※大学生設定

月曜日の1限なんて、学生も教授もきついんだから無くせばいいのに。もういっそ月曜日を無くせばいいのに。なんてどうしようもないことを考えながら、今年の夏も汗ばむ陽気のなか自転車で駆け上がる。こんな山の上に校舎を建ててくれた創立者には端的に言って恨みしかない。頑張って漕いだところで誰も褒めてくれないけれど、進級がかかる中出席率5割を切るのはさすがにまずいのだ。化粧もそこそこになんとか間に合ったものの、わたしが座ってもなお空いている席がある。もう来ないと踏まれて荷物が置いてあるくらいだ。確か先週もこうだった。

「お、来た。今日は起きれたんだね。顔薄いけど」
「おはよ、とりあえず下地だけ。鈴木は?」
「特に聞いてない」
「絶対寝坊だよあいつー」

鈴木というのは斜め前の席の主で、入学時からの1限出席率ワースト仲間だ。野球サークルに所属していて、日曜に練習や試合があるからか、月曜日の目撃証言はめったにない。そのくせ月曜の講義を取りテスト前に泣きついてくるんだから、本当に仕方がない。でもまあ、そのテスト勉強で距離が縮まったのはあるから、わたしもたいがい仕方がない。そんな彼に告白されこの間から付き合い始めたものの、何の変化もないまま交際歴だけが延びている。友だち期間が長すぎて、何から始めたらいいのかわからないのだ。

講義も後半に差し掛かるころ、机の上に置いていたスマートフォンの画面がパッと点いた。ポップアップの『会いたい』の文字に、眠気なんて屋根まで飛んでこわれて消えた。発信源はもちろん斜め前にいるはずのあいつだ。隣の友人にも画面を見られ、にやけまじりに返事をしろと急かされる。完全に面白がっている。彼の押すしゃべるスタンプに触れないようにしながら、文字を打ち込んでいった。

『講義中。どうしたの』
『たぶん熱ある。動けない。昨日高校の部活顔出して水浴びした』
『なぜ。ご飯と薬は飲んだの?』
『飲んでない。てか無い』
『終わったら行く』
『ごめん。家わかるっけ』
『大丈夫。ちゃんと寝とけばか』

水を浴びて風邪をひくなんて、一体どこの小学生だ。講義終了と同時に友人の冷やかしを背中に受けつつ、上ったばかりの坂道を下っていく。彼の好きな銘柄のゼリーは、下りた先のコンビニでしか手に入らないのだ。友だち期間の長さはこんなときには役に立つ。今時体温計も売っているのかと感心しながら、思いつくだけの看病グッズをかごに詰め込んで、わたしはまた駆け上がった。

裏門からすぐのところにある彼のアパートは丁度いい溜まり場だった。テストの打ち上げやら誰かの猫の誕生日やら、適当に理由をつけては毎週のように集まっていた。缶チューハイを回し飲みしたこともあればこたつに入って隣で眠ったこともある。しかしひとりで来るのは初めてだ。緊張を隠せないままチャイムを鳴らしたけれど、何の音沙汰もない。一瞬焦っても、玄関先に掛かる年季の入った傘は間違いなく彼のものだ。元気と物持ちの良さだけが取り柄なのに、後者だけじゃ彼らしさに欠ける。まずはいち友人として元気になってもらいたいのだと、なんとか緊張を奥底にしまいこんだ。しばらくしてようやく、咳払いと共にドアが開いた。

「大丈夫?じゃないね」
「ごめんなあ……わ」
「ちょ、ちゃんと立ってよ。ベッドまで連れてくから」

額に冷却シートを貼った彼は思った以上に弱っていて、なんというか、母性をくすぐられる感じだった。ドアを開けただけの勢いでわたしの肩にもたれかかってくる。室内の温度も首筋に触れる息も、Tシャツ越しの背中も何もかもが熱い。連れて行くのに必死で、体格の大きさだとか割と筋肉質な体には、着替えさせるまで気が付かなかった。買ってきた体温計を脇に挟んだらレトルトのおかゆを温める。お酒しか入っていない冷蔵庫に頭を抱え、具合がよくなったらお説教をするべきか手料理を作るべきか思いあぐねた。

「わ、38.2度。病院行く?」
「ええ、そんな数字初めて出した……とりあえず今日は寝とく」
「そか」
「明日も下がんなかったら行こうかな……」
「それは明日も来なくちゃいけないってことね?」
「んー……泊まってもいいけど」
「ばか言わないで」

台所を引っかき回し見つけたマグカップにおかゆをよそい、息で冷ましながら彼の口に運ぶ。この家にはろくな食器も無いのだ。カップ麺とコンビニ弁当で生きている彼は洗い物すら出来なさそうだ。

「うま……生き返るね」
「お茶碗くらい無いの」
「使わねーもん……あ、じゃあ誕生日にちょうだい。おそろいにしてさ、ふたりぶん置いといていいから」

たった一言で誕生日の示唆とプレゼントの催促と手料理の提案をしてくるとは、なかなか巧妙な技を使ってくる。こんな断りにくい状況で、頷く以外の選択肢などあるわけがない。きっと今なら何をしても許されると思っている。熱くもないゼリーをわたしに食べさせたと思ったら薬まで要求してくるのだ。やっちゃうわたしも悪いのだけれど。病人根性凄まじい彼をようやく布団のなかに押し込めキッチンを片付けていると、蚊の鳴くような声で名前を呼ばれた。

「はいはいどうしたの」
「もう行くの……」
「3限あるもん。ちゃんと治してね」

見るからに心細そうな表情に後ろ髪を引かれる思いはあるけれど、背に腹は代えられない。肌に貼りついた髪の毛をはがす振りをしてそっと頭を撫でた。この唐突に沸き立つ母性はどうにかならないものなのか。彼女にもなれていないのにもう子持ちだなんて、損している気しかしない。彼は額をさまようわたしの袖をつかみ布団のなかへ引き込むと、心臓のあたりでぎゅっと抱きしめた。幼稚園児か。よく子どもは体温が高いと言うけれど、この逆は真だったっけ。いつか勉強した形式論理学の内容は、右から左へと抜けていった。引っ張られているぶんわたしの体も押し付けられて、彼の体温と心音がダイレクトに伝わってくる。さすがに恥ずかしくなって振りほどこうにも、弱々しいながらも力を込められると、やりにくいことこの上ない。こんなときくらい甘えさせてよとのぼせた顔で囁いてくるのは、反則ではなかろうか。

「……ちゅーしてくれたら、治るかも……」
「えっ」
「……なーんて」
「……それで治るならやるけど」
「えっ」
「言った本人がびっくりしないで」

頭なんか回っていないくせに、口はうつしちゃうとだめだからほっぺたね?なんて変に気遣ってくるところが憎たらしい。目を閉じる彼の頬に唇を落とせば、彼の風邪なんか見る間にうつって、負けないくらいの赤ら顔になってしまった。背に代わったおなかも柔らかく、赤ちゃんを寝かしつけるようにとんとんとしてみたが最後、眠気までうつってくる。あーあ、離れたくないな。もうこの際、一緒に寝込んでしまおうか。

20160822 title:花洩
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