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彼からの着信やメールは、委員会活動を盾に何の返事もしなかった。声をかけてくれてもわたしは素っ気ない態度をとり、まともな会話すらしないまま、文化祭1日目を迎えた。何事もなく終わり片付けをしながらそういえば、野球部を見かけなかったことに気づいた。さりげなく近くにいた委員に聞いてみると、他校との練習試合があり留守にしていたようだ。明日はいるのか、それすら知らない。もしかしたら連絡をくれているのかも知れないけれど、養分を与えられ続けた反抗心は思ったより育っており、意地でもメールを開かなかった。忙しさの片隅で、ずっと別れの言葉を考えていた。

2日目の朝も気持ちのいい天気になり、決行を知らせる花火の音を寝ぼけ眼で聞いていた。わたしにとっての本番は今日だ。午後からカップルコンテストが始まり、後夜祭まで出ずっぱりというスケジュールにほっとする。彼のことを考える暇もなさそうだ。そんな強がりを思っても、考えてしまうのが乙女の性というものか。お昼ごはんを求めふらりと出かけた廊下の向こうに、クラスメートの男子たちに紛れる彼を見つけてしまう。あの子じゃなかっただけマシだと思い込み、くるりと背を向けた。多忙の副委員長に、感傷に浸る暇はないのだ。誘われていためぐのクラスに足を運ぶと、店員は制服や部活のユニフォームを着ている。ハイスクールカフェと銘打たれた看板の向こうで、彼女はきっちりアイロンのかかったブラウスに黒のタイトスカートをはき、メガネをかけていた。コンセプトは英語教師らしい。濃いめのメイクと高めのパンプスを合わせれば、ひとまわりサバを読んでもバレないと思えるくらいだ。

「すごい似合ってるよ!with Bはどこ?」
「いません!まあありがと。ご注文は?」
「あ、これ何?スポドリ飲み比べセット?」
「各部のマネージャーに聞いて作ったの。使ってる粉とか濃さとか違うから面白いよ。まあ一番美味しいのはバスケ部だけど!」
「あはは、じゃあひとつください」

格好に似合わず、お盆で胸元を隠しながら恥ずかしがる彼女は、それはそれで目を惹くものがあった。ふと室内を見渡すと、隙間から様子を伺う花井くんと目が合った。with Bの第一候補であろう彼は、今日一日落ち着かないんだろうな。緩む頬を隠せないまま会釈をすると、何かを決心したかのような顔で頷かれた。

注ぐだけだったのか、注文はすぐに届いた。野球部、サッカー部などと書かれた紙コップに注がれたそれは、見た目から透明だったり黄色だったりして確かに面白い。順々に飲み干していき、最後に野球部のコップを手に取る。わたしの知らないあの子の味が、喉に貼りついてはがれなかった。

小腹を満たし実行本部に戻れば皆忙しなく動いている。司会としての出番を目前に控え、いよいよからだの節々が固くなってきた。実行委員でお揃いのはっぴの紐をきつく締める。男女兼用フリーサイズで発注したそれはだいぶ大きく、半袖Tシャツとショートパンツをすっぽり覆ってしまった。ワンピースのような着こなしを笑われながら、出場者も一緒に最後の確認をしていた。ところが4組のうち1組が、集合時間を過ぎても現れなかった。彼氏彼女どちらとも連絡がつかない。わたしが本部を離れるわけにもいかず、ふたりと同じクラスの委員に探しに行ってもらうことにした。嫌な予感しかない。しばらくして、顔色を悪くした彼氏だけが現れた。

「すみません、合わせる顔がなくて……」
「どうしたの」
「今朝、別れちゃいました」

思ったとおりの展開に、頭を抱える。4組いないと成立しないプログラムもあるのだ。ここまで一生懸命準備してきたのを、こんな形でぶち壊されるなんて冗談じゃない。彼になんとか今だけよりを戻してくれないかとお願いしたけれど、首を縦に振ってはくれなかった。代理を立てようにも、急に引き受けてくれるカップルなんて見つからない。開始まで20分を切っている。いっそもう委員の男子に女装させて、ネタ枠として出そうかという話まで持ち上がっていた。

