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職員室隣の印刷室の窓から、勇人の横顔が目に入って3歩後ずさる。ユニフォーム姿の彼の隣には知らない女の子がいた。新入生の証である黄色い上靴がぴょこぴょこ動いて、大きめのジャージの袖で手のひらをかくして、それが彼の肩に触れたあたりからたぶん動けなくなった。話の内容は聞き取れない。しばらく窓から覗き込んでいたけれど、意を決してドアノブを回した。軽くてやわらかい春風が室内に広がり、彼女の髪とその手にある書類の束がひらりとなびく。
「深田?どうしたの」
「あ、ちょっと見かけたから……部活のお仕事中?」
「そうそう、コピー機の使い方教えてた」
おしゃべりしていた口のまんまで、わたしたちのやりとりを不思議そうに見ていた彼女と目があうと、感じのいい笑顔で挨拶をしてくれた。先手を取られた。こんな穏やかな春風じゃ、先輩風には程遠い。
「はじめまして、マネージャーさせてもらってます阿部えりかです」
「深田深雪です……」
まっすぐで長い髪が耳の後ろで揺れている。汚れひとつないジャージも着こなせていなくて、まだ中学生感が抜けていない彼女には、何かあっても全て許されてしまうようなあどけなさがあった。そんな無邪気で無遠慮な視線を癪だと感じてしまうわたしは、きっと悪者だ。
「えりかちゃん家図書館の裏なんだよ!学区ぎりぎりで北中だったんだって」
「そうなんだ。駅まで遠くない?」
「はい、朝はバスで行けるんですけど帰りはちょうどいいのがなくて……40分くらい歩くこともあります」
駅から図書館なら30分もあれば着くと思うのだけれど、足も歩幅も小さい彼女には結構な距離なのだろう。北中というのはわたしたちの母校東中のおとなりにある中学校だ。ちょうど図書館沿いの道路で学区が分かれていたのだ。最寄駅は同じだから今後見かけることもあると思う。顔と名前が一致するくらいの知り合いって、いちばん会ったとき気まずいんだよね。なんて意地悪がよぎるわたしが、やっぱり悪者か。
一応仕事中だったふたりをこれ以上引き止められない。野球部の皆が待っているかもしれないし、お邪魔虫は退散するしかなかった。ドアを閉めた途端、仲よさげに話しだすふたりを見ないふりしてそのまま委員会の集まりに向かった。2年のあの顔ぶれで、いちばん話しやすいのは彼だって、わたしが誰より知っている。副主将がマネージャーの仕事を教えることも普通だろう。それなのに、わたしだけがどうにもいらいらして、あろうことか副委員長に立候補してしまった。本格的に活動が始まるのはまだ先で今日は顔合わせと役職を決めるだけだったけれど、他のクラスの面々を見ているとじゃんけんに負けただけらしいひとが結構いる。他に立候補がいなかったからわたしはあっさり無投票当選してしまい、委員長は去年の副委員長が繰り上がった。彼に言ったらまた苦い顔されちゃうかな。わたしだって、副委員長モードになりたいのだ。
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