夏休みが終わって九月も半ば。夏が終わるだなんてみんなが口を揃えて言うけれど、そんなの嘘だ。だってまだまだこんなに暑い。教室の端っこ、廊下に面する窓に体を寄せると、その一瞬だけはひんやりとして気持ちがいい。自分の体温ですぐにぬるくなってしまうからあんまり意味はないけれど。窓に寄っかかった体勢のまま、手元のスマホで週間天気予報を調べてみる。もうしばらくは30度近い気温が続くようでげんなりとしてため息をついた。

「ねえねえ弧爪」

くるりとこちらを振り返った名字に目線だけで返事をする。それに気付いているのか、それとも返事の有無は気にしていないのか、名字は「これ、全然クリアできない」と、自分のスマホをこちらに差し出す。画面には数日前に教えたパズルゲームが表示されている。

「なんかヒントください」
「ええ、めんどくさい」
「そこをなんとか・・・」
「んー、多分、ここをこうして、こっちにしてから・・・」
「ほー」
「そんでこっちに戻してこれを・・・あっ」
「あ?」
「クリアしちゃった」
「ええー、ヒントって言ったのに・・・」

ふてくされたようにつぶやいた声に「ヒントとか難しいし・・・」と返すと名字は「弧爪、やっぱりかしこいね」と感心したように言う。どことなく噛み合わない会話だ。「もっかいやってみよー」と名字はスマホを手にとって、ゲームを再開する。背中を窓枠にあずけた、おれから見ると横向きの体勢でいるせいで、この会話が終わったのかどうかがよくわからなくて、少しだけ居心地が悪いまま、自分も机の上の画面に視線を落とす。



前の席の名字は、ちょっと変な奴だと思う。
あくまで、おれから見たらという話だけれど。
新学期が始まってすぐに行われた席替えのくじで引き当てたのは、一番廊下側の列、前から三番目の席だった。教室の端っこ、しかも真ん中。廊下側の席でも一番前の席や一番後ろの席は扉の近くだから、人の往来が多くてどうにも落ち着かない。だから自分にとっては大当たりの席。ラッキーだなんて思いながら荷物を持って新しい席に移動すると、すでに前の席に座った女子がこちらをじっと見ていることに気がついた。視線がかち合って、思わずたじろいで目をそらす。

「弧爪、ここの席?」

話しかけられて、そらした視線を一瞬戻して、またそらす。

「うん、そうだけど・・・」
「そっか、よろしくね」

前の席に座る名字はそう言って少し笑って、体の向きを前に戻した。よろしく、なんて言われてもそんなに話すこともないと思うんだけど。不思議に思いながら、自分も新しい席に腰をおろす。教室内は席替えによるざわめきでまだまだ騒がしい。後ろの席が誰なのかとかは少し気になるけれど、わざわざ振り返って確認するのも気まずいし、後で確認すればいいか。そう思って、制服のポケットからスマホを取り出す。ゲームでもしてようかな、と画面を開いてアプリをタップしたところで、「ねえ孤爪」と頭の上、それもわりと近いところから声が降ってきた。驚いて顔をあげると、名字が再びこちらに体を向けている。

「孤爪、甘いもの好き?」
「・・・えっ」
「これ食べる?」

名字が机の上に小さな箱を置く。それに記された「仙台銘菓」という文字に、黒いジャージの騒がしい面々が思い浮かんだ。

「仙台・・・」
「うん、おばあちゃんが住んでてさ、夏休みに行ってきた。おいしいよ」
「・・・どうも」

甘いものはけっこう好きで、だからか、唐突に差し出されたそれを受け取らない理由は見当たらなかった。手を伸ばして机の上に置かれたその箱を自分の方に引き寄せる。名字の顔をちらりと伺うと、なぜだか嬉しそうに「どういたしまして」と笑った。不思議に思うおれをよそに名字が前に向き直る。そのタイミングで壇上の先生が「静かにしろー」と声を上げて、教室のざわめきが波みたいに引いていく。手元に残された小さな箱はくすぐったいような、妙な違和感を主張していた。



