34

日も落ちた土曜日の夜、彼からの着信を合図に家を出た。めぐちゃんによろしくねとお土産を持たせてくれた母にドアの裏側で土下座をして、彼女の家とは反対方向へ歩いていくと、部活帰りの格好のまま本日の主役が駆けてくる。彼はわたしの手提げを奪い取ると、逆のてのひらを差し出した。こうなったらもう、黙ってエスコートされるしかない。えりかちゃんのこともあるけれど、わたしばかり意識していて、いつまでもスマートな彼が少々憎らしくなっていた。あのときみたいに、困ってよ。そんな感情でいっぱいになってしまったわたしは、玄関先で息をつく彼の名前を呼んだ。振り返りざまに唇を奪えば、なんとも慌てた表情をしてくれる。わたしにだって、先手は打てるのだ。

「……お誕生日、おめでと」
「あ、り、がと……」

彼はいそいそと荷物を運ぶと、シャワー浴びてくると言って部屋の外に出て行った。ここからが本番だ。調理部のエースは1奪三振くらいでは終われない。エプロンは家にある中でいちばんかわいいものを持ってきた。まさか彼氏の家の台所を使う日がくるなんてと思いながら、お鍋を火にかけパスタをゆでる。下ごしらえしてきた野菜でスープと付け合わせを作り、鶏肉をソテーすれば完成だ。彼が戻ってくる前に全てできれば完璧だったけれど、あと一押しのところで背後から湯上がりの気配がした。

「あ、もうできるから待ってて」
「焦んなくていいよ。見てるのも楽しい」

フライパンと菜箸で両手が塞がっているのをいいことに、腰に手を回される。わたしではどうしようもできない状況にするのが彼は心底うまいのだ。もちろん抵抗はするけれど、ごめん止まんなかったなんて聞こえれば、そんなもの無いも同然だった。

「……でも、さっきのはずるいよ」
「こ、こうでもしないとわたしは一生勝てないので」
「一瞬すぎてわかんなかったから、もう1回してね」
「な……」

吐息が聞こえるくらいの位置で呟いて、そのまま耳たぶに淡くキスを落とされる。ああもう、シャンプーの香りだけで酔いそうだ。

料理もケーキもぺろりと完食した彼は、わたしにお風呂をすすめてくれた。その間に食器洗っとくなんて言い出すから断ったけれど、強情な彼を口説く技なんて持っていないのだ。さっき酔いかけた香りで浴室は満たされて、ふわふわのパーカーとショートパンツを身につければもう、経験値のないわたしなど気を抜けば倒れる。大きく鳴り続ける心音にできっぞ!と気合を入れて、リビングでテレビを見ている彼に声をかけた。

「お風呂ごちそうさま。ドライヤー借りれる?」
「あ、出すね」

普段お姉さんしか使わないから、部屋に持っていってしまっているらしい。ぱたぱたと探しに行く足音も特に慌てた感じはなく、この気合いをどうすればいいのかわからなくなった結果、直立不動で待っていた。

「はいどうぞ」
「ありがとう。洗面所のコンセント使うね」
「……ねえ、オレが乾かしてもいい?」
「えっ、い、いいけど」
「熱かったら言ってね」

ふかふかのソファーへと促されぎこちなく座る。意外に大きくて骨ばった手に、ひどく優しく触れられているのがわかる。服のこと、何も言われないな。ドライヤーの風音しか聞こえないなか、その微かな感触にじっと堪えていた。

乾かし終えたらいい時間だからと、2階の部屋にふたりで向かった。階段を上りふと振り返れば、ぽかんと口を開ける暗闇に朝がくるまで戻らないだろうことを意識させられる。一番奥の「ゆうとのへや」は、小学校の図画工作で作ったらしいドアプレートと、新発売の芳香剤の香りで結界が張られていた。澄みきった心の持ち主ではないわたしは、若干の居たたまれなさを感じながらもベッドの縁に腰かけた。ショートパンツの裾を伸ばしつつ部屋を眺めていると、棚の上に見覚えがあるものを見つけた。甲子園みやげのあのタオルが、袋に入ったまま飾られているのだ。

「わたしも持ってる!ほら」
「あ、そうだね、うん」
「もしかして野球部皆で買ったの?」
「ううん。オレと水谷だけ」
「え、そうなの。……あの、これ水谷からもらって」
「知ってる。相談されたからね」
「そうなんだ……」
「交換、してよ」
「え」
「オレからってことにしといてよ」

彼にしてみれば、彼女が昔すきだった男の子からの贈り物を今も持っているのは、確かに面白くないと思う。新品と使い古しを交換するのは気が引けたけれど、彼がいいと言うならいいのだろう。水谷だって1年前誰に何をあげたかなんて覚えていない気がする。買いすぎて余ったお菓子をたくさんもらったっけ。これだってきっと何枚かのうちの1枚だ。頭を掠める罪悪感にふたをして恐る恐る交換したけれど、やった、とはにかむ彼を見ていたら悪いことだとは思えなかった。

もう一度座り直して、中学の卒業アルバムを開いた。あのエプロン家庭科で作ったやつだったのと笑われながら、思い出話に花が咲く。色っぽい展開になど全くならないまま、ふとおなかに違和感を感じトイレを借りた。予想外のお客様に頭が真っ白になっていた。