「あ、深田さんの彼氏は?」

頭の上に電球をポンと出して、委員長がとんでもないことを言い出した。突如集まった視線に面食らい、慌てて首を振る。委員長はわたしの前に来ると、わたしの否定を更に否定するように、仰々しく首を振った。

「司会はひとりでなんとかする!何も知らないひとがいきなり出るよりはよくない?」
「や、野球部なので、今日いないかも」
「栄口だよね?さっき見たよ」
「いやーでも今立て込んでるというか、来てくれないと思っ」
「聞くだけ聞いてみようよ。ちょっとおまえら探してきて」
「はい!」

わたしの意見になど耳も貸さず、彼の顔を知る委員たちが勢いよく飛び出して行く。彼が見つからなかったときの保険として、後輩の男子にも女装させることにした。今いる中で一番細身のかわいらしい子を選抜しただけあって、なかなかの出来である。この子でいいよ。どうか見つかりませんように。冷や汗を隠しつつ祈っていた最中、不安げな顔をした彼が、ドアの向こうから顔を覗かせた。

「栄口捕まえてきました!」
「……何か困りごと?」
「あ、うん……そうだね」
「オレにできることなら協力するけど」

何をすればいいの?と彼は続ける。どうやら彼を捕まえてきた委員は、内容は伏せわたしが困っているとだけ言い連れてきたらしい。コンテスト出場者の代理だと伝えると、目をぱちくりさせながら固まってしまった。当然だ。既に気持ちの無い相手とこんな目立つことをするなんて、デメリットしかない。彼が拒否すれば、委員長たちもこれ以上言ってこないだろう。刻々と迫る時間を前に、わたしは彼の返事を待たず後輩の髪を編んでいた。

「……いいよ。出るよ」
「え?!な、なんで」
「ありがとう栄口くん!これ流れだから目を通しておいてね」

オレは御役御免っすね!と女物の服を脱ぎ散らかす後輩を尻目に、彼は委員長が差し出した冊子をすらすらと読み進めて行く。彼の意図が全くわからない。彼はわたしの彼氏である以前に「いいひと」でもあるから、困っているひとを助けているくらいの感覚なんだろうか。時間はすぐにやってきて、ステージの横で一列に並ぶ。本当は司会者として先頭で出ていくはずだったのに、まさか4組目として出ることになるとは、思ってもみなかった。参加カップルは手を繋いで入場する。これを決めたのはわたしだ。前のカップルを見てだろう、彼がそっと出した手の、指先だけを握り返した。

上から見渡した観客席はほとんど埋まっている。一応目玉企画だったし、今日は一般の参加者もいるからある程度集まる予想はしていた。企画をすすめた身としては感極まるものだけれど、即席の代役としてはもう、勘弁してほしいくらいの賑わいだ。最前列には司会をするから見に来てと誘っためぐや友人たちも見つけた。手を振り返しながら、狐につままれたような顔の彼女たちに、よくわかるよと頷きたい。状況を未だ把握できていないわたしたちを置いて、委員長の司会による出場者紹介が始まった。

「……そして、エントリーナンバー4!実は出場するはずだったペアが今朝破局し、急遽うちの副委員長カップルに出てもらうことになりました!引き受けてくれた彼氏くんありがとー!そんな男前の名前は栄口!アンド副委員長深田ペア!」

どこで練習していたのか、流暢なトークで会場を沸かせる委員長に彼も笑っている。他のペア同様お辞儀をし軽く手を振るけれど、あまりにも性に合わなくてもう逃げてしまいたい。だいたい今朝破局だなんて、全く人ごとではないのだ。破局したカップルの代理が文化祭後すぐ破局したら、来年以降の運営にケチがついてしまわないだろうか。まだまだ仕事脳のわたしはあの子たちにどうお灸を据えてやろうかと考えながら、促されるままステージの半分で男女に分かれ席に着いた。

