昼間はあんなに天気が良くて暖かかったのに、日が沈むのに比例して雲行きは怪しくなり、今や空は真っ黒である。世界の終わりみたいだと、いっそ終わってしまえと思う程度にはわたしの心は荒んでいる。肌寒い春の日暮れ時にぽつりと明るいバス停のベンチに腰掛けてひとりぼっちで食べるアイスクリームは驚くほどおいしくない。手の甲にぽつりと水滴が落ちてきて、いよいよ雨が降り出したか最悪だと思って顔を真上に向けたけれど、目に入ったのは真っ黒の空ではなく茶色いバス停の屋根だった。じゃあ今の水滴はなんだったのだろうともう一度手の甲を見たら、自分の目からぼろりとなにか零れる感覚がして、ようやく自分が泣いていることに気がついた。気がついた途端もう涙と嗚咽は止まることがなく、ぼろぼろと零れたアイメイク混じりの黒い涙はアイスクリームにまで落ちてしまって、本当にこの世で一番不幸であるような気分になってしまう。泣き声を押し殺しながら、さっさと乗客ゼロのバスよ早く来てくださいなんならネコバス来てくださいと願っていたら、バスではなく自転車が背後で止まる音がした。止まったところから動く気配のない自転車の主に、心の中で土下座をしながら立ち去って頂くことを要求してみたけれど、その願いは届かずに、自転車を止めてこちらに近づいて来る音がした。変質者とかだったら本当に終わってるな、と恐る恐る近づいてきた気配の方を振り返ると、見覚えのある顔が、ああやっぱり、という顔をした。
 
「やっぱり、名前先輩」
「・・・あ、泉?」
「お久しぶりっす、つーかなんすかその顔ひっでえ」
「久しぶり、元気してた?髪のびたね、喧嘩売ってんの」
「まあまあ元気っす、髪はだいぶのびましたね、喧嘩は売ってないっす」
 
少しの間その顔を眺めて、ぱちりとした目とそばかすで思い出した。そこにいたのは同じ中学に通っていた仲の良い後輩だった。髪がのびていてすぐにはわからなかったけれど、中学時代となんら変わらない生意気な受け答えに、坊主じゃなくても泉は泉だなと当たり前のことをしみじみと思った。一人分ほどのスペースを空けて右隣に腰掛けたその姿を上から下まで眺めてあることに気がつく。
 
「制服じゃないってことは・・・西浦?」
「へ?ああ、ハイ」
「たしか浜田とかも西浦行ってなかったっけ?」
「ああ、あの人ダブって今同じクラスっすよ」
「は?ダブった?ほんとに?」
「まじっすよ、二度目の一年生」
「あっはは、アホだ、本物の」
「先輩、その顔で笑ってるとマジで怖いんでとりあえず顔拭いてくれません?」
 
これ使っていいんで、と苦い顔でタオルを差し出されて、自分がさっきまでこの世の終わりみたいな気分で泣いていたことを思い出した。懐かしさに気をとられて少し忘れていたのに、また、涙が浮かびそうになる。
 
「言っとくけどラメとか黒いので結構汚れるよ」
「いっすよ、アイス持っときます、ってうっわ黒い」
「いらないから食べて良いよ」
「いらねっす、黒い上に寒いし」
 
ほんのり汗臭いそのタオルにすこし躊躇したけれど、わたしも妖怪のようであろう顔で居続けるのも気が引けるため、濡れた頬を拭いてタオルを目元に押し付ける。
 
「・・・なんかあったんすか」
 
彼にしては遠慮がちに投げかけてきた質問を頭の中で反芻する。なにかあった。そのなにかを思い出していよいよ涙が実体を成してタオルに吸い込まれていった。なにか、それを具体的に言葉にしてしまえば、いよいよ涙も嗚咽も我慢することが出来なくなりそうで、久しぶりに会った後輩にそんな姿を見せることはさすがに出来なくて、嘘にもなりそうにない嘘をつく。
 
