いずみくん、と流れるように紡がれる自分の名前を聞くのがすきだ。少しだけ高くてよく響く、その声がすきだ。

「お、いずみくん、奇遇だなぁ」

「…先輩が呼び出したんじゃないすか」

「まぁ特に用はないんだけどね」

「ないのかよ」

「それでも呼び出したら来てくれるいずみくんがすきよ」

どういう意味だ、それは。俺が内心動揺している間も先輩はそうしてけらけら笑う。期待すんな、期待すんな俺!どうせこの人の言うことに特別な意味なんかないに決まってる。今までもずっとそうだっただろ、解ってんだ。誰よりも解ってんだ。

「先輩に言われても嬉しくないっす」

「素直じゃないよねぇ君は。今時流行りのツンデレってやつ?かーわーいーいー」

ほらな。からかわれて、る。くそ。

まるで猫みたいな人だと、思う。全くもって自由奔放、無邪気で何考えてんだかさっぱりわからない俺の先輩。あってないような、たった一つか二つにしか過ぎないその年の差をしごく大事にしている。名前で呼ぼうとしたら、「わたしは年上なんだから先輩と呼びなさい」と言われたのはまた昔の話。その言い付けをいまだに破れない自分も情けなくて笑える。そんな昔の記憶にいつまでも縛り付けられてるくらいには、多分俺はこの人に夢中だ。

「…うっせー」

何にも解ってねぇんだな、とも、思う。先輩が何か言う度にいちいち反応するこの心臓のことも、自分が人に与える影響力も、俺のこの健気な気持ちも、何一つ理解していないんだな、と、思う。解られても困んだけど。いや、困るっつーか何つーか。俺の気持ち知っててこの態度なら質が悪すぎる。

「いずみくんは明日も部活?」

「え?そうっすけど」

「そうかぁ、大変だね」

「別に。好きでやってることだし」

「好きなことを続けるのこそ、勇気もパワーもいるでしょう」

よく頑張っているね。

こういうところが、

この人のこういうところが、本当に心臓に悪い。これだから、結局俺はいつだってこの人に弱い。すきだ。ちくしょう。そういうことをまるで何でもないことのように言ってしまえる人だ。そういう、ひとだ。ちくしょう。すきだよ。

「応援には行くからね」

「先輩は受験生じゃないすか。勉強しろよ」

「受験なんて、君の活躍に比べれば微々たるものですよ」

「…別に活躍なんか」

「いずみくん、嘘はいけない」

活躍してるのも、頑張ってるのも、わたしはちゃんと知ってるんだよと、微笑まれてしまうともう言葉なんか出てきやしない。何で。何でだ。何でいつだってそんな、余裕そうに笑ってやがる。俺が何を言っても楽しそうに笑う、先輩。何で名前で呼べなくなったんだっけ。先輩。

「つーか用がないならもう俺帰っていいすか」

「なによぅ、もう少し一緒にいたいでしょ、一緒にいようよ」

「…帰る」

じゃあ、と頭を下げるとやっぱり笑う、先輩。先輩。何なんすか。ふざけないでほしい。あんたが。あんたがそういうことを言うから。

からかわれて、る。解ってる。

一緒にいたいのはいつだって俺の方だよ、知ってんのか。

「いずみくん、ね、お願い、もう少しだけ」

「………」

微笑む先輩をじぃっと見つめてみる。視線を返してくる目玉がふたつ。暑い。

「……なまえ、」

「え」

ぽつりと。こぼれるみたいに名前を呼ぶと、じわりじわり、顔を赤く染めて、戸惑ったように瞳を揺らして。こんな先輩は、レアだ。

言い付け、破っちまったなぁ。こんなときでもそんなことを考えてる自分がいて、笑える。どーせ次にくるのは年上を敬え、先輩って呼べ、だろ。決まりきった行動パターン。解ってんだ、それくらいは。

「い、いずみ、くん」

「はいはいサーセン」

もっかい、よんで

「………え?」

先輩は真っ赤にした顔を隠すように目を伏せて、小さな声で、だけど確かに、

嘘だろ。何だこれ。嘘だろ。なぁ。先輩ってこんなに可愛かったっけ。いつもひょうひょうと笑っていて自由人で何考えてんだかさっぱりな、俺の、おれの、大事な、先輩は、こんなに?

「いずみくん」

あちー。あちーな。これだけで口の中カラカラになったりして、だっせぇの。馬鹿みたいだろ。笑える。目が合った彼女が少しはにかんだみたいに笑うから、くそ、降参だよ。いつも俺ばっかこうなのな。

「…………なまえ、」

あー、夏だ。

0729 加藤さんより

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