駅までの道にある男子高の前を歩き続けて8年目。高校大学と同じ方向の電車に乗っていたわたしは、就職してからもそれに乗ってしまい遅刻しかけたことが今月3回あった。特に知り合いがいるわけでもなく、野球部が夏の大会で勝ち残っているとちょっと嬉しいくらいの関係しかないけれど、ここ数年はそれも見かけなくなった気がする。それでも、毎朝響くかけ声や金属音を聞いていると、わたしも頑張ろうという気持ちになれるのだ。

学校に通っていたころから、帰りが少し遅くなると高校生の集団とすれ違う。結構な大所帯で何かの部活帰りだと思うけれど、ガタイのいい男の集団が向かってくるというのはいかんせん身構えてしまい、うつむきながら歩道の隅っこを歩くのがやっとだった。残業が続いていたある日、いつもは学校近くの大通りですれ違う彼らと駅の階段で鉢合わせ、帰宅時間が遅いことを思い知らされる。上ってくる彼らを避けるように端に寄り、向こうも意識している様子はあるものの、日も落ちて肩にかけたエナメルバッグまではお互い気がつかなかった。後方にいた男の子のバッグが当たり、思わずよろける。すぐに手すりを掴んだから転びはしなかったけれど、かかとから外れたパンプスが音を立て落ちていってしまった。小さくすみません、という声は聞こえたし、ケガもしてないしどうせ下りるしと思い会釈をして立ち去るつもりだった。ストッキング越しのアスファルトはまだ熱い。ガラスやタバコが落ちていないことを祈り、一段下の階段を踏みしめた。

「ここにいてください。取ってきます」
「あ、大丈夫ですよ」
「そんな足で歩いてもらうわけにいかないんで」

ぱたぱたと下りてきた男の子が、友人にバッグを預けると駆け足で拾いに行ってくれた。そのままひざまづいて靴を差し出してくるものだから、TPOも弁えずお姫さまみたいだと思えてきてなんだか照れる。キリッとした瞳が印象のなかなかかっこいい男の子で、そんな彼に就活越しのくたびれたパンプスを持たせてしまったことも、さらに頬の赤みを煽った。

「す、すみません矢野さん」
「オレじゃなくてお姉さんに謝れ」
「すみませんお姉さん!」

職場では年上の人しかいない環境で「お姉さん」という単語はちょっと気恥ずかしいものがある。矢野さん、と呼ばれた子はぶつかった子の隣に立ち、まるで父親のように一緒に頭を下げてくれた。

「広がって歩くなってずっと言ってんだろ!今も手すりがなかったら転んでたかもわかんねえんだぞ。靴だって拾いに行かせるやつがあるか!人様に迷惑かけんな!」
「ほ、本当にすみませんでした」
「ま、まあわたしも不注意だったと思うし、お互いさまってことで、ね?」

矢野さん、の剣幕に肩を縮める彼は新入生だろうか。どうしても自分と被ってしまい助け舟を出した。まだ駅前は賑わう中、わたしたちは大分注目を集めてしまっていた。それに気がついたのか彼らはもう一度頭を下げ、駅の中へと歩いて行った。今時しっかりした高校生もいるものだと関心しながら、新しい靴を買おうと思った。



▽▽▽



新入社員歓迎ムードは終わりを告げ、上司にこき使われる毎日だ。今日は上司のミスで残業することになって、あげくそれを押しつけて帰られたものだから、わたしは怒り心頭だった。駅の階段を下りた先にあるコンビニで缶ビールを本能のままカゴに突っ込み、今夜はヤケ酒だと息巻いていた。

「お姉さん」
「あ……矢野、くん?」
「覚えててくれたんですか」
「ふふ、なんか耳に残っちゃって」

眉間にしわを寄せながら振り向いた先には、いつかの先輩高校生がいた。とっさに名前が出てきた自分を褒め称える前に、顔は崩さなくても声が明らむ彼が、単純にかわいらしいと思った。