「まずは、相手のことをどれだけ知ってるかクエスチョン!」

全員にホワイトボードとマジックが手渡される。質問に対して、カップルで回答が一致すれば得点になるというものだ。1問目は「彼女のすきな食べ物は?」だ。この場合、彼氏は彼女のすきな食べ物を、彼女は自分のすきな食べ物をボードに書く。最初は導入ということで、出場者には何を聞くか事前に伝えていた。全ペア正解して盛り上げる流れだったけれど、困ったことに彼は知らない。しくじったと思いながらも、どうしようもないから乱雑に筆を走らせた。

「では回答オープン!……おお、これはどのペアも合ってますねー!簡単すぎたかなー?」
「……えっ」

ハッとして横を見ると、わたしと同じ「みかん」の文字が彼のボードにも書いてある。男の子にしては整った、綺麗な字だ。視線に気づいた彼が小さくピースサインをするから、わたしは咄嗟に目をそらす。ここで喜んじゃダメなんだ。嬉しくなればなるほど、後で惨めさが増すだけのシステムを、奥歯を噛み締めて恨んでいた。

その後もコンテストは順調に進み、最終プログラムを残してわたしたちは2位につけていた。いろいろ思うことはあったけれど、最優先事項はコンテストを成功させることだから、全部押し殺して取り組んだ成果だ。観衆のほとんどは、彼とわたしが破局寸前なんて思ってもいない。このまま何事もなく時間が過ぎて、普通に他のペアが優勝して、明日になったら、別れよう。暫定トップのペアも、羨んでしまうくらい仲が良く幸せいっぱいのふたりだ。ありがたいことに勝ち目はなさそうだ。

最後は、彼氏から彼女に向けてのメッセージとなっている。他のペアは手紙を準備していて、順々に読み上げていく。一番の懸念はここだった。彼のことだからうまいことやってくれるとは思うけれど、それを聞かされるわたしの身にもなってほしい。

「深田へ。今日は突然でびっくりしました」

もうわたしに気持ちなんかないだろうに、空気を読んでくれた彼は、今までの思い出を美しく言葉にしていく。はたから見れば、涙腺が緩む愛のメッセージだ。これが即興的な嘘っぱちの文章で、もう全部終わりなんだと思うと悲しくていたたまれない。こんな最後、大人になっても引きずる。

「……と、あたかも順調なカップルのように言ったけど、実は彼女を怒らせてます」
「……え」
「日曜日は、ごめん」

彼はきっかり直角のお辞儀をわたしに向ける。動揺のあまりキョロキョロと見回すと、委員長がマイクを手渡してきた。気を利かせたつもりか。そんなことをされたら、話さなくちゃいけなくなるじゃないか。会場の静けさが痛い。しかしここで空気を読んだら、前と同じだ。もう大人はやめたのだ。自分勝手な子どもになって、いちばんの感情を探した結果、わたしがどれだけ傷ついたのか、思い知ってほしいというのが真っ先に浮かび上がっていた。

「……そうだよ。待ってたんだよ」
「ごめん」
「付き合って1年の記念日だから一緒に過ごしたかっただけなのに、あんまりじゃないですか」
「……その件で、確認したいことがあります」
「……何でしょう」
「深雪の言ってる記念日ってのは、オレが告白した日だよね?オレはその1週間後の、深雪から返事をもらった日がそうだと思ってて」

はっとして考えを巡らせる。確かに覚えていた日付は、水谷に振られたあと、勇人に告白された日だ。わたしが返事をしたのはそれから1週間経っている。水谷がいい返事をしてくれたら記念日になったかもしれないけれど、確実に彼との記念日では、ない。

