一日の最後の最後で全教科の中でも群を抜いて眠たくなる古文を六限に持ってくるあたり、この時間割を作った人間は性格が悪いなと思う。おじいちゃん先生がただ教科書をゆっくりと読み上げていくだけの授業は退屈以外のなにものでもない。時間の流れは止まっているも同然に感じる。教室の前方に掛けられた時計に目をやっても、さっき確認した時から五分も経っていなかった。あくびをひとつして、窓の方に顔を向ける。真面目に授業を受けていたり、はたまた眠気に襲われてゆらゆらと揺れたり、完全に机に突っ伏して眠ってしまっているクラスメイトの、その頭の向こう側。秋から冬へと移りつつある季節の空は、澄んだ水色をしている。その色のようにわたしの心もすっきり晴れわたりやしないだろうかと思うけれど、そういう訳にもいかないらしい。ひっそりと静かに深呼吸をして、視線を手元のノートに落とす。球技大会が終わった辺りからずっと、もやがかかった気持ちのままでいる。考えることから逃げたくて目を閉じて眠ろうとすれば、瞼の裏に浮かぶのはあの日からずっと同じ光景で、それを掻き消すために黒板に並んでいく文字を一心不乱に書き写す。そういえばここ最近は、友達にノートを写させてもらうことが極端に減ったな、と悩みが生んだ思わぬ産物にいまさら気がついた。

チャイムの音で退屈な授業もようやく終わり、残すは掃除と帰りのホームルームだけになる。
机の上を片付けて、友人と連れ立って担当の掃除場所へと向かうために、騒がしくなり始めた廊下に出る。階段を降りていこうとしたところで、背後から「名前」と名前を呼ばれた。わたしの耳によく馴染んでいるその声に少し体の真ん中がざわりとした。振り返った先にやはりさんちゃんの姿を確認すると、隣を歩いていた友人に先に行ってもらうように伝えて足を止めた。さんちゃんの表情と手が「ごめん」という形を作るのに、首を横に振って応える。自分が自然に笑えているかはあまり自信がなかった。さんちゃんの顔が見られることが嬉しいはずなのに、今は胸のつかえの苦しさがそれを上回っている。

「ごめん、引き止めて。この前借りた漫画さ、そのまま兵太夫に貸して良い?」
「漫画?ああ、良いけど・・・」

わたしの手元にちゃんと返ってくるなら。そう続けると、さんちゃんは「厳しく言っとく」と苦笑いをこぼした。

「あれ面白かったでしょ」
「うん、まさかあんなことになるとは・・・続き出たらまた、」

続くはずだったその言葉は「夢前くーん」とさんちゃんを呼ぶ声で遮られる。あ、と思った時にはさんちゃんの肩越しにその声の主と視線が交わっていた。球技大会の時に見た、嬉しそうな笑顔と一致するその顔が、わたしの姿を認めて一瞬ひどく傷ついたような表情をしたのをわたしはしっかりと見てしまった。

「ごめーん、今行く!じゃあ、」
「うん、続きが出たらまた貸すよ」

さきほどの言葉の続きを引き継いでそう言うと、さんちゃんは満足そうににっこりと笑ってまたね、と手を振った。わたしも笑って手を上げて、先に掃除場所へと向かった友達の後を追う。一呼吸置いて振り返ったその先で、二つの背中がここ数日のあいだ頭の中に居座り続けたイメージに重なる。胸のあたりで疼く痛みは体中に広がっていく。熱くはない、けれど体が内側から焼かれていくような感覚がする。さんちゃんは、わたしのことをどう話しているのだろう。幼なじみ、ただそれだけのはずなのに、さっきのあの人の傷ついたような顔を思い出しては、なにかもっと、あの人をぐちゃぐちゃに打ちのめすようなことを言ってはくれないだろうかと、途方もなく馬鹿みたいな期待を小さく抱いて、やっぱり馬鹿みたいだと呆れた。



友人の誘いも断って、家に帰る頃にはぐったりと疲れきっていた。母親は出かけているらしく家には自分一人のようで、静かなリビングに響くのは時計の秒針と台所の冷蔵庫がうなる音だけだった。

「つかれた」

ひとりごととカバンを放り投げて、ソファに体を沈める。着替えないと制服が皺だらけになるな、と思いはしたけれど、立ち上がって二階にある自分の部屋まで行くのはひどく億劫だった。ぼんやりと眺める視線の先、棚の上に並んだ写真立てが目に入る。母親が厳選を重ねた上に並べたその中の一枚には、小学生のころのさんちゃんとわたしが二人並んだ写真がある。長く積み重ねてきた日々のほんのひとかけら。
数十分前に見た、あの傷ついたような表情を思い出す。
彼女から、わたしはどう見えているんだろうか。彼女にとって、わたしは羨む存在なのだろうか。ずっと側にいて多分きっと大事に思われている幼なじみ。それはわたしにとって、とても大事ですごく価値のあることで、けれどわたしはあくまで幼なじみだ。さんちゃんにとって、一人の女の子として特別な訳ではない。どんなに長い間そばに居たって、手を伸ばせば触れられる距離に居たって、わたしはさんちゃんの彼女ではない。
体を起こして立ち上がり、棚の上の写真立てを手に取る。ガラス細工で出来たそれは、少しほこりを被っていて、息を吹きかけると細かい塵が宙に舞った。写真の中のさんちゃんとわたしは、満面の笑顔でピースサインをしていて、しゃがんだわたしの頭の上に、今よりずっと小さいさんちゃんの手が乗っている。そのやさしい手の感触を、わたしはずっと大切にしている。失いたくないと思っている。それなのに、どうしてこのままで良いのかなんて疑問に思うのだろう。ずっとこのまま、幼なじみという枠の中、やさしく、大事にされていく。まるで心地の良いぬるま湯につかったまま。それで良いと思っていた。だけど心地良かったはずのその温度はいつしか、熱を上げたわたしの体にはずいぶんと冷たくなっていた。
きっと、わたしはもう、このままでは嫌なのだ。ついにそれを認めてしまうと、視界は下の方から一気にぼやけて、まばたきと同時にぱたりと水滴が落ちた。唇を噛むわたしの耳に響くのは、相変わらず時計の秒針と冷蔵庫のうなる音だけだ。




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