「最近スーツですよね。就活ですか?」
「ううん、社会人1年目」
「そうなんですね。前は私服だったから……あ、違くて、オレ今3年なんですけど、2年もすれ違ってると顔覚えちゃうというか、本当それだけなんですすみません」

靴は新調したもののスーツまでは余裕がなく、リクルートスーツを着続けているわたしは確かに就活生にしか見えない。焦りながら弁解する彼が面白くて笑みがこぼれるけれど、ふととんでもないことを言われたような気がした。2年間も、すれ違うだけのわたしを認識していてくれたということだろうか。いやいや、高校生の言うことを深読みなんてしてやるもんか。きっと、たまに見かける近所の人くらいの感覚だと言い聞かせ、床のエナメルバッグに目をやる。あのときは暗くて見えなかったけれど、野球部と刺繍されているのを見つけ、わたしまで声が明らんでしまった。

「矢野くん野球部だったんだ!」
「そうです」
「わたし毎年応援してるよ!もうすぐ県予選でしょ、がんばってね」

当たり障りのない会話をして、レジへ行こうと試みる。けれども彼は動かない。戸惑いながら見上げると、カゴに目をやりながら苦笑していた。たぶん小馬鹿にされているんだろうけれど、不思議と嫌味はなくむしろ色っぽくて、どきりとした。

「……その量、何人分ですか」
「ひとりです」
「彼氏いないんですか」
「いないよ。実家暮らしだし」
「お酒は強いんですか」
「そうでもないけど、飲まなきゃやってらんないもん」
「無茶はしないでくださいね」

5歳も下の高校生にお酒の量を指摘され、おまけに心配までされるなんて年上の威厳も何もない。勢いのままカゴに突っ込んだけれど明日も仕事だと思い直したわたしは、すごすごとそれを棚に戻した。隣で手伝ってくれていた彼が最後の缶を手に取り、これも戻されちゃうかなと思っていると、ペットボトルのサイダーを持ってきて缶と一緒にカゴにいれてきた。

「わかった、奢るよ」
「違うんです。……あの、オレでよかったら話、聞きます」
「何言ってるの。遅くなったら親御さん心配するでしょう」
「いつも部活もっと遅いので平気です」
「明日朝練はないの?起きられる?」
「大丈夫です」
「補導されちゃうよ」
「だからっ、その時間まで、なんですけど……」
「宿題は?」
「ガキ扱いしないでください」

わたしの努力もむなしく彼は譲らない。仕方がないからお会計を済ませ、近くの公園のベンチに並んで座った。外で飲むビールはなんだか清々しい。彼も聞き上手で、わたしばかりが喋っていたからかそれとも残業の疲れか、いつもより酔いが回るのが早かった。缶ビール1缶でこうなるとは思っておらず、なんの予防線も張っていなかったわたしは何気なく彼の肩にもたれかかってしまう。慌てて離れようとすると、そのままでいいですなんて言ってくるものだから、もう今日は甘えてしまおうと覚悟を決めた。

「……そろそろ帰んなきゃね」
「……そうですね」
「ほら行くよ!宿題宿題、あと朝練」
「自分が立ててないじゃないですか……」
「あはは、ごめんね頼りないお姉さんで」
「……オレ年下ですけど。頼ってもらえるようがんばるので、また会ってくれますか」

彼は酔った相手を介抱するなんて経験どころか、見たこともないだろう高校生だ。そんな彼にこんなことまで言わせてしまって、照れや嬉しいという感情を通り越しいたたまれなくなる。この頼りないお姉さんを、綺麗な星空はどこまで許してくれるだろうか。とりあえず、頷くまではいいかな。


20160621 title:魔女
Thank you for 4th anniversary!

和葉さまへ
「17歳とアンドロメダ」というタイトルで書かせていただきました。和葉さまがリクエスト当時社会人1年目だということで、恐れ多くもその設定にさせていただきました。ヤノジュンは年上キラーだと思います(偏見)リクエストありがとうございました!これからもよろしくお願いいたします。
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