普段、歩くには少し長い家までの距離をちんたら歩いて帰るのだけれど、今日はそういう訳にはいかない。なんてったってわたしは足を怪我している。大した怪我ではないけれど、挫いて湿布を貼られたその足で、30分近くかかるその距離を歩くのはさすがに厳しく、少し遠回りになるけれど今日はバスを乗り継いで帰るつもりだ。昇降口を出ると、橙色の夕日がちりりと肌を焼く。いよいよ夏が本格的に始まろうとしている。この暑い中を健康な足で歩く帰り道と、涼しく快適なバスに揺られるけが人の帰り道、どっこいどっこいどころか、怪我を理由にバスで楽に帰れるから後者でもアリだと思うあたり、わたしは根っからの帰宅部気質である。

いつも以上に緩慢なスピードでバス停まで歩いていると、ポケットの中の携帯がブブブ、と震えた。取り出してみれば画面には着信中、はち、の文字。部活はどうした、と思いながらも通話ボタンを押す。

『あ、もしもし名前?』
「んー、はちどうしたの、部活は?」
『それより!お前今日怪我したってほんとか?』

いきなりボリュームの上がるはちの声に、思わず携帯を耳から離す。うるさい。というかなんで知っているんだ、六限の体育での怪我のことを。お昼休みのあとは会っていないというのに。

「あー、大した怪我じゃないよ、足挫いたのとちょっと擦りむいただけだし」
『まだ学校?』
「うん、今からバスで帰るとこ」
『まだ学校居んだな?今どこ』
「校門のとこだけど・・・」
『わかった、今行くから待っとけ』
「は?だってはち、部活中、」

なんじゃないの?その言葉は電波には乗らずに、なまぬるい風に溶けるだけに終わった。通話終了を知らせる画面を眺めて眉をしかめる。ひどく一方的な指示に従うのは癪だけれど、とりあえずここで待っているしか他はない。通りすがる先輩だか同級生だか後輩だかもわからない人々に少し訝しげな視線を浴びせられて、気まずい気分で待っていると、少しして背後からチリリン、と自転車のベルの音と続けてキキッというブレーキの音がした。

「乗ってけ、送ってくから」

振り返った先にいるはちは、そう言ってにっこりと笑う。その姿が夕焼けに照らされた風景と妙にマッチしているものだから、可笑しくてわたしもつられて笑ってしまう。癪な気持ちも気まずい気分もすっかりどうでもいい。

「はち、部活は?」
「今日ミーティングだけで終わったんだよ。ほら、カバンかせ」
「ああ、ありがと」

言われるがままカバンを渡して、荷台にまたがる。腕をまわしたその腰はじんわりと熱い。わたしがきちんと体勢を整えたのを確認して、はちは自転車を漕ぎだした。


「怪我したとかさあ、言ってくれりゃ良かったのに」

自転車がスピードに乗り始めたころ、背中越しに流れてきたはちの声は少し拗ねたような色をしていた。別に怒っているわけではないのだろうけど、顔が見えない分その言葉は少しだけちくりとした感触を含んでいるようにも思えた。

「だって、怪我したあと会わなかったし、大した怪我でもないし」

思わずわたしも言い訳じみた口調になってしまう。それを察したのか、はちはこちらをちらりと振り返って「あ、別に怒ってるとかじゃないからな!」とフォローを入れてきた。なんだってこいつは馬鹿みたいに優しいんだろう。「わかってるよ」と返せば「そっか」と安心した声が流れてくる。

「そういやなんで怪我のこと知ってたの?」
「ああ、七松先輩がさ、お前の彼女が見事に転がってたぞ!つって教えてくれた、教室から見えたって」
「三年の教室からグラウンド見えるとかあの先輩どんだけ目が良いの?マサイ族なの?」
「前世がそうなんじゃね?」

ははは、と笑うはちの声はもうご機嫌だ。表情も声色も、ころころ変わるけれどいつだって損なわれない優しさと明るさががそこにはあって、それはわたしの心の尖った部分や湿気てしまっているところを、きれいさっぱり直してしまう。今日だって、昨日だって、明日もきっとそうなんだろう。

「あ、国道のコンビニのとこまででいいよ、あそこから真逆だし」
「良いよ、家まで送る。水臭いこと言うなって」

わたしは精々、はちの優しさに甘えきりにならないように遠慮しようとすることぐらいしか出来ない。その遠慮だって、しなくていいと言われることが知れているのだから、結局甘えきりなのだけど。なんだかなあ、と少し情けなくなって、はちの背骨の形を鼻先でなぞる。熱い体温と汗の匂いが伝って、夏の真ん中ににいる気持ちになった。

「はちは汗臭いね」
「やかましいわ」
「コンビニ寄ってさ、アイス食べようよ」
「お、いいなあ」
「今日はわたしが奢ってあげよう」
「まじか!」

今年もこれからどんどん暑くなるんだろうなと思うけれど、去年までのような憂鬱な気持ちにはならない。きっと、夏は明るくて眩しくて楽しい。はちの隣なら、きっとそうなる。

<120612>
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