「なんもないよ」
「ならいいっすけど」
「いいんだよ、なんもないから」
「・・・なんもなくてその顔になるんならなんかあったときすげえ大変っすね」
 
本当に相変わらず口が減らないなと、タオルを目元から離してそのまま泉の顔に叩き付ける。
 
「いって!冗談っすよ、ほらアイス」
「もういらないよ、ってあら綺麗になってる」
「よけといたんすよ、勿体ないから」
「口は減らないけど気は利くねえ」
 
せっかく綺麗にして頂いたので、少し溶けてしまったアイスを口に運ぶ。不思議と、ひとりで食べていた時よりも甘くおいしい気がした。舌の上でさらりと溶ける甘さを楽しんでいると、右側から視線を感じた。そちらに顔を向けると、泉は呆れたみたいな懐かしむみたいな顔をして笑っている。
 
「なに」
「先輩って、落ち込むとよくアイス食べますよね」
「ああ、まあ好きだから、そうかも知れない」
 
よく見てんね。視線を手元のアイスに戻しながらそう何気なく返すと、間を置いて隣から少し深く息を呑む音がした。
 
「そうっすね、好きでしたからね先輩のこと」
「・・・は?」
 
至極わかりやすく伝えられたであろう言葉の意味を十分に理解出来ないまま、それでも反応を示す為に泉の方を見る。けれど泉はまるで何もなかったかのように、交差点の向こうを見て「先輩、バス来ましたよ」などと抜かしている。わたしもつられて「ああ、ほんとだ」なんて間抜けに返してしまう。

「あ、タオルありがとう」 

座っていたベンチから腰を上げて、借りていたタオルを差し出す。少しの間、泉はそのタオルをじっと見つめたままで受け取ろうとしなかったので、洗って返した方が良かったのかとタオルを引っ込めようとした。けれどその寸前に泉の左手が伸びてきたのでそのままタオルを渡す。視線をタオルから少し上げると、えらく真剣な顔をした泉と目が合った。

「名前先輩、」

泉の目にはなんだか視線を反らせなくなる不思議な力でも宿っているみたいだ。バスがもうこの停留所に着くことは分かっているのに、泉の言葉の続きが気になって足を動かせそうにない。

「先輩が泣いてた理由が、もしも本当にそうなら悪いけど、失恋とかだったら結構ラッキーだなって思ってます」
 
今日のわたしの頭はどうしたんだろうか。さっきから、簡単な言葉の意味を理解出来ずに投げられた言葉を取りこぼしてしまっている。点と点を繋ごうと必死になるけれど、どうにも頭が回らない。口の中が乾いて、心臓がどくりどくりと音を立てている感覚だけは妙に鮮明だ。

「ほら、バス行っちまいますよ」
「えっ、ああ」

泉の言葉に促されて、ゼロとはいかないまでも乗客の少ないバスに慌てて乗り込む。泉の方を振り返るタイミングで扉は閉まり、先ほどの言葉にここからどんな反応をすれば良いのか迷っている間にバスは走り出してしまった。さっきの真面目くさった表情はどこへやら、照れくさそうに笑ってひらひら手を振るその姿は瞬く間に小さくなっていく。空いている車内で、アイス片手に立っているのもなんなので近くの空席に腰掛けた。頭の中では、好きだっただのラッキーだの、泉の言葉が何度も行ったり来たりしている。泉が、わたしを、好きだった。あれ、過去形。だけどラッキーって言っていたからそれは今も?現在形でわたしのことを好き?その結論に至ったのと同じタイミングで、誰かが降車ボタンを押したのだろう、ピンポーンという音が車内に響く。大正解ってか。ふざけたことを考えるけれど、正解らしき結論がじわじわと頭に染み込んで、首から上に熱が集まるのを感じた。その熱を外に逃そうとひとつ息を吐いて、半分以上溶けてしまったアイスを口に運ぶ。ひとりぼっちなんかではない心に、舌の上で溶ける味は冷たくて甘ったるい。





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