39

当日は水谷に終わる時間を教えてもらい、昇降口で待ち伏せていた。こんな時間に登校するなんて変な気分だ。服装だって、制服ではなくよそ行き仕様だ。手提げの紙袋には昼間焼いたパウンドケーキと、手紙が入っている。彼は喜んでくれるかな。これからのことに胸が弾んで仕方なかった。

休日だというのに意外にも生徒が多い。野球部はもちろん他の部活のひとたちも見送ったけれど、目的の彼はまだ来ない。先に現れたのは協力者の方だった。

「水谷、おつかれさま」
「おつかれ!栄口ならもう来るよ」
「あはは、皆そう言ってくれるね」
「だって休日の学校でお洒落してプレゼントっぽい紙袋持って待ってるとか、完全に彼氏待ちじゃん!」
「そんなわかりやすい?恥ずかしい」
「いいじゃん、かわいいよ」

何ともない雑談で笑っていると、奥から駆けてくる足音が聞こえてきた。水谷は空気を読んで下駄箱の裏に隠れてくれる。大勢いた生徒たちもほとんどいなくなり、その足音だけが響いている。ようやく待ちわびた彼が姿を見せた。

「おつかれさま!」
「え?!どうしたの?」
「あ、突然ごめんね……?やっぱり一緒に帰るのできないかな、と思って」

喜んでくれると思っていたのに、彼の表情は曇ったままだ。わたしもどんどんしどろもどろになっていく。本当に先約があったのか。断られるよりはと思い、少しだけ時間をもらう方向に持っていくことにした。ここまで来たからには、やすやす引き下がれない。紙袋は背中に隠した。

「5分だけでいいよ、だめかな」
「えーっと……どうしても今日じゃないといけない用事があるんだ。ごめん急いでる」
「え、あ、そっか」
「本当ごめんね。後で電話するから」

彼は小走りで階段を降りていった。わたしだって今日じゃなきゃだめだなんて、わがままを言う猶予すらなかった。彼が駆け込んだ駐輪場には屋根がついていて、ここからは見えない。すぐに出てきたけれどその荷台には女の子が座っていて、彼の腰に腕を回している。ふたりはそのまま校門をくぐり、見えなくなった。女の子が誰なのかはもうわかりきっている。下駄箱の影から顔を出した水谷と一緒に、ふたりが消えた方向を見つめていた。

「……えりかちゃん」
「……そう、だね」
「……え、なんでだろ。わかんない……」

腰が抜けた。本当にするすると力が抜けて、その場にへたり込んだ。次第に状況が飲み込めてくる。彼女は勇人が来る前に昇降口で見かけた。わたしに気づくとぺこりと頭を下げ、顔と名前が一致するだけの知り合いという体で通り過ぎていったのだ。明らかに彼氏待ちのわたしを見て何を思ったのかと考えると、あまりにも惨めだ。積もりに積もった不安が、ここぞとばかりに押し寄せて来る。

「しんどい」

理由は知らないけれど、彼がわたしより彼女を優先したのは事実だ。しかも、二人乗りときた。無意識にこぼれ落ちた言葉だったけれど、それは自分自身に言い聞かせるようで、間違いないと認めさせるようで、こみ上げる感情を抑えられなかった。ここで泣いたら、保証するとまで言ってくれた水谷への当てつけのようだ。そうではないと伝えたいのに、止まらない涙と嗚咽に拒まれる。立ち尽くしていた水谷が、そっと隣にしゃがみこんでくれた。なんだか、彼にはかっこ悪いところばかり見られている気がする。

「ほんと?しんどいの我慢する必要はないからね。何かあったら誰かに言いなよ。栄口でも、オレでも」

こんな社交辞令を真に受けて、彼の優しさに甘えて、わたしは泣き続けた。引き留めているのはわかっているけれど、先に帰ってなんて言えない。ひとりにしないでほしかった。彼は一言「待ってる」とだけ言い、すのこの上に腰を下ろした。体重で軋む音に安堵すれば、また涙が溢れてくる。こんなはずじゃなかった。もうすぐ終わる年に一度の記念日を、ただただ相手のいないまま消費していた。

どれぐらい経ったころだっただろうか。彼ではない誰かがわたしの名前を呼んだ。昔からよく聞いている声だ。めぐだ。

「深雪だよね?なんで泣いて……あんたがやったの」
「えっ」
「ち、違う、水谷は全然関係なくてっ」
「そうなの。栄口は?」

彼女は辺りを見渡すと、怪訝な顔をして言った。そうくると思った。皆わたしを見ると勇人を探すのだ。彼に置いていかれたなんて、とても情けなくて言えそうにない。彼女はひたすらに嗚咽を繰り返すわたしの背中をさすりながら、知ってる?と水谷に振った。こんな役目を押し付けてごめんね。心底気まずそうな彼の声に、消えて無くなりたい心地だった。

