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グラウンドには正式な理由がないと行けなくなっていた。彼を見たいというだけじゃ、あの子はきっと許してくれない。委員会が忙しくなってきたのもあるけれど、久しぶりの土ぼこりに喉の奥が痛む。もちろん頭のお花はカバンの底に置いてきた。今日は志賀先生に用事という大義名分があるから堂々と入ることができる。ベンチで話していると、休憩になった部員たちが続々と集まってきた。

「深田じゃん!なんか久々?」
「田島くん。そうだね、ちょっと間開いたかも」
「ねーねーオレまたあのパン食いたいんだけど!作って!」
「あーあのベーコンパン、美味かったな」
「だろー!だからここは野球部を挙げて、」
「作る方は大変なんだよ。困らせんな」
「あはは……また今度ね」

今度、なんて言いながらもう一切持ってくる予定が無いとは、まだ言えない。田島くんを嗜める泉くんという図式は学年が上がっても健在のようで、微笑ましくなると同時に心強くもある。田島くんの今日のおにぎりの具はいくららしい。昨日の鬼ごっこ優勝したからな!と自慢げに頬張るのを見ていたら、唐突に尋ねられた。

「今年はチアやるの?」
「えっ」

予想外の質問に、一瞬怯んでしまう。夏はもう目前に迫っていた。紋乃ちゃんと美亜ちゃんは去年から練習していて、今年も新入生を連れて応援団を結成すると言っていた。ふたりは声をかけてくれたけれど、 下積みもないわたしが突然野球部の応援だけ参加するなんて、あまりにもいいとこ取りのような気がして断ってしまったのだ。それに、きっとこういうのが身内面なんだろうなと、感づいてしまったのもあった。

「今年はやらないよ」
「なんで!」
「先輩チアやってたんですか?」
「あ、うん。ちょっとだけ」
「写真あるぜー」
「見たいです!」

どこから聞きつけてきたのか、えりかちゃんがひょいと話に混ざってくる。田島くんはスマホを操作すると彼女に画面を見せた。その歓声に引き寄せられるように、他の部員にもスマホが回っていく。よく知らない先輩の写真なんて見ても面白くないだろうに。何よりも恥ずかしいのだ。わたしは早く話題が収まってくれないかと、気が気ではなかった。

「似合ってます!若いですねー!」
「いや、まあ、うん……」
「あ、ゆう先輩だ!このときはもうお付き合いされてたんですか?」
「ま、まだかな」
「その辺の話すごく聞きたいです!」

わたしの性格が悪いのかそれとも女の勘ってやつか。無邪気を装って探りを入れてくるような態度が気に障る。人前で話すような話ではないし、第一彼女に話さなきゃいけない理由なんてないと思う。当たり障りなくかわして、志賀先生への用事も済ませて、勇人には会えてないけれどさっさと帰ろうと思った。

「そういえば、こんとき水谷ともなんかごたごたなかったっけ?」
「えっ、待って待って、いいよもうやめて」
「そうなんですか?!」

田島くんはいったいいくつ爆弾を持っているのか。次から次へと落とされて、もはやわたしだけでは対処しきれない。泉くんも思いもよらない展開に、どうしたらいいのか困っているようだった。第一わたしと水谷のことなんて、どこから仕入れてきたんだ。いつから知っていたんだ。頼みの綱の主将陣は遠くで監督さんと話していて、わたしの意志など関係なく話が進む。

「そこんとこどうなんですかふみ先輩!」
「んー。昔のことだからね。本人嫌がってるしやめてあげて」
「……っ」

突然白羽の矢が立った彼はおにぎりをほおばりながら、至って落ち着いた様子で言葉を返した。視線も下に置かれたプリントに向かっていて、この話への興味がないように見えた。途端に涙が溢れる。彼が庇ってくれたのか無関心なだけなのかはわからない。頬をつたうものに彼が驚くのにわたしも驚いて、グラウンドの外へと駆け出した。騒然となる空気を背中で感じる。束の間の休息なのに悪いことをしてしまった。落ち着くまでいつものベンチに座っていると、見覚えのあるツインテールの影が揺れる。知り合いでこの髪型をしているのはひとりしかいない。顔を上げれば予想通りの人物がわたしを見下ろしていた。

