よく冷える夜だ。夕飯もしっかり食べたのにおなかがすいて、外に出てきてしまった。この辺でこの時間に開いているところといったら、コンビニしか無い。くたびれたパジャマともこもこ靴下はそのままに、ロングコートとクロックスを合わせた、とても知り合いには会えないような格好で大通りのコンビニへと向かう。入口からの視界には誰も捉えられず、かろうじて小さないらっしゃいませが、奥から聞こえてきた。お弁当コーナーに直行すれば、声の主が何やら機械を持ちながらしゃがみ込んで作業をしていた。金髪でがたいのよさそうなお兄さんだ。今はこの人しかいないらしい。防犯意識的に大丈夫か。余計な心配をしつつもおなかの具合には逆らえず、適当に選びレジに向かった。
「あっお会計ですね……ん?」
「げ」
「げって」
そこにいたのは、去年同じクラスだった浜田だった。念のため言っておくと、わたしは知り合いに会わないことを祈ってここに来たわけで、心の内が少し漏れてしまったけれど決して彼が嫌いなわけではない。金髪、一人暮らし、更には留年と不良の原則にいちいち当てはまっているような彼には「家に行ったらヤられる」というのが同学年女子の共通認識としてある。その噂が流れるまでは仲良くしていた方だと思うけれど、次第に疎遠になってしまったのだ。彼はだんだんとクラスでも浮いた存在になり、そんなときに留年が決まった。それからはもう会話を交わすことすらなかった。春になって2回目の1年生をこなしている彼を、2階の窓から眺めるのが精一杯だった。
「久しぶりだな」
「久しぶり。これ全部廃棄なの?」
「そう。あと2時間で期限切れだから」
「買おうか。どうせすぐ食べるし」
「まじかよ!お前いいやつだな!」
「まあね」
「サンキュー!あ、お金余裕あったらオレのも買っといてくんね?もう上がるから、ちょっとだけ待ってて」
「別にいいけど」
相変わらずのひと懐っこい笑顔を撒き散らして、彼は外に出ていった。レジに商品を置き、彼と入れ替わりに出てきた美人な店員さんにお会計をしてもらう。すると突然、裏口のドアを勢いのまま閉めたような音が、奥の隙間から聞こえてきた。驚くわたしにお姉さんがごめんなさいねと声をかけてくれたとき、ジャケットは全開マフラーもほどけかかった彼が、能天気な入店音を鳴らして迎えに来た。お世辞にもかっこよくはない。しかしお姉さんと親しげに話す場面を見ていると、とても同い年とは思えなかった。去年だってそうだ。彼だけがクラスの中で異質で、浮いていて、どこか垢抜けているようにも見えて、平凡なわたしはひどく憧れたのだ。
「ありがと。これお代ね」
「ん。どっかで食べてく?」
「え、いいの?親は平気なの」
「もうみんな寝てる」
「そうか……食べるにしたって外は寒いよ?あ、家来る?こたつ出したんだ」
すぐ解散するのはなんだか名残惜しく、隙を見せてみたらまるで息をするように自宅を提案されてしまった。ここで警戒するのが普通の女の子なら、わたしはだらしのない女の子になるのだろうか。越智が聞いたら卒倒するかも。彼の顔をうかがってみても裏があるとは思えない。わたしは頷いた。真実を自分で確かめたいという気持ちも、たぶんあった。
彼の家は歩いて数分の、小さなアパートの1階だった。突然の来訪にしてはよく片付いている部屋だ。慣れた手つきでいろいろなスイッチを押していく彼についていく。通された先にあったのは今年初めてのこたつだ。速攻で潜り込み、お言葉に甘え彼がお弁当やインスタントスープの準備をしてくれるのを待っていた。よく見ると片付いているというより、もともと物が少ないだけなのかもしれない。手の届く範囲で適当に片付けていたけれど、伏せられた写真立てを起こす度胸は、わたしにはまだなかった。ようやく彼が湯気の立つお盆を手にやってきた。こたつの中で触れる足がくすぐったい。BGM代わりに見たこともないドラマを流しながら、同級生ではなくなってからの話をした。
「こんなでも、夏は野球部に混じって練習したり応援団長やったりしてたんだよ」
「知ってる。グラウンドでノックしてるの見た。文化祭の展示も見た」
「ええ、あの学ランランキングを……?恥ずかしい」
彼は耳まで真っ赤にしながら、心底恥ずかしそうに顔を隠した。ああ、いつもの浜田だ。去年と全然変わっていない。あの噂は、きっと体格もよく見た目も派手だった彼に付いた根も葉もないものだ。明日学校に行ったら皆にちゃんと訂正しておこう。彼は昔と変わらず喋ってくれるけれど、あのとき遠巻きにしてしまった中にはわたしも入っている。罪悪感がちくりと胸を刺した。
