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いつの間にか突入した夏休みも折り返しをむかえていた。学校での繋がりがなくなれば、何かと注目を集める野球部とわたしの関係はまるで芸能人とファンのそれと同じくらい、心許ないものだ。去年はチアの練習をしたり差し入れを持って行ったり、色々あったんだけどな。せっかく同じ場所にいてもグラウンドを馳せるしかない現状に、ボウルをかき混ぜる手が止まる。

夏休みの調理部は基本的に自由参加だ。皆で同じものを作るのではなく、個々でやりたいことをやっている。わたしは午後から委員会の集まりがあるから、そこでつまめるように何人か誘って焼き菓子を製作中だ。扇風機を借りてはきたけれど火を扱っている以上、むっとする暑さは避けられない。でもまあエプロンで汗を拭いながらの作業は、なかなか部活感がありたまにはいいと思う。焼いている時間はレシピ本を見て、せっかくだからかわいくしたいねという話になり、即興のアイシングを作っていた。

「すげえいい匂いすんな!あ、深田じゃん!」
「こら田島」

先生がいたら怒られそうな足音を鳴らし、家庭科室のドアを無遠慮に開けたのはユニフォーム姿の田島くんだ。その後ろから、荷物を抱えた勇人と1年生が数人顔を覗かせていた。ここは離れた特別教室棟で、何かのついでに通るなんてことはまずない。大方田島くんに引きずられてきたのだろう。ちょうどオーブンのベルが鳴り、焼きあがったばかりの天板を取り出す。もともと大きな目をさらに輝かせ、きれいに洗った手を見せつける姿に折れたのはわたしだった。

「うまい!これ何?」
「フロランタン。君たちもどうぞ」
「あ、ありがとうございます!」
「ごめんな、突然。昇降口出ようとしたらいい香りがして……まあ、オレも深田がいたらいいなと思って来ちゃったんだけど」
「ふふ、いちゃいました」

ちょうど昼食前の時間で、高校球児の腹具合は極限だったらしい。手当たり次第食べようとする田島くんを、1年生たちが言葉巧みにどうにか止めようとしている様子に、つい笑い声が漏れた。久々の感じだ。ここならわたしも部外者にならなくて済む。隣に来てくれた勇人も、ひとかけらつまんで顔をほころばせてくれる。彼の美味しいは、わたしにとってミシュランの偉い人の言葉より価値があるのだ。こんなにしあわせなことはないなあと、突然訪れた穏やかな時間にぼうっと浸っていた。

「ねえ、夏祭り行かない?」
「え!」

唐突なお誘いに思わず素っ頓狂な声が出る。夏祭りという単語を彼の口から聞くことになろうとは、これっぽっちも考えていなかった。この辺では一番大きなお祭りで、彼は部活が遅くまであると思いめぐと行くつもりで計画を立てていた。それを聞いたら、監督の粋な計らいでその日は早く練習を切り上げ、野球部全員で見に行くことになったようだ。

「1年が場所取りしてくれるから、花火もいい位置で見られると思うよ」
「そうなんだ!行きたいのは山々なんだけど……お邪魔にならない?」
「大丈夫!篠岡は友だち連れてくるって言ってたよ。その場で会う奴もいるだろうし、野球部ってよりは適当にわいわいやる感じかな。まあオレは早々に二人きりになるつもりですが」

女の子がいるなら混じっても目立たないかな。そんなことを考えていたのに、後ろから棒で殴られたような気分だ。俯いたまま頷くと、ありがと、と微笑んでくれた。テーブルの向こうにいる田島くんたちは、調理部の部員と談笑している。勇人はひとつ後ろのテーブルに体重を預けながら、太陽が眩しいのか薄目でわたしを見ていた。その手が顔に伸びてくる。思わず首を縮こめると、わたしを通り越して三角巾の端にそっと触れた。

「……最近グラウンド来てくれないじゃん。何かあった?」
「え、あ、ううん。いろいろ忙しくて」
「そっか。まあ、週1の下校デートもできないくらいだもんなー」
「ごめんて!埋め合わせはするから」
「冗談だよ」

夏休みに入る前、ミーティングのみの日は一緒に帰るという約束を、委員会活動に追われすっぽかしてしまったのだ。全体の動きの確認だけだったのがクラスの出し物の準備も始まり、いよいよ忙しくなっていた。ちなみにうちのクラスはお化け屋敷だけれど、副委員長の仕事が予想以上にハードで、もう一人のクラス委員に丸投げだ。わたしは目玉企画・カップルコンテストの担当になり、出場カップルのオーディションから当日の司会進行までを一任されている。経験が無い分去年の資料とにらめっこをしていたら、時間を忘れてしまったのだ。しかも2週連続だ。彼は笑って許してくれたけれど、内心は呆れているに違いない。埋め合わせと言ってもてんで思いつかず、せめてお腹の足しになればと焼き菓子をすすめる他なかった。話題が終わった。次は何を話そう。口が動かないから手を動かす。カンカンと小気味良い音を立てるボウルに彼の視線が移ったのがわかった。

「これは何作ってるの?」
「アイシング。表面デコろうと思って」
「いいね、楽しそう」
「……やってみる?」

なんだか興味があるような顔に聞いてみたら、二つ返事が返ってきた。食紅を振り色を付ける工程も物珍しそうに見ている。後ろから覗かれると誕生日のことを思い出して、体温が上がるからやめてほしい。不自然に赤い顔で同じ色のコルネを渡すと、この人はきょとんとしながら「熱あるの?」なんて言ってくるのだ。人の気も知らないで。ないよと返しわたしもピンク色のそれを持つ。丸いクッキーに野球ボールの縫い目を描いている姿に微笑ましくなって、Tシャツ型のクッキーに彼の背番号を描いてみたらかわいいことするねと笑われた。

縫い終わった彼は天板を見渡し、奥にあったハート型のクッキーを手に取る。彼にしてはえらく可愛らしいものを選んだと思って気にかけていると、どうやら文字を書いているようだ。真剣な表情に声もかけにくい。コルネを置くのを合図に視線を移せば、たどたどしい文体で”たよってよ”とある。はっとして見上げると、彼がよくする困り混じりの笑顔を返された。

「はい、食べちゃって」
「ん、んぐ……」
「じゃあまた連絡するね。田島行くよー」
「もうこんな時間か!ごちそうさまでした!」
「あ、うん、部活がんばって」

まだ固まっていないそれをわたしの口に押し込んで、彼らは出て行った。彼の気持ちごと咀嚼したクッキーは甘ったるい。「何かあった?」への正しい回答なんて、今のわたしには言える気がしないのだ。アイシングにレモン汁を入れ忘れていたのを思い出して、振り入れて混ぜた。

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