十一月に入った途端、この間までの気温が嘘だったみたいにいきなり寒さがやってきた。教室の端っこ、背にした窓から差し込む陽光はやわらかに暖かくて心地が良いけど、窓の外で吹いている風はきっとひんやり冷たい。そういえばと思い出して、机の横にかけたカバンの中から赤い薄っぺらい箱を探した。目当てのものを取り出して、その包装を開けていく。中のビニールを開けたところで、甘いチョコレートの香りが鼻をかすめた。

「弧爪、食べる?」

その箱を後ろの席、弧爪の机の上に差し出すと、ゲーム画面を見つめていたその目がこちらを向いた。机に置かれたものを確認すると、小さい声で「たべる」と呟いて、チョコレートを一粒つまむ。視線はすぐにゲーム画面へ戻っていった。自分の口にも一粒運ぶと、ざらざらと甘い味が舌先から広がっていく。

「弧爪DSも持ってんだね」
「んー」
「なんのゲームやってんの?」
「・・・ポケモン」
「新しいやつ・・・何色だっけ?」
「今回色じゃない」
「あれ?そうだっけ」
「XとY」
「ああ、CMで見た気がする」

あれだ、メガ進化。思い出しながらそう口にしたけれど、ゲームに集中している弧爪は「んー」という気のない返事しか寄越さない。よくあることなので、わたしも気にせずに再びチョコレートへ手を伸ばす。ゲーム画面を見つめる弧爪の顔は、髪の毛で隠れてあまりよく見えないけれど、ちょっとだけ口がとがっているのが見えた。それが面白くて少しだけ笑いを漏らして、窓の外に視線を移した。ベランダに落ちる木漏れ日がゆらゆら揺らめいて眠気を誘う。



猫を手懐けた時のうれしさに似ていると思う。
弧爪は人間なのだから失礼な話だとは思うけれど。
月始めに行われる席替えで、念願だった窓際の席を引き当てた。一番後ろの席でないのが惜しいけれど、後ろから二番目。上々だ。機嫌良く新しい席に移動して、続々とまわりの席にやってくるクラスメイトと一言二言話をしたあと、そういえば後ろの席は、と振り返る。まだ空席のままのその席に、誰が来るだろうと教室を見渡すと、本人の意思に反してそこそこ目立つプリン頭がこちらに移動してくるのを見つけた。もしかして、と思いその姿を見つめていると、すぐ目の前まで来た弧爪と視線が合う。

「また名字の後ろ?」

わたしの後ろの席に荷物を下ろしながら、弧爪が尋ねる。

「みたいだね」
「ふーん」

席についた弧爪は、くあ、とひとつあくびをして手元のスマホに視線を落とす。相変わらずだなあと思いながら、わたしも体を前に向けてもう一度まわりを見渡した。新しい席順になった教室の中は、それ以外は何も変わっていないはずなのに随分と新鮮に感じて、少しそわそわとした気持ちなる。窓際の席のせいか視界がいつもより白っぽく明るい。それがより一層、見渡す教室を新しい色に変えているように思えた。ざわめく教室のその雰囲気を味わっていると、ふとカーディガンの背中の辺りをくいくい、と引っ張られる感触がした。体を捻って後ろを振り返ると、弧爪の大きい目がこちらをじっと見つめていた。

「なに?」
「ねえ、今日のリーディングって」
「・・・ああ、小テスト?」

わたしの返した言葉にあからさまに顔をしかめた弧爪は、溜め息をついて「忘れてた」と小さく呟く。

「範囲せまいし大丈夫じゃない?」
「・・・最近ノートとってない」
「えー・・・」

気まずそうな視線をこちらに寄越す弧爪に苦笑いをして「あとでノート見る?」とおそらく求められているであろう言葉を口にすると、弧爪はほんのわずかに表情を明るくして、こくりと頷いた。先生の声が響いて、体の向きを前に戻す。その時に小さく、けれど確かに「ありがと」という言葉が聞こえた。少し驚いて弧爪を振り返るけれど、その視線はもう机の下に隠されたスマホに向いている。相変わらず、だけど距離が縮まったと感じているのはきっとうぬぼれではないと思う。



