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修学旅行予行練習の鎌倉遠足が近々ある。東京駅に現地集合して、鎌倉を観光するのだ。1日過ごすその班は男女別に3人組を作り、くじ引きで組み合わせを決める。わたしが引いたのは彼の背番号で、嬉しくなるのは早すぎるけれど。
「何番だった?」
「4番。お願い、引いてきて」
「よっしゃ」
わたしたちが引いたくじを再度箱の中に戻し、男子たちが並ぶ。番号を見た瞬間ぱあっと顔を輝かせて振り向いた彼は、しばらくクラスの話題だった。
▽▽▽
「初デートが鎌倉とか豪華すぎる」
「デートじゃないし!班の皆いるし」
「じゃあお出かけでも小旅行でもいいからさーいいねえ」
「研修!めぐこそどうなのよ」
「何もございません」
班長の栄口は集合が早く、わたしはめぐと一緒に向かっていた。彼女と並んで歩くのは久し振りだ。颯爽と都会の人混みを抜けていく彼女に比べ、いろいろと引っかかるわたしは、始まる前から出鼻と足をくじいていた。違和感はあるけれど歩けないほどの痛みではない。こんな序盤から面倒をかけてしまうのも気が引けて、誰にも言わないまま遠足が始まった。
まず、鎌倉と言ったら鶴岡八幡宮は外せない。学業成就を念じながらちゃっかり恋愛のそれもお願いして、壮大な景色を堪能した。降りてきたら小町通りで小腹を満たそうと思ったけれど、皆考えることは同じみたいで、至る所で西浦生と鉢合わせる。全くもってデートなんて気分ではない。下調べばっちり食べ盛りの女子たちに引きずられる男子たち、という表現が一番適している気がする。
「あ、鎌倉点心あれじゃない?」
「本当だ!肉まんおいしそう!結構大きいんだね」
「深雪わたしと半分こする?」
「ちょっと、彼氏に譲んなよ」
「そうだった!」
「えっでも栄口は1個食べたいかもしれないし……」
「大丈夫でしょー」
けしかけてくる彼女たちと潮の味がする風にあてられて、後ろでガイドブックを広げる彼の元へ単身乗り込む。わたしたちが好き勝手印をつけた行きたいお店マップを眺めながら、どう回るのが効率的か模索しているようだ。わたしが自分の肉まんのことを考えている間に、彼は班のことを考えている。話しかけていいものか一瞬迷ったけれど、お肉のいい香りにもあてられて、覗き込むように後ろから声をかけた。
「さ、栄口」
「んー?」
「わたし1個食べる自信ないから、半分こしませんか……?」
「いいよ!なんでそんなにおっかなびっくりなの」
困ったように笑う彼は肉まんを買い、半分を渡してくれた。具がごろごろ入っていておいしい。付き合う前ならきっと何のためらいもなく言えたし、彼も普通にしてくれていたと思う。まだ友人の範疇は出ていない。それがいいのか悪いのかわからないまま、腹ごしらえを済ませて江ノ島へ向かうことにした。江ノ電から見える風景だけで、海なし県在住のわたしたちなんて軽率に胸が躍る。
「エスカーだー!」
「何これ、カーって車的な?」
「ただのエスカレーターだよ」
「えっ」
エスカーを乗り継いで、島のてっぺんにたどり着く。シーキャンドルから広い海を一望すれば、わたしの些細な悩みなど吹き飛んでしまうような心地だった。
文明の利器は上りしかないため、帰りは歩くしかない。階段を下りている途中から引っかけた足首がズキズキと痛み出した。段々と距離が離れてしまうわたしを、女の子たちや栄口が心配してくれる。余裕を持って行動していたはずなのに、お土産屋さんに寄る時間もないまま、乗る予定の電車を階段から見送った。江ノ島の海に太陽が沈んでいく。わたしは文字通り皆の足を引っ張っていた。
「ちょっと男子早いんだけど」
「時間やベーんだよ次の電車逃したら集合間に合わない」
「えっまじで」
「ごめん……急ごう」
「いや深雪足相当やばいでしょ。先生に電話入れてゆっくり行こうよ」
「遅刻厳禁って言われてんじゃん。行けるやつだけでも先行った方よくね?」
「んー……班長どうする?」
「もう電話するしかないでしょ」
端に寄って彼が電話をかける。もうわたしの腕は女の子のそれに絡まっていて、誰かに支えてもらわないと歩けないくらいになっていた。数分後江ノ島で巡回していた先生が駆けつけてくれて、わたしと班長以外はダッシュして集合に間に合う電車に乗ることになった。ベンチに座り靴下を脱いでみれば赤く腫れ上がっている。先生の指が触れるたび染みるような痛みが駆け巡った。
「深田さん、ここ熱もってるわよ。ひねったりしなかった」
「……初めの方でちょっと……そのときは痛くなかったんです」
「歩いて悪化させたって感じね。何日か湿布貼ってれば治ると思うけど……今日は帰れる?」
「はい、大丈夫です」
「オレが家まで送ります。近所なんです」
日は沈み、オレンジ色だった空は濃紺へと変わろうとしていた。湿布を貼ってもらい、気合を入れて立ち上がったもののよろけてしまう。側にいた彼が支えてくれ、そのまま腕を貸してもらった。東京駅に1時間遅れで到着したわたしたちは他の先生方にもこってり絞られた。河川敷居眠り事件に続く、ふたつめの大迷惑を彼にかけてしまった。掴んだ腕はずっと離すことができず、いつもの半分のスピードでしか歩けないわたしに、彼は文句ひとつこぼさず隣にいてくれる。付き合う前ならしてくれてたかな。それとも、彼女の特権ってことでいいのかな。
「本当、ごめんね。ありがとう」
「いーえ。……もし4番引いてなかったら他の誰かがここにいたのかと思うと、怖くなるね」
「いやいや、こんなの栄口だけだよ。たぶん他のひとは待ってくれないよ」
「男はね、誰でもかっこつけたいんです」
「じゃあ、わたしじゃなくても栄口はするの?」
「難しいこと言うねえ……代われるひとがいなかったら、するかも」
「んー」
「でもそれはただの行為じゃん。オレがかっこつけたいのは深田だけなんだけどなあ」
言葉の意味がよくわからず首をひねる。彼にとってわたしを言いくるめるのなんて、赤子の手をひねるようなものなのだ。既に足をひねっているのに首と手までひねられたら、もう白旗を咥えるしかない。
「本物の修学旅行も、栄口と一緒がいいな」
「……そうだね」
「班決めは学年上がってからだから、クラス違うかもしれないけど、栄口のとこ行ってもいい?」
「うん。いやオレが行くよ」
やっぱり栄口の彼女はしあわせだ。この先関係がどうなろうとも、彼がいない日々は味気ないと思うし、いらなくなんて一生ならない。きっとわたしは、これから彼をすきになっていくんだろう。そんな淡い期待が足元にズキズキと、存在を訴えていた。
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