わたしは笹山くんのことをよく知っている。
嘘である。
高校に入学して同じクラスになってこちら五ヶ月、話したことなんて数えるほどしかない。
けれどわたしには笹山くんのことがよくわかるのだ。彼の生まれた季節、彼の好きなもの、彼の癖のこととか。それはわたしの妄想の中で生まれたとか、そういった類のものでは決してなく、ふとしたときに、ああそうだったなと思い出すような感覚で、わたしは笹山くんについてを知っていく。

始まりは入学式の日だった。
式を終えて、それぞれのクラスで行われるオリエンテーションのために教室へと移動すると、どうやら出席番号順で席につくことがに決められられているようだった。自分の席はどこだろうかと扉のあたりから教室を見渡した時に、一人のクラスメイトの姿が目に止まった。まっすぐに切り揃えられた前髪と整った顔立ちのその男子を見て、あの人が「ささやま」でさ行だから、と自分の席の大体の位置を把握した。自分の席に腰を落ち着けてから、わたしはようやくはっとした。どうしてわたしは、あの男子が「ささやま」くんだと思ったのだろう。その後の出席確認で、彼が本当に「笹山」くんであることを知り、ますます首を傾げたくなったけれど、その時はまだ、奇跡のような勘がたまたま働いただけだと思っていた。
けれど不思議な勘は、そのあともずっと続くことになる。

例えば部活について。
笹山くんが決して運動神経の悪い人でないということは、授業が始まってすぐに体育の授業で行われた身体能力テストの結果で知っていた。実際にクラスメートから運動部に誘われているのを見かけたこともある。しかしながら、そんな笹山くんが選んだ部活は美術部だ。美術室の隅の方で妙ちくりんなからくりおもちゃなんかを作っているらしい。友達が「意外だよね」とその話を持ち出してきたとき、わたしは「ああ、やっぱりな」と思った。笹山くんはなんでも器用にこなすけれど、何よりも好きなのは手先を使ってなにかを作ることだ、と。そこまで考えたところで、おかしいぞと気がついた。わたしはどうしてそんなことを知っているのだろう。だってその頃わたしは、笹山くんと会話をしたことなんて一度たりともなかったのだ。

例えば彼の癖について。
ある日の休み時間、笹山くんとクラスの男子の会話が耳に入った。その時期わたしの席は笹山くんの斜め後ろで、盗み聞きだとか、そういうつもりは決してないのだけれど笹山くんの授業中の様子だとか、休み時間に誰かと交わす会話の内容だとかをよくよく知ることができた。
話題は数日前に笹山くんに告白をし、断わられた女の子がいかに可愛い子であったか、ということらしい。笹山くんはなかなかにモテる。入学当初から、同級生はもちろん、美人と評判の先輩にまでと幅広く人気を集めている。誰かから呼び出されてちょっと面倒そうに教室を出て行く姿も何度か見かけているけれど、笹山くんが誰かと付き合い始めたという話は耳にしたことがなかった。今回も例に漏れず、ということらしい。勿体ない、と半ばとがめるようなその声を笹山くんは「うるさいなあ」と一蹴する。続けて発せられた「好きな奴でもいんの?」という言葉にわたしはそっと、目線を声の方へと寄越した。そんなつもりは決してないのは本当だけれど、やっぱりちょっと気になる内容ではあった。笹山くんはいよいよ疎ましさを隠そうともせずに「別にいないって」と答えながら耳の後ろを中指でなぞった。その仕草を見てわたしはなるほど、思う。笹山くん、好きな人いるんだなあ、と。だってその仕草は笹山くんが嘘を吐くときの癖だ。だから今までの告白を全部断ってきたんだなあと納得したのちに思考は止まった。どうして、わたしはそんなことを思うのだろう。何に納得しているのだろう。笹山くんのそんな小さな癖なんて知るはずもない。それなのにわたしには確信めいて、それが嘘だと思ったのだ。



そういった出来事ががいくつも続いたせいで、わたしは入学してからのこの五ヶ月を、出来る限り笹山くんと関わらないように過ごしてきた。万が一、こんなことが笹山くん本人に知られてしまえばと思うと、そうせずにはいられなかった。一学期の間はどうにか上手にやり過ごせた。二学期も三学期も同じように過ごせれば問題ないだろうと、そう思っていたのだけれど、なかなかどうして、そう簡単にはいかないらしく。