大抵の人はおれに話しかけてきても、盛り上がるどころか続きもしない会話にしびれをきらして、そのあとはあんまり話かけてこなくなる。たまにそんなことは気にせず構わず、話しかけてくるやつ―翔陽とかが最たる例だーもいるけれど、大抵は前者。他人と関わるのは苦手で、だからそれでかまわないのだけれど、名字はちょっと違った。勢いよく話しかけてくるわけでもなく、けれど続かない会話に気まずそうな雰囲気を漂わすこともなく。朝、教室で顔を合わせれば「おはよう」と挨拶をしてきて、帰り際には「じゃあね」と声をかけてくる。時々「部活がんばれー」とおれの机にアメとかを落としていく。休み時間はたまにこちらに顔を向けて、どうでもいいような話題をつらつらと投げかけてくる。昨日のテレビがどうだったとか、購買のどのパンがおいしいだとか、たまにおれのやっているゲームに興味をしめしたりとか。名字はよく喋る。けれどうるさいとは感じなくて、だからそんな名字に戸惑うことはあっても、嫌な気分になることは一度だってなかった。



「天気予報?」

ゲームをクリアしたのか、それともクリアするのを諦めたのか、名字が机の上のスマホの画面を覗きこんで不思議そうな顔をする。

「いつになったら涼しくなるのかと思って」
「ああ、暑いよねえ、いつまでたっても」

そう言って名字は教室の反対側、窓の方に視線をやった。つられて、おれも同じようにそちらを見る。さんさんと眩しい外の風景はどう見たって真夏のそれだ。よく日焼けした肌の野球部が窓際の席で騒がしくしている。それがなおさらその風景の鮮やかさを強調していた。

「弧爪は、暑いの苦手そうだね」
「あー、うん。まあ、寒いのも嫌だけど」
「わたし寒いのは結構大丈夫なんだよねー」

寒けりゃ着りゃいいんだから、と言いながら、机の中から出してきた下敷きでぱたぱたとこちらをあおぐ。顔に直撃するその風に顔をしかめると、名字は楽しそうに笑って今度はそれを自分に向けてあおぎだした。名字の髪がふわふわと風に揺れる。

「暑いのはわたしも苦手だなー。夏休みの間ずっと家の中に居たもん」
「仙台は・・・涼しかったんじゃない?」

いつぞやの話を思い出して尋ねると、名字はほんの一瞬だけ、ぽかんとした顔をして、すぐに「ああ」と言葉を繋ぐ。

「おばあちゃんのとこね、こっちよりはちょっとマシかなってくらい」
「ふーん」
「おばあちゃんがなかなかエアコンつけようとしなくて家の中があっついあつい」

おばあちゃんが一番暑さに強いんだもん、と笑う名字の横顔を眺めながら、そういえば、もらったあのお菓子はおいしかったなと思い出す。ふわふわとやわらかくて甘くて、感動すら覚えるくらいに。今更それを伝えるのは、なんか不自然だし、でもやっぱり、言ったほうが、伝えておいたほうが良い気がして口を開く。

「前に、もらったやつおいしかった。仙台の」

言葉にした直後に、やっぱり今更言うのはおかしかったなと後悔が押し寄せる。名字も変に思ったのか、なんの言葉も返って来ない。沈黙が気まずくて、心が折れそうになりながら、名字の顔を伺い見る。けれどその表情は、おれが想像して不安に思ったようなものではなく、驚いたような、ぽかんとした顔でこちらを見つめている。さっきも、一瞬だけ見せた表情だ。今度はそれを隠そうとする様子もなかった。

「い、今更だけど・・・」

苦し紛れに言葉を付け加えると、名字はようやくその表情を変えた。すごく嬉しそうな顔で笑う。

「そっか、おいしかったか」
「うん」
「また仙台行って買ってきたらあげるよ」

あれね、温めて食べてもおいしいんだよ、といつもの調子で喋りだす名字に、こちらも「ふーん」とか「へー」とか、いつも通りの言葉を返す。

「今度行くのは冬休みかなー」
「まだまだ先だね」
「まだまだ暑いしね。早く涼しくなるといいね」
「冬は寒いからずっと秋のままでいい・・・」
「でも冬っておいしい食べ物多くない?鍋とかお餅とかシチューとか」
「まあ、そうかもね。あとこたつとか・・・」
「あー、いいね、こたつでみかん」
「名字食べ物の話ばっか・・・」
「うるさいよ」

まだ夏の漂う教室の端っこで、寒い季節に思いを馳せる。
悪いものではないと、そう思えることが増えた気がする。相変わらず他人は苦手で、うるさいのもあんまり好きじゃなくて、それでもこうやって誰かと関わり合っていくことは、昔ほど悪いものではなくなった。まあその対象は限定されているのだけれど、おれにしてみればそれでも十分じゃないかと思う。名字の楽しそうに笑う顔を見て、なんとなくそんなことを思った。

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