「かっ、会場の皆さんに聞きましょう!この場合の記念日はどっち?彼氏が告白した日なら赤、返事をもらった日なら青のボードをあげてください!」

委員長が前のプログラムで使ったボードを有効活用して、この場合の正解を聞いてくれた。わたしだってもうわかっている。ぱらぱらと上がっていく色を見るまでもない。わたしの早とちりでこんな大事にしてしまった。一面の青をバックに、しきりに頭を下げるしかなかった。

「本当はサプライズにしたかったけど、これ以上不安にさせられないから、言うね。その1週間後に向けて、連れて行きたい場所を下見してたんだ。同じ曜日の同じ時間に行ってさ、混雑具合とか気温とか確認したかった。そうしたらマネージャーに買いたい備品があるって言われて、ちょうど方向が同じだったから一緒に行った。二人乗りは弁解できません。ごめん」

彼はきちんと記念日を覚えていた。水谷の予想通り、サプライズを用意してくれていたのだ。その計画を、わたし自身が台無しにしたという結末に目眩がして、全身の力が抜け落ちる。勝手に勘違いして、勝手にむつけて。彼にしてきた仕打ちを鑑みると、どうお詫びすればいいのかわからない。盛り上がるステージの上でひとり途方にくれていた。

「……あれから1週間後っていうと?」
「……っ、今日?」
「正解」
「今日で、1年……?」
「うん。1年間ありがとう。これからもよろしくお願いします」

くずおれていたわたしを、澄んだ瞳が覗き込んでくる。彼はわたしの顔に溢れる涙を拭いながら、小さな子をあやすように頭を撫でてくれた。彼はずっと、本当のことしか言っていなかった。ステージ上では、このプログラムの1位を観客の拍手の大きさで決め、そのままグランプリの発表へと進んでいた。何が何だかわからないまま、実行委員の女の子に立ち上がらせてもらい、勇人とふたり並ぶ。破顔の委員長から彼には本日の主役と書かれたたすき、わたしにはティアラが取り付けられた。いつの間にかカップルコンテストは、大歓声のなか幕を閉じていた。

潤む世界からまだ抜け出せず、彼の肩を借りながらステージを降りた。裏に控えていた委員たちからも拍手で迎えられ、やっと実感が湧いてくる。

「皆で考えたんだけど、深田さんこのあとフリーでいいよ」
「えっ」
「グランプリに仕事させるほど野暮じゃないよ」
「ずっと頑張ってくれてたしさ。オレが邪魔した日もあったし……」
「あ、1年4組のときですね」
「なんだよ根に持ってんじゃん!こっちの仕事はなんとかするから、ふたりで記念日楽しんでおいで」

今までの頼りなさはなんだったのかと思うくらい、先輩は委員長っぷりを発揮する。もっと早く目覚めてくれればよかったのに。周りの委員たちも賛同してくれて、お言葉に甘えさせてもらうことにした。早速はっぴを脱ごうとしたけれど、結び目を固くしすぎたようでうまくほどけない。苦労するわたしの手を止め、こういうの得意だからと勇人がほどきにかかってくれた。彼の体温も伝わる距離で、中の服をすっかり覆っていたそれを脱がされるというのは、字面以上に恥ずかしいものがある。ようやくほどけて畳むとき、ポケットに入れていたお花のバレッタに彼が気づいた。

「あ、後夜祭は戻ってきてね!キャンプストームの点火あるから!」
「はい!」

委員長たちに見送られながら、手を繋いでお祭りの喧騒に紛れ込む。少し歩いたところで思いついて、彼にバレッタを留めてとお願いした。頭上には冠が載っているから、ハーフアップにした毛束に留めてもらった。当事者だから、頭にお花を咲かせても文句を言われる筋合いはない。実を言うとティアラより、これを見せびらかしたい気分なのだ。記念日はまだ終わらない。今日だけは誰に誘われても断って、彼のとなりで過ごすことをそっと心に決めた。

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