか? 隣で見てやっから」

 意気込んだがしかし、和菓子や料理を繊細に作り上げる板前は子供用プールに浮かぶヨーヨー釣りが圧倒的に下手なのである。

「おい……なぜそこで紙がちぎれる…………」
「お水に浸してもおりませんのに…………」

 こよりの先についた釣り針が水面に触れるや紙がちぎれ始まりもしない。プールの底に沈みまくる釣り針と白い残骸に店主が青い顔をして、もはや悲しげにプールから目を逸らして口を片手で覆うしゃがんだままの板前が小さく見える。

「そういや宵ノ進線香花火も……」
「何も仰らず……!!」

 見かねた鉄二郎がやると一発で狙い続けていたヨーヨーが釣れたのだからいたたまれない。しょんぼりしながら受け取ったヨーヨーを器用に弾ませる板前に、鉄二郎は妹にするように頭をわしわしやりたい気持ちを堪える。鉄二郎が花飾りで引いて気を配ってはいたが、しょげてしばらく地面を見ていた宵ノ進は人混みの波にぶつかってよろめいた。

「申し訳……」

 ぶつかったであろう人間はもういない。額がひりひりと痛むのだが、相手は大丈夫だったのだろうか。

「おい、大丈夫かぃ宵ノ進?」

 心配の滲む声にぽかんと「ええ……」と返した宵ノ進は、着物の上からがっしりと肩と背を支えられていることに気が付いてそちらに眼をやった。

「あ゛…………あぁあごめん!!!」

 すぐさま手を離した鉄二郎は青ざめている。宵ノ進は青くなったりあわあわとしたり落ち着きのない鉄二郎をぽかんと見上げた。

「いいえ…………?」
「…………え、…………?」

 それからしばし二人はだんまりのまま歩いた。変わらず桔梗の花飾りを引っ張って、視線が合うこともなく。

(どういう事だ……? 人に触られるこたぁ嫌がったはずだろ……? こないだだって、首絞めるくらい嫌がっただろうに…………)

 ちらり、医者の顔が浮かぶ。

(もし、人に触られても多少だろうが気にならなくなったとしたらだ)

 人混みの賑やかな声が鬱陶しい。

(きっかけが俺でないのが、悔しい)


 試しに、と。桔梗の花飾りをぐっと引いて手繰った手のひらを握ると、驚いてまん丸になった金の眼とかち合う。

「てっちゃ……」

 震えた声。その困惑に甘えて、指を絡めて握る。

 息が詰まったようだった。足早に、人混みをすり抜け屋台の途切れた道へ出ると、花で飾られた櫓の下で息を切らした宵ノ進が人目も気にせず声を上げた。

「ここが、鉄ちゃんの綺麗だと思う場所なのですか……!」

 息苦しさに掠れた声だった。
 “かなしい”。そう感情を滲ませながら訴えるのは珍しく、かつて交わした約束を、未だ覚えていたのが嬉しくも、ならば何故他の人物と遠くへ出掛けたのかという澱が一緒くたになってすぐに言葉を返してやれない。
 昔はよく一緒に出掛けたのに、いつからか断られてばかり。会いに行けば愛称で呼び笑顔を寄越す。
 ずっと好きだと伝えても素通りの、心が幾度も会ううちに向いてくれたならと。何度も何度も何度も、その自分を置き去りにしたままの心を、揺さぶろうと。

「どうしてだ……」

 鉄二郎は宵ノ進を抱きしめる。

「約束したのに他所へ行くってどういうことだ? 俺ぁずっと誘った。何度も、何度も。約束した場所が一箇所だなんて思っちゃいねえ。なあ、宵ノ進。はっきり突っぱねもしねえでまたにこにこされちゃあよ、俺もわからねぇんだ。俺ぁ宵ノ進が好きだ。なぁ、どうなんだ」

 抵抗が無い。ああ、悔しい。

「わた、わたくしは…………」

 強く抱きしめる鉄二郎は腹に違和感を感じる。

(懐に、何か…………)

「私、は……。この、ままでは……」
「…………?」

 掠れた声が耳へ届く。怯え、芯から凍えたような上手く発せられぬ声。


「鬼に、喰われる。たす、けて……鉄二郎」




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