「あーっと……後輩マネジと、帰ってしまいまして」
「はあ?!なんで?」
「ごめん、オレもわからない」

ふたりが言い合うのを他人事のように聞いていた。もう潮時かな。最近会えてなかったし、いつも支えてくれる部活のマネージャーに心が動くのは当然の結果のように思われる。彼が言い出せないならわたしが言おう。ただそうなるにしても、文化祭が終わるまで待って欲しい。仕事に身が入らないだとか、周りに迷惑をかけるのは避けたいのだ。これからどうなるんだろう。クラスも修学旅行の班も同じだし、顔を合わせないわけにはいかない。まあ、そのときはそのときだ。今日はもう疲れた。めぐはわたしが落ち着くのを見計らって、もう遅いから帰ろうと立ち上がらせてくれた。ふたりとも自転車なのに、駅まで送ってくれると言う。心細さに追い立てられて、その言葉に甘えることにした。ふたりの間に挟まれて月の綺麗な空の下を歩く。時折こみあげてくるものをハンカチで押さえるのも、見て見ぬ振りをしてくれた。全然心の整理なんかつかないや。信号に差し掛かったとき、ずっと黙っていた水谷が、唐突に話し出した。

「……ごめんな。部員には全員聞いたけど、まさかえりかだとは思わなかったから、聞いてなかった」
「普通思わないって」
「何が保証するだよ。本当、余計なことしかしてない」
「励ましてもらったよ。それに同意して実行したのはわたし。元気出して」
「オレのせいだ」

こうなると彼は頑固だ。くちびるを噛みしめて、わたしよりも憤っている。何を言っても納得してくれない。どうしたものかと考えながら、ふと自転車のかごに入れてもらった紙袋が目に入った。

「……ふたりがよかったら、パウンドケーキ食べない?」
「え、オレ今めっちゃ腹減ってる」
「待って。栄口にあげるために作ったんでしょ」
「そうなんだけど、どうせ渡せないし自分で食べるのもむなしいからさ。食べてくれたら嬉しい」
「そういうことならいいけど……」
「よかった!」

ちょうどよく出くわしたバス停のベンチの上に取り出し、ラッピングをほどいていく。手紙は鞄にしまった。これでもかわいい箱と包装紙を買って、包み方も調べたりしたんだよ。ケーキも記念日だからと豪勢に、大きくしたんだ。一切れ渡すと、ふたりとも美味しいと言って食べてくれた。作るときに思い浮かべていた笑顔ではなかったけれど、それだけで大分救われた。3人でわいわい食べ歩いていれば、あっという間に駅に着いた。残りは水谷に持って帰ってもらうことにして、改札をくぐる。別に今生の別れでもなんでもないのに、見えなくなるまで見送ってくれるふたりがとても心強くて、視界が潤んだ。

帰宅後勇人から着信があったことに気づいたけれど、掛け直すことはしなかった。一応まだ付き合っているのだから、今日のことについて話を聞く権利はあると思う。それならきちんと顔を見て話したい。彼も察したのか、それ以上連絡がくることはなかった。



▽▽▽



翌日の朝、昇降口には野球部員の姿があった。数メートル先には靴箱を開ける勇人の姿もある。一体どんな顔を合わせればいいのかわからず、足がすくむ。立ち止まるわたしに、見ず知らずのひとが迷惑そうな顔をした。だめだ行かなきゃ。一歩踏み出したそのとき、わたしに向けられた軽快な声は水谷のものだった。

「おっはよう!」
「お、おはよう」
「ケーキありがとな!母さんにもあげたら超びっくりしてた!売れるわよ?って」
「あはは、ありがとう光栄です」
「そうそう、笑ってれば大丈夫」

彼の締まりのない笑顔につられて、わたしの口角もゆるむ。教室に着くころにはすっかり緊張もほぐれていた。じゃあねと言って別れた彼の後ろ姿がなんとなく名残惜しくて、目で追っていた。そうしたら振り向いた彼と視線がぶつかり、またふたりして笑った。ああわたし、水谷の笑顔がすきだ。

予鈴のチャイムで我に返る。こうしてばかりもいられない。あわてて深呼吸をしドアの取っ手に手をかけた。後ろのドアから入れば、自然と勇人のそばを通ることになる。席に着き授業の準備をしている彼に、努めて普通に声をかけた。

「おはよう」
「おはよ。昨日はごめん」
「大丈夫だよ、こっちこそ突然ごめんね」
「何か急ぎの用事だった?」
「ううん。たいしたことないんだ」

重い女だとは思われたくなくて、笑顔のまま当たり障りなく返す。大丈夫、ちゃんと笑えてる。

「なんか目腫れてない?」
「えっ、いや、そんなことないよ」
「……水谷の方が、頼れる?」

一瞬にして口の中の水分が飛び、心臓が大きく鳴り始めた。もともと隠し事の下手なわたしが、彼に敵わないのはよくわかっている。既にそんなことあるのはバレているし、たいしたことない、わけがないのも見抜かれているのかもしれない。これ以上嘘を重ねるのは自分の首を締めるだけだ。かといって、何と答えればいいのかもわからない。言葉を失ったわたしに、変なこと聞いてごめんと、彼はまたいつもの困り混じりの笑顔を見せる。辛うじて頷き、自分の席へと歩いた。足取りは接着剤を踏んだように重かった。

核心を突かれた。恐怖さえ感じた。あれだけ大泣きしておいて、当たり障りなくなんていうのが、土台無理な話だった。思い返せば、わたしたちは謝ってばかりだ。昨日と今日だけで何度謝罪を繰り返したのか、数える気にもなれない。お互いに遠慮して、自分の気持ちも伝えられないのだ。心配かけたくないだとか、大人の余裕に見えるだとか、波風立てたくないだとか。言い訳を並べて何もしなかっただけだ。一体わたしは何のために大人ぶっていたのだろう。そんなことすら、もうわからなくなっていた。

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