カチコチと音を立てながら時計の針は容赦なく進み続けているけれど、机に広げた問題集のページは一向に進まず、時間とホットココアだけが消費されていく。中間試験を間近に控えて、さすがにそろそろ勉強をしておかないとまずいことになると思い、苦手な数学から手をつけたものの、数式の意味を理解していないわたしに問題を解くことなんて出来る筈もなかった。自分一人でどうにかなるものではないのでは、という考えに行き着いて途方に暮れる。
誰かに頼ろうとして、最初に思い浮かぶのは隣の家に住む幼なじみの顔だ。テストが近づくと部活動も禁止されるので、普段は日が暮れる頃に帰宅するさんちゃんも、今頃家に居る筈だ。けれど、とそう思いとどまるには理由がある。さんちゃんはそこまで勉強が得意な方ではない。中の中、平々凡々だ。「勉強なんか少々出来なくたって大した問題にはならないよ」とにっこり笑って能天気な言葉を吐くのを今までに幾度となく見てきた。そういう訳で昔から勉強のことを聞くのはさんちゃんではなく兵太夫くんと相場が決まっているのだ、残念ながら。小学生の夏休みなんかは、さんちゃんとふたりで兵太夫くんに宿題を手伝ってもらい、わたしだけが兵太夫くんに罵られていた。高校生になったわたしは、罵られることがわかっていてわざわざ兵太夫くんを頼るようなことはしない。さんちゃんに聞くだけ聞いてみようと、問題集と筆箱を持って立ち上がった。鏡の前で少し迷って、上下スウェットだった格好を上だけTシャツとパーカーに着替えてお隣の夢前家に向かう。自分の家の玄関をでて徒歩13歩、チャイムを押して少しすると、扉の向こうからおばさんの声がした。

「こんにちはー、名前です」

扉が開いて出てきたおばさんは、さんちゃんとよく似た顔でにっこり笑う。

「あら、名前ちゃんいらっしゃい。三治郎?」
「うん、勉強教えてもらおうかと思って」
「・・・あの子に?」

怪訝そうな表情を浮かべるおばさんに、苦笑いを返す。

「とりあえず聞いてみようかなって、」
「あれ?名前だ、いらっしゃい」
「・・・さんちゃん、なに持ってんの」

タイミング良く玄関の向こうの階段を降りてきたさんちゃんの腕の中を見ると、そこには昔よく遊んだゲーム機が抱えられている。テスト前のこの時期には随分と不釣り合いな光景だ。ひどく楽しそうな顔をしているさんちゃんを見て、罵られてでも兵太夫くんに聞いた方が良かったのだろうかという考えがわたしの頭をよぎった。



「いやあ、テスト前になったらついね」

部屋の片付けしたくなっちゃって。通された夢前家のリビングで相変わらず能天気なことを言うさんちゃんは、テレビの裏に手を回してコードを差し込んでいる。わたしはおばさんが出してくれたお煎餅とお茶に手をつける。夢前家で飲むお茶は、自分の家とはなんだか少し違う味がして、けれど小さい頃からよく飲んでいるものだから自分の家のものと同じくらいに舌に馴染んでいておいしい。

「で、これが出てきちゃったわけね」

プラスチックケースに並んで入っているゲームソフトを眺めて苦笑いをする。懐かしいものから、覚えのないものまで様々なラインナップだ。

「っていうか名前、何しにきたの?」

なんか用事だった?とこちらを振り返るさんちゃんに、数学の問題集を見せると、いつもは朗らかに笑っている顔が不満そうに歪む。

「僕にわかるとでも・・・」
「一応聞いてみようと思って」
「兵太夫に聞いた方が早くない?」
「距離的にも精神的にも面倒くさい」
「それでも僕に聞くよりよっぽど効率的でしょ」

その言葉は正直否定出来ないのだけれど、兵太夫くんのところに行くのはやっぱり面倒だし、多少効率が悪くたってさんちゃんに教えてもらった方がわたしは楽しい。そういう訳でさんちゃんの言葉は聞こえなかったことにする。

「それにしても懐かしい」
「最近全然やってなかったもんね」
「これとかよくやったよねえ」
「名前それ好きだったよね、勝てないのに」

小さい頃によくやった対戦型のパズルゲームを話題に挙げると、さんちゃんはふふふ、とこちらを小馬鹿にするように笑う。おっしゃる通り、さんちゃんにも兵太夫くんにも、ハンデなしでは一度だって勝てた覚えがない。

「うるさいよ。っていうかゲームよりも数学・・・」
「まあまあ、ちょっと付き合ってくれたら考えてあげるって」

その言葉に乗せられてしぶしぶコントローラーを持つ。それが間違いだったと気がつくのはその日の夜になってからなのだけれど、この時点ではわたしはまだ気がつかない。少しだけさんちゃんに付き合ってゲームをしたら勉強をするつもりだったのだ、本当に。



「ああ!また!!」
「はい、五連勝」
「なんで・・・」

ゲームを始めて小一時間、何度挑戦してもさんちゃんに一勝することも出来ず、コントローラーを投げそうになるのをこらえる。ハンデを貰っているのにこの有様とは我ながらゲームセンスの無さに驚く。

「はー、駄目だ名前じゃ雑魚すぎて相手になんないや」
「さんちゃん、言葉選ぼう。傷つくから」
「さ、何度やっても同じ結果だしそろそろ勉強する?」

笑顔のさんちゃんから発せられる辛辣な言葉に多少へこたれそうになりながら、それでもこのまま一回も勝つことがないままでは引き下がれない。こうなればもう意地である。

「いや、あと一回」
「えー、しなくていいの?テスト勉強」
「もうどうでもよくなってきた」
「いやあ、僕も勉強しないとまずいんだけど」
「ゲームしようって言い出したのはさんちゃんでしょ」
「もー、あとから後悔してもしらないよ」

後悔。その単語に、兵太夫くんの言葉がフラッシュバックする。後悔したってしらないからね。体中の血液がどくりと波打った気がした。ぴしりと固まったわたしを不審に思ったのか、さんちゃんが顔を覗き込んで来る。

「なに、思い直したの?やめとく?」
「・・・いやいや、思い直さないよ」
「そう?」
「うん、もう一勝負」
「はいはい、あと一回だけね」

痛みは一度、胸でずきりと疼いてゆっくりとお腹に落ちていった。やっぱり、この心地よい関係から抜け出すことなんてそうそう出来そうにもない。だってさんちゃんは優しい。手厳しいことを言いながらもほどほどにわたしを甘やかしてくれる。これ以上、わたしはなにを求めるっていうのだろう。側で笑っていられるのならば、きっとそれで充分だ。




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