二学期が始まってしばらく、高校に入ってからもう何度目かの日直の当番が回ってきた。相手は、笹山くん。
学期始めからそうなることはわかっていたので心の準備はしていたけれど、それでもやはりそわそわと落ち着かない一日だった。けれどわたしはもちろん、笹山くんも必要最低限のやりとりしかしようとせず、案外あっさりとその一日を終えようとしていた。

朝の天気予報のとおり、午後から怪しくなってきた空模様はいよいよ雨を降らし始めた。窓の向こうからサーサーと音が聞こえる。雨ならば、まだ良い。傘は持ってきているし、多少濡れたって家に帰ればすぐに着替えるのだからかまいやしない。雨だけならば。
そんなことを考えながら日誌にペンをはしらせていると、机を挟んで正面に座る笹山君が「大丈夫なの?」と言った。

「なにが?」

顔をあげてそう聞き返すと笹山くんは顎で窓の外を示して「天気」と一言だけ答えた。

「ああ、傘持ってきてるから大丈夫だよ。笹山くんこそ大丈夫?」

持ってないから先に帰る、なんて言われたらどうしようと思いながらそう聞くと、笹山くんは少しの間わたしの顔をじっと見つめたあと「僕も持ってきてるから大丈夫」と答えた。少しあった沈黙を疑問に思いつつも、わたしは日誌に視線を戻す。
二人きりの教室で再び沈黙が訪れる。

「そういえば昔、こわい噂なかった?」
「うわさ?」
「うん、雨の日にさ、山のふもとの神社に幽霊が出るって話」

沈黙に耐えきれずふと思い出したことを話題に挙げると、笹山くんは少し考えるそぶりをしたあとに「ああ、そういえば」と答えた。

「僕のとこの小学校でもあったかも、そんなの」
「怖かったなあ、あの噂。わたし小さいころ、よく裏山で遊んでたから」
「うらやま?」

笹山くんの声がわたしの言葉を遮る。その反応にはっと気がついてわたしは慌てて訂正の言葉を口にする。

「あ、ごめん。わたし、あそこの山のこと裏山って呼んでて。なんでか、昔から」
「昔から」
「うん、いつからだろう?誰かがそう呼んでたのを聞いたのかなあ」

笑いながらそう言うわたしに笹山くんは驚いたような表情で言葉を詰まらせた

「・・・僕も、そう呼んでる」

少し間を空けてからそう言って、笹山くんは窓の向こうに視線を移す。

「裏山と、その向こう側が裏裏山」

雨で霞み始めた景色にうっすら浮かぶ山の形をなぞるように、長い指が空中に二つの弧を描いた。違う?と聞くように笹山くんが首を傾げて、わたしはそれに恐る恐る首を縦に動かす。

「うん、わたしもそう呼んでる」
「そっか、不思議だね」

そう言った笹山くんが小さく笑ったあと、中指で耳の後ろをなぞったものだからわたしは驚く。今の言葉に、嘘が隠されていたのだろうか。裏山と呼んでいるということが嘘なのかとも思ったけれど、裏裏山という単語が出てきたからきっとそれは違う。確かに、わたしもそう呼んでいた。ならばなぜ、と考え込みそうになるけれどふと気がつく。そもそもその仕草が嘘を吐くときの癖かどうかなんてわからない、わたしの思い込みである可能性のほうが高い。ただの思い過ごしだろう。そう思うけれど笑った表情の余韻がまだ残るその顔はなんだか少しだけ寂しそうにも見えて、心に残る違和感は拭いきれなかった。

日誌を書き終わればあとは職員室に提出しにいくだけとなった。最後にもう一度戸締まりを確認して教室を出る。電気を消して薄暗い廊下に出たところで、窓の向こうで空が一瞬だけ明るく光った。あ、と声をあげたのはは笹山くんだったかわたしだったか。ついに鳴りだした雷は、けれどまだずいぶんと遠いところで轟いているらしく、ごろごろという音が鳴ったのはしばらく経ってからだった。笹山くんにはばれないように、かばんの持ち手を強く握る。
わたしは、雷が苦手だ。
高校生にもなって、なんとも情けないことだとは思う。けれど雷が鳴りだすと、途端に不安な気持ちが体中を支配して落ち着かなくなる。雷を怖がるのは物心つく前からのことらしく、両親にも原因はわからないようだった。

