38
夏休みが終わればすぐ文化祭だ。来週末に控えたお祭り騒ぎを前に、学校全体が浮き足立っている。わたしはといえば、ステージ企画の準備はもちろん暗幕が足りないだの隣のクラスがうるさいだの色々なことで呼び止められて、もう足を落ち着かせる暇もない。自分のクラスには全然顔を出せていないけれど大丈夫かな。去年は大道具で、教室内のセッティングや装飾を担当していた。あのときの出来事は今でも鮮明に思い出せる。もう1年経つんだ。特に気にしていなかったけれど、1年記念日くらいお祝いしてもいいのかもしれない。そう思い立ったわたしは、一緒に昼食をとっていた勇人に提案してみることにした。
「日曜日空いてない?部活のあとでいいから」
「あー……ごめん、その日は先約があるや。土曜ならいいよ」
「できたら日曜がいいなあ……」
「あ、深田さんいた!」
もしかして、気づいていない。男のひとは記念日に無頓着だって、何かの雑誌で読んだのを思い出す。現に今まで何もしてこなかった。わたしから言うのも躊躇われて、どうしようかと考えていたところに、息を切らせて現れたのは委員長だ。数日前から風邪気味だと言って、仮眠をとったりもしていた委員長が、全力疾走でわたしを探していたなんてなんだか心苦しい。たぶんお昼も食べていないのだろう。委員長はテーブルに手をつき呼吸を整えると、申し訳なさそうに切り出してきた。
「昼休み中にごめん、1年4組の出し物で問題が出てきて」
「またあそこですか……」
「ちょっと来てもらえないかな?」
その数字を聞くだけでげんなりしてくる。よくわからないけれどクラス委員がやたら張り切っていて、無茶ばかり言ってくるのだ。あの強気な子たちを相手にするのに、委員長だけでは心もとない。第一委員長が奔走しているのに、副委員長がのんびり昼食をとるわけにもいかないだろう。承諾の返事をすると、委員長は彼氏くんもごめんねと軽い調子で言いながら去って行った。
「忙しそうだし、休みの日に会うのは文化祭終わってからにしよっか」
「あ、うん、そうだね。ごめんね」
「ううん。行ってらっしゃい」
お弁当の残りをかきこんで、デザートは彼にあげた。既に姿の見えない委員長を追いかけながら、わき腹がきりきりと痛んだ。少しでいいから会えないかな。あの日勇人が告白してくれたから、今の日常があるのだ。感謝とか好意とか、伝えたいことがたくさんある。つい急かされて同調してしまったけれど、頭の中はどうにか時間を作ることでいっぱいだった。
委員長と合流し例の張り切り委員となんとか話をつけ、帰路についていたら水谷に声をかけられた。どうやら若い子たちの支離滅裂な主張をなだめていたのを、目撃されていたようだ。苦笑しながら労ってくれる彼に、わたしもほっとさせられた。
「しぶとかったね!おつかれさん」
「ありがとう。まあ、やる気ないよりはいいよ……」
「若さが眩しい。オレらもあんなだったのかな」
通りがかった1年1組を眺めながら彼は呟いた。教室の作りなんてそう変わらないはずなのに、無性に懐かしい。昼下がりの太陽光が彼の肩越しに差し込んできて、思わず瞬く。周りの環境は月日の流れと共に目まぐるしく変わった。もちろん自分自身もだ。今のわたしには誰かに告白する度胸なんてもうないし、1年前のわたしなら彼の隣を歩いているだけで足が地につかないだろう。それでも、彼への想いは変わらない。ラブかライクかと言われるように、その向きは違うのかもしれないけれど、彼はわたしにとってずっとずっと眩しい存在だ。目を細めていたら、眉間のしわがすごいと笑われた。
「話変わるんだけど、次の日曜って部活の後野球部でどこか行く?」
「んー?ないと思うよ」
「そっか。個人的に勇人と約束も」
「ないけど。何かあるの?」
優しく聞いてくれる彼に、実は1年記念日なんだと明かした。つまり先約の相手を見つけて、日をずらせないかと頼みたいのだ。相当図々しいことを言っているのはわかっている。彼は視線を落とし、考え込むような仕草をした。呆れているのかもしれない。一応聞いてみただけで、彼が言うなら諦めるつもりだ。真剣に思案してくれるから、わたしも緊張気味に言葉を待っていた。
「……栄口が記念日忘れるかな。サプライズでもあるんじゃない?」
「え?!」
「言っとくけどベタ惚れだからね!野球部には聞いてみるけど」
「あ、ありがとう……」
そんなこと考えもつかなかった。別れてからも水谷の言葉が頭を離れなくて、勇人の顔色を伺ってはみるものの特に気になる点はない。まあそもそも、わたしが彼の考えを読もうとすること自体、愚策だった。
わたしもクラスでよく彼といる友人や去年のクラスメートをあたってみたけれど、先約の相手は見つからなかった。となると野球部の結果がどうしても気になって、水谷のクラスまで足を伸ばした。相変わらず囲まれている。ドアの前で尻込んでいるわたしに、人垣の奥から気づいた彼はそっと手を振ってくれた。振り返したら、自分の顔を指差してお、れとくちびるを動かす。頷くもののあの輪の中から彼を引き抜いていいものか、ふとわからなくなって首をかしげてしまった。それでも話したいから来たんだと決心し、再度反復して頷いた。顔を上げれば彼は片手で顔を覆い、笑いをこらえている。何がそんなに面白かったのか、不可解だ。
教室のドアから彼を覗く光景には、既視感があった。あのときは、家庭科の授業で焼いたマドレーヌを渡しに行ったんだ。片想い中の身にしたらかなり勇気を振り絞ったのに、受け取ってくれなかったっけ。それを半泣きで勇人に押し付けたことも、よく覚えている。こんな記憶も残るなかで、今日は周りのひとたちに断りを入れて、わたしのところまで来てくれる。以前より近しく感じられることは、単純に嬉しかった。
「突然ヘドバンするのやめてよー」
「え、そんなに振ってた?」
「うん。日曜のことだよね?野球部にはいなかったよ」
「友だちも皆違うって」
「じゃあやっぱりサプライズだ!待ってなよ」
「そうかなあ。違ったらかなり恥ずかしいよ」
「オレが保証するから!」
「……じゃあ、そうする」
水谷の笑顔には、根拠がなくても信じられるような、不思議な魔力がある。わたしだって、勇人に忘れられているとは思いたくないのだ。そう思い込んだら逆ドッキリを考えるようで楽しくなってきた。日曜日に学校にいたら驚くかな。プレゼントも渡したい。確定なんかしていないのに浮かれてしまって、わたしは胸を高鳴らせていた。
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