部屋もだいぶ暖まってきたようだ。こんな中身ではコートを脱げないと思っていたけれど、汗のにおいも気になり結局脱いでしまった。そのうちこたつも暑くなってきて、すぐ後ろはベッドだったから、体重を後ろに預け体育座りをするように足を引っ張りだした。とうとう全身のパジャマ姿をお披露目だ。今どきの女子高生はこんなの着てんのかと、まるでおじさんのようなことを言う彼に警戒心のひとつもわかず、いつの間にか並べてあったジュースやお菓子をつまんだ。結構もてなされている気がする。体を傾けてベッドの縁に頬杖をつきテレビを眺めていたのが、次第にまぶたが重くなり、顔半分が布団に埋まり始めていた。
「眠そうなー」
「うん……」
「寝てくか」
彼がどんな意味を込めて言ったのか、4文字だけでは読み取れない。まあ冗談なんだろう。曖昧な相づちを返して、さすがに寝るのはまずいという意識はあったから、重いまぶたをなんとかこじ開けようとしていた。
「大丈夫か」
「……ごめん、今起きる……」
「薬盛ったからね」
突然トーンの変わった声に、ぞくりと背中に何かが走った。いつの間にか彼の顔は目の前にある。馬鹿なわたしは物理的に迫られてようやく、どんな状況にいたのかを思い知ったのだ。そのまま脇の下を持ち上げられ、子どもをあやすかのようにベッドに押し倒される。彼の長い金髪がさらさらと頬を撫でていた。
「オレには気をつけろって言われなかった?」
「な……」
「はは、そうでしょ。オレだって言うわ、こんな胡散臭いやつ」
嘘をつく余裕などなかった。彼の力、言葉、表情全てに圧倒されて、今ここでわたしが何かを主張することなど、許されないと思った。彼の息づかいを、祈る心地で聞いていた。噂のままになると思った。しかし彼はベッドから下りると、背中に腕を差し込み柔らかくわたしを抱き起こす。そしてハンガーに掛けてくれていたコートを投げつけ、背中を向けた。
「わかったら帰んな」
「……やだ」
「なんで」
「薬効いて動けないの」
「嘘だよ。そんな犯罪じみたことまでしないわ」
お前にもそこまでやる奴だと思われてんのかと、彼は自嘲気味に笑う。自分で言っておいてそれはずるい。気がつけばドラマはバラエティ番組になっていて、場違いな笑い声だけが響いていた。帰れと促す割に、わたしには触れてこようとしないし、その背中はあまりにも頼りなく小さい。こんなの、置いて帰れるわけがない。わたしはコートを彼に投げ返した。
「帰らない」
「……強情だな」
「どっちが。わたしが浜田をすきな可能性とか、1ミリも考えないわけ」
本当はコートじゃなくて、わたしが抱きつきたかった。未遂で終わらせて、あんな寂しい背中を見せて、一体彼は何をしたかったのか。男の家に行くことへの注意喚起か。でもひとつの行為もないなら、彼のメリットなんて見つからないのだ。彼の言葉を思い返すと、男の家というより、彼自身への注意喚起にも聞こえる。こんな噂どおりの最低男には関わるなとでも、言いたいのだろうか。結局のところ、呆気にとられたような顔に一切を思い知らされて、心底腹が立った。
「久しぶりに会えたと思ったら、なんでそんなヤケになってるの」
「は……」
「そりゃあね、浜田の見てくれだけ見たら何とでも言えるよ。でも、違うじゃん。それでいいじゃん。優しさのつもりなの。なめんな……」
あふれ出る涙が頬をつたって服を汚すのも気にせず、わたしは馬鹿みたいに泣いた。一人暮らしの男の家についていくと決めた時点でたいがい馬鹿な女なのだから、大目に見てほしい。急にオロオロとしだした彼は、ティッシュを何枚か取ってわたしの目に押しつけてくる。緊張なのか知らないけれど、見当外れに押さえてくるから面白くて、泣きながら笑った。
「やっぱり優しいね」
「……何言ってんだ。つけあがんだろ。やめろよ」
「ずっとすきだったの。優しいついでにすきでいさせて」
不安に揺れ動くその瞳が、どう足掻いてもいとおしいとしか思えない。金髪を抱き寄せて、背中に手を回した。わたしよりずっと広くてたくましい背中だ。意外にもされるがままだった彼からそっと体を離し、不意打ちでキスを奪う。ここで得意げな顔をしたのがよくなかったのだろう。数分前と同じ要領でベッドに押し倒されて、拭われたばかりの肌に、彼のくちびるが何度も確かめるように重ねられる。薄いくちびるだ。きっとわたしが火をつけた。このままことが運べば、噂を事実にしてしまったとふたりして頭を抱えることになるのには、まだ気づかない振りをしておこう。
20161219 title:六区
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