「……先輩たち練習なので、代わりに謝りにきました。ごめんなさい」

言葉は謝罪を表しているけれど、何もあんな人が泣かせたように立ち去らなくても、という非難の念を若干感じる。代わりになんて、わたしが一番憤っているのはえりかちゃんなんだけどな。少なくとも無関係ではないし、あの流れのきっかけを作った張本人のはずだ。一応わたし、年上だよ。いよいよガツンと言ってやる日が来たのだろうか。心臓が壊れそうなほどうるさい。

「そんなにわたしが嫌い?あなたに何かしたかな」
「先輩が嫌いなんじゃないです。ゆう先輩がすきなんです」

結局わたしの度胸なんてこれが精一杯だ。自分の立場を弁えることもなく、自信をのぞかせながら言い切る彼女が、心底羨ましくなった。予想はしていたけれど、こう目の前に叩きつけられると頭の中がガンガンと鳴る。

「恋愛が早いもの勝ちなんて思わないでください」

謝罪に来たはずの彼女は、ふいと顔を背けるとグラウンドまで駆けていく。確かに出会ったのはわたしの方が先だ。けれど今彼が過ごす時間は野球部の方が長いし、わたしの1年のフライングなんて、すぐ取り戻されてしまう気しかしないのだ。去年の写真をスクロールしてみれば、やっぱり若い。あのときは最前列が特等席だと思ったけれど、本当の特等席は彼と同じ目線で、同じ感覚で、思いをすぐに伝えられる、あのベンチのなかだ。今更どうあがいても届かないその位置に、胸が苦しくなるだけだった。



▽▽▽



次の日の昼休み、水谷からメールが届いた。突然の呼び出しに友人たちには委員会の緊急招集!と言い訳して、人通りの少ない特別教室棟の方に向かう。途中の廊下で誰かとぶつかりかけたと思ったら、冴えない表情をした彼が佇んでいた。バツが悪そうに首元に手をやる彼を、何をやってもさまになるなあと、どこか遠い意識で見ていた。

「どうしたの」
「……昨日の、さ。ごめん。きちんと聞いてなくて、適当に言っちゃって、でも泣かせること言ったんだよね、ごめん」
「……ううん。水谷はただのとばっちりだよ」
「そ……本当に?オレ考えなしに発言すんなってよく怒られるから、何かあったらすぐ言ってね」
「本当だよ。気にしすぎ」

彼は意外と律儀なのだ。ライブのチケットが取れたとメールしたら電話がかかってきたし、無理やり渡されたはずのマドレーヌのお礼も伝えてくれたし、今回は完全に巻き込まれただけなのに呼び出してまで謝ってくれる。頼りなさそうに見えてもそういうところがしっかりしているから、どこに行っても皆の中心にいるんだと思う。「君は僕の太陽なんだ」なんて、最近読んだ少女漫画のセリフが脳裏によぎり、勝手に恥ずかしくなっていた。

「……これさ、栄口知ってるの?」
「や、わたしからは言ってない」
「そうなんだ……あのあと、オレらもちょっと動転してごまかしてしまったというか……深田が来てたことも知らないんだ。オレどうしたらいい?罪悪感で死にそう」
「水谷は居合わせただけでしょ。そんな、顔真っ青にしなくても」
「本当に……?そう思ってくれる?」
「思う思う。だから、この話はもうおしまいね」

笑顔を見せると、彼はようやく安心したように息をついた。勇人が知らないなら、もうそれでいい。わざわざ蒸し返す必要性は感じないし、わたしから伝えたらきっと誰かが悪者になってしまう。大会前の大事な時期に心配をかけたくないと、生意気なことを考えたりもした。後から振り返れば、わたしなりに大分、参っていたんだと思う。

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