17
楽しかった夏休みも終わり、新学期が始まった。山とか海とか夏祭りとか夏らしいことは何もなかったけれど、野球部の試合を応援して、甲子園の土産話を聞いて、たまに練習に差し入れたりしていたら夏をお裾分けしてもらえた気分だから、至って満足だ。そして、今日は待ちに待ったライブだ。朝から浮き足立っているわたしはそのままのテンションで、少し日に焼けた隣人に声をかける。
「栄口おはよう!」
「おはよ。私服珍しいね」
「ふふふ、水谷とライブに行くのだよ」
「ああ、今日だったんだ」
いつものセーラー服ではなく、Tシャツショーパンにレギンスを合わせて、靴はスニーカー。ライブ初参戦のわたしに、水谷がおすすめしてくれた格好だ。放課後、野球部のミーティングが終わるまで教室で待っていると、ぱたぱたと軽快な音がわたしを迎えにやってきた。
「お待たせ!行こう!」
「うん!」
並んで歩きながら駅まで向かう。自転車を引く水谷はわたしの荷物をカゴに入れてくれた。他にも、さりげなく道路側を歩いてくれるところとか、電車で壁際をキープしてくれるところとか、慣れてるなあ、と思う。それでも既に手遅れなわたしは、うっかりゆるみ出す頬をつり上げる程度の抵抗しかできないけれど。
「物販すぐに買えてよかったね!」
「うん!」
「ライブT着るよね?あっちにトイレあるから着替えてまたここで合流しよ」
「はーい」
ついでに化粧も直しちゃったりして、でも染まったほっぺたをこれ以上目立たせるわけにはいかないから、さくら色チークの出番はおあずけだ。待ち合わせた場所には同じ格好をしたひとたちが大勢おり、すぐに水谷を見つけることができなかった。暗がりの中、声をかけられ振り向くと全然知らないひとだった。派手なお兄さんたちに囲まれてしまい冷や汗が出る。水谷はひとりぼっちのわたしを探しているはずだから、こんな風に大勢でいたらわからないだろう。
「あの、わたし待ち合わせしてて」
「すぐ終わるからー」
「ライブ終わったらお茶でもしましょうや。かわいいお嬢さん」
「断る理由なくない?赤シャツすきな奴に悪いのはいないよー」
「や、あの、それはそうなんですけど」
「じゃあ決まりってことで」
「すいませーん、深雪のご友人ですか?」
探し人は、白々しい笑顔で現れた。わたしには向けられたことのないその微笑みに、少し背筋が涼しくなる。
「初めましてー、深雪がお世話になってますー」
「なんだよ男いんのかよ」
「どーもどーも。じゃ」
小さく目配せしたお兄さんたちが人ごみの中へと去って行くのを、水谷は表情を変えずに見送っていた。その背中が見えなくなると、彼はわたしの上にふうと息を落とした。
「……ああいうのははっきり言わないとだめだよ」
「ご、ごめん」
「謝んなくていいけど。ライブだとテンションあがって変な奴出るからなー」
「うん」
「痴漢とかもないわけじゃないし、何かあったらすぐ言ってよ?かわいいお嬢さん」
「!?」
動揺を隠せないままに斜め上を盗み見れば、彼がからからと笑っていた。かわいいなんて、軽々しく言わないでよ。とっさに気の利いたセリフを返せるほど、わたしは図太くできてない。初めて入るライブハウスは暗くて狭く、気恥ずかしくてそっぽを向いていたら小さな段差につまづいた。あっという間すらなく誰かに体を支えられ、役目を終えたその手はすんなりとわたしの左手に収まった。彼はなんともなしに話を続ける。
「あ、名前で呼んでごめん。彼氏面したほうがすぐいなくなってくれると思ってさ」
「……ううん」
名前で呼んでいいよ。彼氏面なんかじゃなくて、彼氏になってほしいよ。隣を陣取るわたしは、はっきり言って彼女面以外の何でもないよ。喉元まで出かかった言葉は声にはならず、会場の熱気と交じるだけだった。
ライブが終わり、また変な奴に絡まれるかもしれないからと、水谷は家まで送ってくれた。ワンサイズ違いの赤シャツが歩くリズムに合わせて揺れる。やっぱり道路側の彼は歩くペースも合わせてくれているみたいで、もう別フレにでも行けばと嫌味のひとつでも言ってやりたいくらいだ。気づけば家はすぐそこだった。家を遠くしろなんて言わないから、せめてあの曲がり角が通行止めになってたりしないかな。そんな利己心まみれの願いごとなんて叶うはずもなく、ストレートで家の前まで来てしまった。1球くらいボール球混ぜればよかった、な。
「ここでいいよ」
「そか。今日は楽しかったよ!ありがとな」
「こちらこそ、誘ってくれてありがとう」
「いえいえ。じゃあまた学校でね!おやすみ」
「おやすみー」
彼の姿が暗闇に紛れれば、思わずしゃがみこんでいた。彼のエスコートはあまりにも完璧で、わたしがかわいいお嬢さんだと錯覚するくらい訳もなかったのだ。左手の感触も鮮やかに思い出せる。もう一生洗わない!なんて芸能人と握手した小学生のようなことを思いながら、星空の下を千鳥足で歩いた。
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