目の前のカップからは湯気が立ち、慣れた匂いのコーヒーが注がれている。慣れているとはいっても自分がいつも飲んでいるものの次になのだが同じ豆を使っているのにやはり少し違うのは淹れ方が違うのか、それとも。
 特に興味もないことをつらつらと考えながら口に含むと適度に温かいそれはやはり自分の飲んでいるものと少し違うが美味しかった。
「臨也?何、気持ち悪いよ。ちょっとの間とはいえ君が黙ってるなんて」
 向かい合わせに座っている旧友と呼べるだろう白衣を着た男は、その間柄というより本来の性格からか無遠慮にケラケラと笑っている。
「君は俺のことを何だと思ってるのかなあ?喋ってなきゃ死ぬとでも思ってるの?いやさすがにそれはないよね。俺だってさ、取引中に黙ってなきゃいけない時だってあるし、それこそ仕事中だって波江さんが居ない時に一人で喋ってたらおかしいでしょ。そりゃあチャットも会話には違いないしそれを含むといっても年がら年中パソコンの前に居る訳じゃあない」
「僕だってさすがに臨也がそこまでとは思ってないよ」
「ああそうだよね、一応医者だしそこまで非現実的なことは考えてないか」
 カップとセットでそこそこ高そうなソーサーにガシャンと音を立てて置けばまだ半分ほど残っているコーヒーが零れはしないまでも大きな波を作った。
 大げさにやれやれと肩を竦めてはいるが怒ってないことを新羅は知っている。臨也のすることはほぼパフォーマンスと言ってもいい。新羅に対しては効き目がないとわかっているのか表面上のやり取りでしかないが。
「また静雄くんと何かあったのかと思ってさ」
「やだなあ新羅。俺とシズちゃんの関係はいつでも良好だよ?」
 新羅の言葉に赤い目がすっと細められたが、この間も池袋に入った瞬間見つかって追いかけられちゃった、と子供のように口を尖らせながら文句を言うに留まる。


 嘘ではない。
 三日前に臨也は髪の毛を数本、顔面のすぐ横を野球用の硬球ばりの速度で飛んでいく道路標識に切断されたばかりだ。気付くのがもっと早ければもう少し余裕を持って躱すこともできたろうが、いつも口火を切る盛大な自分を呼ぶ声が聞こえず殺気を感じたときには臨也の周囲の空気が動いていた。
 確認もせず反射的に身を捩ったら数メートル先のビルに物騒な凶器は無残にひしゃげて突き刺さっていた訳だが、コンクリートである壁面に完全にめり込んでいるそれに、長い付き合いでその力も重々承知している臨也の背筋に冷や汗が走る。もちろん表情にも仕草にも露ほども現わさなかったが。
「また派手にやったねー?シズちゃん」
 振り返りお約束の笑みを張り付け声をかければ、かけられた相手は無言で舌打ちし地面に唾を吐き捨てた。バックに背負った池袋のネオンが眩しくて表情が伺えないが、どうやら相当機嫌が悪いらしい。
「なになにーどしたのシズちゃん。そんな小難しい顔しちゃってさー!いつもの『臨也くぅーん』ってアレはぁ?」
「手前……」
「まあね?シズちゃんなんかに俺みたいに輝かんばかりの笑顔なんて逆立ちしても無理だろうしー?」
 瞬間、何かが破裂したような音と同時にしゃがんだ臨也の頭の上を寸胴が折れ曲がったゴミバケツが飛来していく。スピードに乗った青いバケツは、先に本来の役目とは違う目的で使用された道路標識に重なるように激突して中身を撒き散らした。
 正面から視線は動かしていない。臨也の前には振り切った片足の靴ずれを直すようにトントンとつま先をつく静雄がいて、その間も身動きひとつ許されない状況だ。


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