「おかえり」
「……せーりきちゃった」
「え」

呆然とわたしを眺める彼に、はっとする。もしかして、こんな下心ありありで準備していたのはわたしだけで、彼は純粋に一緒に過ごしたかっただけなんじゃないか。わたしはどれだけ的外れなことを口走ったのか、もう目も当てられない。恥ずかしさの限界を超えて、とりあえず彼の視界から消え去りたくなって、すくむ足を回れ右させる。背を向けたわたしの体は後ろに引かれ、そのまま彼の腕の中に閉じ込められた。

「深雪にばっかり言わせてごめん。オレも、同じ、だから」
「……っ、うん」
「家誘ったときから、ちょっと期待してた」
「……全然興味ないのかと思った」
「あるよ!……健全な男子ですから」
「……うん」
「顔見ると言えないから今言うよ。なんで、そんな、ふわふわしたやつ着てくるの。かわいくって、もうどうしようかと思った」
「……どうにでも、してよ」
「すきだよ。ずっと。だから、今日はこれだけでいいんだよ」

まるで子供をあやすように頭をぽんぽんと撫でられる。ひとしきり泣いて落ち着いたわたしは、新品のタオルで顔を拭った。

「その……急だったんでしょ?準備とか平気?」
「……あ」
「コンビニ行こっか」

夜道を手をつないで歩く。なんだか不良になった気分と呟くと、お泊まり偽装してる時点で手遅れだよとからから笑われた。目的地に着くと彼は外で待っていると言う。本当に、どこまでも気がつく彼に尊敬の念すら感じながら、お礼のパピコをカゴに入れた。

「わたしね、初めては全部勇人がいいな」
「?!」
「大事にしてくれるのもいいけど、それは覚えといてね」

むせる彼の背中をさすりながら、少しは互角になれたかなと嬉しくなる。全責任をパピコに押し付けて、寒くなったと腕を絡めてみる。少しでもわたしのあがきで困ればいいんだ。だいすきだ。

部屋に戻れば彼の大きなあくびがわたしの肌を撫でる。自分のベッドを使うように言ってくれたけれど、万が一汚すわけにいかないから床に別の布団を敷いてもらった。彼をベッドに押し込んで肩まで布団をかければ、わたしが優勢なのは明らかだ。そっとしゃがみこみ、もう1回を実行する。半分意識の飛んでいる彼は子どもみたいに微笑んで、すうっと寝息をたててしまった。こんなに無防備な姿はしばらく見られないと思うと、なんだかもったいなくなってとっさの気合いでリトライだ。電気を消して布団に潜り込んでも、彼に吸い取られた眠気が戻ってくる気配はない。いっそのこと、朝ごはんのメニューを考えながら彼の側にいられる幸せを噛み締めてやろうと、目を閉じた。



▽▽▽



「勇人、おはよう」
「……ん……あと少しだけ……」
「もう、遅れるよ」

結局まともに眠れなかったわたしは、日が昇るのと同時に起きて朝食とお弁当を作っていた。布団から覗く無防備な寝顔を少しだけ堪能して、駄々をこねる彼の耳に息を吹きかける。

「起きてくださーい」
「んん……おはよう……」
「起きてない!」

意外にも寝起きは悪いらしく、今なお布団を被ろうとしている。その手を掴めばほかほかに温まっていて、彼もわたしの手の冷たさに目が覚めたようだった。指先をひとつずつ確認するようになぞられる。小指までくぐらせるとむくりと起きあがり、わたしの右手を両手で握ってきた。

「手冷たくない?大丈夫?」
「洗い物してたから。ほら、冷めないうちにご飯にしよう」

リビングのドアを開けるのと同時にお味噌のいい香りが広がり、我ながらいい朝だと思う。昨日は洋食だったから、今朝は白米に味噌汁、たまご焼きと和風に挑戦してみた。調理部のエースのたまご焼きは、焼きたてが一番おいしいのだ。朝から晩まで練習だろうし、肉と野菜の炒め物でスタミナをつけてもらって、おにぎりの具にもすれば一石二鳥だ。相変わらず気持ちのいい食べっぷりを見せてくれる彼に相反して、わたしはあまり箸が進まなかった。

「顔色悪いね。眠れなかった?」
「あ、うん……ただの生理痛だから平気」
「心配するよ。ご飯食べたら座ってて」

17歳になった彼が昨日より頼もしく見える。洗い物を片付けわたしの痕跡を消すために掃除機までかける姿は、たぶん主夫というやつだった。ソファーに沈むしかできない自分が不甲斐ない。全ての準備が終わっても、家を出るまで余裕があった。彼は慣れた手つきでコーヒーを入れ、ニュース番組を見ながら味わっている。ブラックなんてすごいねと言ったら、いつもはカフェオレなんだと照れたように返された。こっそり牛乳を足しているから、無理を言い一口もらったらほぼ牛乳だった。ひとつ大人になった彼も、まだまだ子どもねと嬉しくなったことは、言わないけれど。

「よし。じゃあ行こっか」
「ごめんね、最後何もできなくて……」
「もう、ご飯作ってくれたでしょ。十分」
「でも」
「じゃあ、行ってきますのやつやってよ」

彼が土間に立ってわたしが一段上に立っている分、身長差がほとんど無い。背伸びいらずのキスはいつもと感覚が違う。思いきり鼻が当たり反動に身を委ねていると、苦笑交じりに奪われた。

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