「雨、結構強くなってきたね」
「え、ああ、うん」
「傘さしてる意味なくなったらいやだなあ」

恐怖心を紛らわすためか、わたしの口はいつもよりも饒舌に動く。気が動転したのか、はたまたさっきの会話でなにかたがが外れたのか。この五ヶ月、隠し通すよう努力していたことを、わたしはあっさりと口にしようとしていた。

「笹山くん」
「なに?」
「わたし今からすごく変なこと話して良い?」
「変なことって・・・別に良いけど」
「わたしさ、たまに笹山くんのことをすごくよく知っているみたいな感覚になることがあるんだ。高校に入ってすぐのころから。なんか変な勘みたいなのが、笹山くんのことに関してすごくよく当たるんだよ。名前とか、誕生日とか、得意なこととか何が好きかとか」

そこまで話したところで笹山くんが歩みを止めてこちらを振り返った。わたしもそれに倣って立ち止まる。窓の外で空が光る。少ししてごろごろごろと、さっきよりも近いところで雷鳴が轟く。笹山くんの顔を見ることは出来なかった。多分すごく驚いた表情か、怪訝な顔をしてるのだろう。どっちにしたって、それはそうだろう思う。我ながらこれはなかなかに気持ちの悪いことを言っている。申し訳ないなあと、わたしは言葉を続ける。

「変な話でしょ。ごめんね、なんか気持ち悪いこと言って」

そう謝って顔を上げた瞬間に空がひときわ明るく光って、すぐに大きな雷鳴が轟いた。わたしは思わずしゃがみこむ。頭を守るように抱えたその手が震えているのが自分でわかった。

「ごめん、わたし雷ちょっと苦手で。昔からで、なんでかわからないんだけど」

雷鳴がやんだあと、言い訳のようにそう続けていると、「やっぱり」と笹山くんがぽつりと呟いた。

「やっぱり、まだ怖いんじゃんか」

だから大丈夫かって聞いたのに。
笹山くんの言葉に顔を上げようとしたけれど、再び空が光ったのがわかった。耳に響く雷鳴を少しでも和らげようと両手で耳を塞ぐ。顔を上げるなんてとても出来やしなかった。本当に情けない。しかしもうこればっかりはどうしようもなく、今度は先ほどより少し遠くで、ごろごろと鳴る雷に手のひらを耳に押し当てていると、その手があたたかな温度に包まれる。笹山くんの手だ。彼もまた、わたしと同じようにしゃがみこんだのが気配でわかる。

「雷が苦手なのは、ずっと昔に、意地の悪い同級生に怖い話を聞かされたからだよ」

塞いだ耳に、それでも聞こえたその声は少しかすれていた。
意地の悪い同級生。誰のことだろうか。そんな人、まわりに居ただろうか。心当たりはなかった。

「近くの町で、雷に打たれて死人が出た話を聞かされたんだ。そういうたぐいの話が苦手なのを知っていたのに、そいつがいたずら半分で教えたから」

けれど笹山くんが話すうちに、言われてみればと思い出した。そうだ、それ以来わたしはおそろしくなったのだ。雷が自分の大事な人を死なせてしまうかもしれないって。

「そう、だったかも。でもなんで笹山くんがそれを…」

浮かんだ疑問にようやく顔を上げることが出来た。

「僕も、知ってるんだ。名字のこと」

そう言った笹山くんの表情はほとんど泣き顔のようだった。

「本当に、よく知ってる」

その言葉の真意を、表情の意味を知りたいと思うのに、いつもの思い出すような感覚はやってきてはくれなかった。いっそのこと笹山くんに尋ねようとするけれど、どうにも胸が痛くて苦しくて言葉が出てこない。笹山くんはこの痛みの理由を知っているのだろうか。わたしの両手を包むその手に小さく力が込められる。震えているのはわたしの手なのか、笹山くんの手なのか。そうだ、と思う。わたしはこの温度をよく知っている。わたしが思い出せるのはそれだけだった。

<150906>
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