喋ったことのない、それどころか目が合うこともほとんどないクラスメイト。教室の中で、いつもひっそりと息をひそめている様子なのに、その髪の毛はよく目立つ金色。ちょっとだけ、興味があった。だから二学期が始まって最初の席替えで、わたしの後ろの席に弧爪がやってきた時は妙な高揚感みたいなものがあったのを覚えている。案の定、喋りかけても会話は続かないし、目が合ってもすぐにそらされる。けれど気まぐれにお菓子とかをあげてみればこちらの様子を伺いながらも受け取る。猫みたいだなと、そう思った。そのせいか、弧爪に話しかけるときは、家の近所にいる猫にそうするみたいになっていた。そっと、半分ひとりごとみたいな内容を放り投げるように喋る。近所の猫はわたしの話なんか聞いちゃいないけれど、弧爪は人間だ。続かない会話の中でもわたしの話を聞いていない、なんてことはなかった。毎日少しずつ繰り返されるやり取りは、確実にわたしと弧爪の間に積み重なっていく。いつの間にか、会話はある程度続くようになっていたし、弧爪の目はわたしをきちんと見るようになっていた。



「もういっこ食べていい?」

聞こえた声の方に窓の外から視線を移すと、弧爪の目がこちらを向いていた。指差す先には赤い箱。わたしは首を縦に振る。

「寒いとチョコがおいしいよね、なんか」
「んー、そうかもね」

どうでもよさそうに相づちを打ちながら弧爪はチョコレートを口に運んで、再びゲーム画面に視線を戻す。窓から入る冬の日差しに、弧爪の髪の毛がきらきらと透けている。それがとてもきれいで、触ってみたいと思ったけれど、嫌がられそうなのでやめておいた。

「弧爪んち、もうこたつ出した?」
「・・・うちこたつない」
「あれ、こたつ好きって言ってなかった?」

記憶を探りながら聞くと、「クロの、幼なじみの家にあるから」という返事が返ってきた。幼なじみってあのバレー部の主将だっけ、と思い出しながら、人様の家のこたつで丸くなってくつろぐ弧爪を想像して、いよいよ本当に猫みたいだなあと笑えてしまう。

「わたしんち昨日出したんだよ、うらやましかろう」
「べつに・・・」

自慢げに言うと、やっぱりどうでもよさそうな、けれど少しだけふてくされたような声色の返事が返ってくる。

「なんか最近急に寒くなったよね」
「あー・・・たしかに。さむい」
「まあここ窓際だし、陽当たり良くてマシだけど」

そう言いながら自分の頭に触れるとじんわりと温かかった。「おお、あったかくなってる」とひとりごとのつもりで呟いて伸びをする。昼休みもそろそろ終わる。5限は寝てしまいそうだなんて考えていたら、ふいに弧爪の手がゲーム機から離れてわたしの方に伸びてきて、そろりと頭を撫でた。

「ほんとだ、名字の頭あったかい」

温度を確かめてすぐに離れていったその手に驚いて、思わず弧爪の顔を見つめた。当の本人といえば、こちらの反応に気がつくこともなく、ゲーム画面に視線を戻して「あ、負けた」と呟いて顔をしかめている。妙にむずがゆい気持ちがわき上がって、弧爪が撫でたあとをなぞるように、自分の手でもう一度そこに触れてみた。ついさっき、弧爪の髪に触れようとして、けれど躊躇してやめたことを思い出す。

「え・・・なに笑ってんの」

気付かないうちに顔が緩んでいたようで、それに気が付いた弧爪が不審者でも見たような怪訝な顔をする。

「なんでもない」
「・・・そう?」
「早く家に帰ってこたつ入りたいなって思っただけ」

わたしの言葉にいよいよ顔をしかめた弧爪は「嫌味?」と不機嫌そうに言う。わたしが上機嫌に笑うと、その眉間の皺はますます深くなった。

「・・・クロんちも早くこたつ出さないかな」
「人様の家に入り浸るつもりか」
「べつに、昔からだし」
「まあ家にこたつがあるのも結構考えものなんだけどね」
「・・・なんで?いいじゃん」
「だらだらしすぎて駄目人間になっていく」
「だらだらしてるのはいつもじゃないの」
「うるさい」
「まあ、わかんなくもないけどね」

そう言って薄く笑った弧爪の顔に、胸の奥がじわりと温かくなる。
弧爪の表情が意外ところころ変わることに気がついたのは最近のことで、弧爪が変わったのか、わたしがそれに気がつくようになったのか、どちらかは知らない。どちらだって良い。どちらにしたってきっと思っている以上に弧爪との距離は縮まっているようで、わたしはそれがとても嬉しくて、この窓際で過ごす冬の始まりはいつもより少しだけ暖かい予感がしている。

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